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すげぇぜ!! カーチャン!!!

このnoteは、"人生のnote"として、しっかり文字に残しておきたい事を記す為に始めたnoteだ。今回もそんなお話。



薬剤師の両親の元に生まれた私。

父方の祖父も薬剤師。幼少期の盆正月に行っていた父方の祖父母の家は、古い木造の家で、1階の道沿い側が薬局になっていた。お互い1年ほど薬剤師として勤務したのち、「はよう自分たちで店出せぃ」と言われて20代前半で町の小さな薬局を開業したらしい。

私の一番古い両親のお店の記憶は幼稚園の時。園からの帰り、500mほど離れたバス停から歩いてお店まで歩く。途中おもちゃ屋があり、そこで外から中をジーーーーーっと見たり、外に並んでいるガチャガチャをジーーーーーっと見たりしていた記憶がしっかりある。


20代後半になった自分。このままいくと古着屋を開業するしか道が無いんじゃとなっていた時。この時に、小さいお店ながらも自分と姉をしっかり育てあげてくれた事がどれだけ凄い事かとよく思う様になった。


両親2人でやってきた小さな薬局。
開業して50年くらい経つんじゃないだろうか。


そんな中、私が18歳の時に父が亡くなった。
それから24年余り、母が1人でお店を切り盛りしてきた。

子供の頃は近隣に3つほど町の薬局があったが、当の昔にすべて無くなった。昔は商店街に、電機屋や文房具屋、眼鏡屋、スポーツ店など色々あったが、イ〇ンなどの大手ショッピングモールなどに客を奪われ、町の小さなお店はほぼ全滅という中、この両親の小さな薬局は今も営業している。

薬局も同じ。若い世代は皆、大手ドラッグストアに薬を買いに行く。そりゃそうだ。どこにでもあるし安い。よく「この○○○○(某大手ドラッグストア)の養命酒の売値、ウチの仕入れ値より安いとよ?」なんてボヤいてた。

引用元:養命酒製造株式会社
https://www.yomeishu.co.jp/
養命酒、マジで良いらしいよ。


昔は「商売の基本は休まない。店が常に開いているのが当たり前」とよく言っていて、月に店休日は1日。家では母としての仕事。それをずっと続けてきた。自分には到底出来ないと思ってしまう。

15年ほど前に、お店の裏に大きな分譲マンションが出来た。裏からはお店に入れないし、薬局としても認識できない。当時、古着屋で働いていた自分に(まだ甘ちゃんながらも同じ小売業としての意見を聞きたかったのかな?と思ってる)「改装して裏からも入れるようにしたいんやけど、どう思う? 100万くらい掛かるとよ。この年ならお金は持っておいた方がいいのにね。」という問い。

母のやりたいと思ったらもうやるが決まってる性格を熟知しているので「いやもうそれ "やる" で決まっとるやろ!笑」と返した。

結果、それが功を奏し、裏の大きなマンションに住む子育て世代の方々も、結構来店してくれるようになったらしい。つくづく商売人だ。


そんな母はもう75歳(くらいかな?笑)

自分で『もう出来ない』と思うギリギリまでお店は続けると言っている。

キングカズ スタイルだ。


そんな母が、日本薬剤師会 功労賞の受賞者に選ばれたらしい。

70代で現役薬剤師。現在は同県に5名しかいないそう。昭和~平成~令和と3つの時代を跨ぎ、長きに渡り貢献している。という事なんだろう。なんかパーティー会場で正式に授賞式みたいなのがあるらしい。

「嫌だ~ そんなこっ恥ずかしい目に遭うの」とか言ってたが、母がこの50年頑張って走り続けてきたことを認めてくれたようで、俺はめちゃめちゃ嬉しかった。


すげぇぜ!!!カーチャン!!!
おめでとう!!!


そう遠くない内にお店の看板を下ろす時が来るだろう。自分も幼少期からの思い出が詰まった大切な場所だ。その時は一緒に立ち会いたい。

休みなく働いてきたカーチャン。
その後は老後をゆっくり過ごして1日でも元気に長生きして欲しいと切に願う。



終わり


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