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本当の自分を生きるのに、最初に取り組んだ方がいいと痛感していること

こちらの記事の続きです。

結論から先に伝えると、
真っ先に取り組んだほうが良いのは、心の傷やトラウマの癒し

私が人として尊敬するなぁ…と感じている方々は、特にこの部分を逃げずに乗り越えていらっしゃって、だからこそ言葉の重みや、生き様から滲み出る安定感や幸福感みたいなのが段違いな感じがしています。


ただ、この辺りの話って、人によって見解がかなり分かれるんですねー。

「傷やトラウマぐらい誰にでもあるのだから、そこまで深追いするな」
「そんな心だ感情だ言ってないで、さっさと動け」
「まずは自分を満たしましょう、愛しましょう、それが基本です」

どの意見も、良い悪い・正解不正解はない。その人の人生経験を基準に語っているので、参考程度でいいと思う。

私も自分自身の体験、体感から語るけど、

  • 何か満たされない感覚がずっと続いている

  • 自分の本当の気持ち、感覚がよく分からない

  • 感情や意志がストレートに出せない(抵抗がある、表現できない)

という自覚症状があれば、やはり、そういう自分自身を見つめることが絶対的に先。

そういう自分を放置していると、必ず人生のどこかで不調や病気という分かりやすいサインを通じて、身体がSTOPを”必ず”かけてきますから。


そもそも「本当の自分」ってどういうことか、その前段の話だけで1記事書けそうなんだけど(笑)簡単にまとめると、本当の自分って感覚・感情ベースなんですよね。

これが好き。これが嫌い。
こう感じる。こんな気持ちになる。

骨髄反射レベルと言ってもいいぐらい、そこに理論理屈が介在する隙間がない。

好きな人に「大好きだよ」と言われたら、思わずニヤけてしまうし
好きな食べ物を食べれば「うまぁ♡」っておいしさが全身に広がるし
温かい湯舟に浸かると「はぁ~」って溜め息をつきたくなる。

そんな感覚、感情を味わっている自分こそ、本体の自分自身
好きな理由なんて、思考的に後付けしてるだけ。
「これからは女性性の時代だ」と言われ始めたのは、女性性の象徴である感覚・感情を取り戻していこう、という流れなのかなと。


ただ、心の傷やトラウマが深く影響を及ぼしていると、その感覚・感情が分からなくなってしまう。

何が好きか。何を思っているか。何を感じているのか。
ほんっとに、分からなくなるんですね……。

私は、生前の母親が闘病していた頃、看病疲れで躁鬱っぽくなった時があります。
何をしても、誰といても、感情が動かない。躁っぽい時はハイになるんだけど、周りに合わせているだけで、顔は笑ってるけど心は笑ってない。自分でも戸惑いしかなくて、気が狂いそうだった。

一番遊び盛りの大学時代にこんな状態だったから、周りのテンションにも付いて行けず、変に大人になっちゃって、ものすんごく孤独だったな。

母が亡くなってからも、心から湧き上がる感情が全然戻ってこなくて、空虚感が拭い切れない時期が、2~3年ぐらいは続きました。(グリーフケアも全くやらなかったもんで…)

お陰様で今はその状態を脱していて、心から泣けるし、心から怒れるし、心から嬉しいって感情も湧くようになった。感情が動く時の身体の感覚もよく分かる。

それが、どれだけ幸せなことか……ってしみじみ感じるのです。
感情が新鮮に感じられないのことがどれだけ辛いのか、身に染みて知っているから。

感情や感覚が分からなくなる背景は、人それぞれ。
向き合うのに適した時期も、向き合える気力体力を培える時期も、人それぞれ。
焦る必要はないし、無理に傷やトラウマをほじくり出す必要もない。

ただ、私が身をもって言えるのは、自分を癒していくプロセスで、自分の内側がクリアになり、感情や感覚が鮮明になっていくのはホントだし、すごく嬉しいことなんだよ、ってこと。

それは破壊と創造(=これまで守ってきた自分が死んで、新たなスペースが出来る)を伴うので時に痛いしハードだし、楽々超えられるもんでもないけど、でも、癒される価値はある。

これは、占術を使って自分を知り納得する(=思考レベル)の部分では、決して成し得ないことなのです。

今後の時代の流れ的にも、感情・感覚を取り戻すことは急務なんじゃないかなと思います。その辺も、また別の記事で♪

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