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「正しさよりも優しさが欲しい」と身体に言われた日

今年、それまでは治まっていたかのように思えた身体の不調が噴出して、気力体力共に消耗することが多い1年でした。
もうほんと、どんだけ落ちこみ、どんだけ泣き、どんだけベッドにお世話になったか…という感じ。

たぶん峠は越えたので「抑圧し続けず、ちゃんと出てきてくれて良かったなぁ」と思えるだけの余裕が今は出てきた。でも、そうもいかない時期はただひたすらにしんどいものですね。


私にとって一番しんどいのは、その辛さの原因が分からない時。

何が原因でこうなってるの?
身体はどういう理由でこんな働きをしているの?
一体どういうことなのよぉぉぉ!!!

ってゴリゴリに問い詰めたくなったし、実際に自分を問い詰めた時期もありました。

温かい湯舟に浸かりながら、そんなしんどい時期のことを思い出し、私の心と身体はこの不調を通じて何を伝えたかったのかなぁ…と思っていたらば。


だから、そうやって問い詰めてくるのがめっちゃ嫌やねん!!!いい加減にしろや!!!!


という内なる感覚が湧き上がってきて、その瞬間フワ~っと身体が緩み、涙が出てきて、あらびっくり。


自分が一番、自分に優しくなかったのですよ。
自分は良かれと思って「何が原因なんだ」「どうすれば解決できるんだ」「早くこの嫌な症状を取ってあげたい」と奮闘していたのに、そういう態度こそ最も嫌だった!というオチ。
しかも、それにずっと気付かなかったという。なんちゅうこっちゃ…( ^ω^)


何か自分に望ましくない状況があれば、必ずその状況を創り出した原因がある。だから、そこに気付いてあげることが大事だし、それが本当の意味での問題解決だし自分の成長に繋がるって思っていた。

それは一理ある。それはホントそう。頭で考えれば、ぐうの音も出ない。
私の考えていたことはきっと、ものすんごく「正しい」のです。


だけど、身体はハッキリとその正しさを「NO」と言った。
ということは、今の私にとっては「NO」の方が真実。


そうか、私は不調で自分の思うように動かない身体を「正しさ」でコントロールしようと躍起になっていたんだな…と。

でも、コントロールしようとすればするほどに抵抗は強まるし、こうやって身体はちゃんと反発してくれる。私が気付いてなかっただけで、もうとっくにずっと「NO」と言っていたのだな。なんて優しくて、健気で、賢いんだろうか。

せっかちで爆速で進んでいきたがりな私は、きっと今こそ「待て、ちゃんと自分の内なる感覚を信頼しろ」「徹底的に自分のペースを尊重しろ」と自分自身から言われてるんだなと思う。
そして、いかに過剰なコントロールを手放し、自分やこの世界と関われるかを試されてるんだな。

一瞬の身体感覚ほど頼りになるものはないなぁと感じたし、それをキャッチできることが本当の意味で自分を大切にすることなのだな、とも。

頭で考えていることがどれだけ正しくても、理にかなっていても、あなたの好きな友人や尊敬する誰かが「こっちがいいよ」と言ったとしても、自分の身体感覚が「NO」と言うなら、それを信じる以外の選択はない。
というか、その「NO」を尊重してあげられるのは自分以外に世界中どこにも居ない。

ね。だから、自分の感覚をもっともっと聞いてあげて欲しい。

外にある正しさじゃなくて、
内にあるやさしさを信じてよ、お願いだから。


たぶんこれは、私とあなたに向けたメッセージだと思いましたよ。


記事タイトル「正しさよりも優しさが欲しい」は、Official 髭男dismの『subtitle』から使わせてもらいました。もうホントその通りなんだよね~。

正しさよりも優しさが欲しい そしてそれを受け取れるのは
イルミネーションみたいな不特定多数じゃなくてただ一人
君であって欲しい

『subtitle』より


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