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人から愛されることよりも深く望んでいること

昨日は突然の訃報に思わず「えっ…」と大きな声を出してしまいましたが、心からご冥福をお祈りします。
まだお若い上に、お子さんもこれから成長盛りを迎えるという時に、ご家族はどれだけお辛いだろうかと心が痛む。悲しいね…。

ネット上では様々な声が飛び交っているけど、一瞬見ただけで気持ち悪くなったので私は何も見ないようにしています。黙祷。
(敢えてお名前は伏せさせてもらって、ブログを書いています)


お亡くなりになった方、そしてお亡くなりになった方を散々ネット上で誹謗中傷していた人達の根っこには同じ想いがあったんじゃないかな、と思ったのです。

その想いが実にリアルに描かれていて、誰でもよく分かる題材が『鬼滅の刃』

一番盛り上がっていた2020年当時は「煉獄さんの生き方が熱い!!カッコイイ!!」という話題が多かった気がするけど、
私がめちゃくちゃ興味を惹かれていたのは"鬼が鬼である理由”でした。

ここから中盤までは映画のネタバレを含みますので、自衛をお願いしますね。(重要な部分だけ抽出してるので、あらすじっぽい感じです)



鬼滅の刃の世界では、
鬼はもともと鬼として生まれるのではなく、人間が鬼に食われることによって鬼になります。

ここが面白いところ。生まれつき鬼という動物じゃなくて、後天的に「鬼になる」のだなーって。

その「鬼になる」「鬼である」理由がよく分かるのが、鬼が死ぬ直前に自らの生い立ちを回想し、気持ちを語るシーン。



自分の才能を認められたかった

他者との深い絆を感じたかった

大切な人に守ってほしかった

自分は特別な存在でありたかった


私は愛されたかった


(注:本当は既に愛された記憶もあるけど、気付いていない)



愛されたいという強烈な枯渇感をどうにかして満たしたい、それが鬼が鬼である理由なんですよね。

人間の姿でその枯渇感を満たせなかったからこそ、
鬼という特殊な姿となり、永遠の命を手に入れ、鬼の世界で仲間を作って出世して上層部に認められることによって、

欲しかった愛(のようなもの)を得ることができるんじゃないか?

と死んでいく鬼たちは皆、思っていた。

だけど結局「鬼になっても、欲しい愛は得られなかったやん…」という事実を死ぬ間際にようやく悟る。

死にゆく鬼の枯渇感や深い悲しみ、満たされなかった感情や記憶が、
炭次郎の眼差しや触れる手の温もりによって成仏していく。この描写、エグイほど凄いですわ。


「愛されたい」「自分を理解されたい」「自分を認めて欲しい」という欲求は、
生きているうえで自然と湧いてくるものであり、人間と鬼とが共通して持っているもの。

鬼は姿かたち、その欲求を得るやり方が残虐なだけで、根っこにある欲求や思いは人間と全く同じなんですよね…。

映画を見ていて、残虐な鬼のやり方こそが今の大衆社会の縮図みたいなもんやなぁと思った。
(だから、鬼が怖いとも、酷いとも何とも思わなかった)



亡くなった方はきっと、鬼になりたくなかったんじゃないか?

鬼(=特殊、特別だと思われる姿や立ち位置)になって誰かや何かからチヤホヤされて

「子育てがすごい」「夫婦円満だね」「その考え方が素敵だね」と賞賛を受け続ければ仕事だって絶えないし、物質的に豊かな人生を送れると思う。
それだけの土台も人気も築いていたしね。

だけどその方は、
そういう鬼のような生き方じゃ自分が本当の意味で満たされないことを深く知っていたのだと思う。


本当の自分とは何か、そのままの自分として生きていく為にどうしたらいいか、めちゃくちゃいっぱい考えたのだろう。

夫となり、親となり、ライフステージの変化や自分が社会から求められる役割に対して違和感を持ち、
その違和感を見逃すことができないほどに純粋だからこそ、悩むことも沢山あっただろう。


そんな葛藤があっても、その葛藤を殺さず生かして、社会や誰かの期待に応えることを極力少なくして、

自分自身から自分が最も愛されるように

生きることを選んだんじゃないかなぁ、と私はその方を見ながら感じていた。


だけどその姿こそが誹謗中傷でしか自分の欲求を吐き出せない一部大衆の餌になる。

「私は愛されたいんだぁぁぁぁぁ」という欲求の消化の仕方を知らない、考えない、やろうともしない、
もしくはそういう欲求から目を背けて逃げ続けているかるこそ、妬ましくて仕方がなく見えるんですよね。

自分が本当は望んでいることを、あたかも簡単に体現しているように見えてしまうから。

(読者さんはお分かりの通り、まったく簡単ではないけどね)


私たちが本当に望んでいるのは、大切な人から愛されることと同時に

自分自身から愛されること。

(自分はこういう生き方をしていい、自分はこういう在り方で存在していいという感覚みたいな感じ)


何があっても私は私を愛しているし、私自身から愛されているという揺るぎない覚悟を持った上で、
世間の批判や常識を跳ねのけて自分のままで生きる人はとんでもなくキラキラと輝く。

外側の何かで固めた偽りのギラギラじゃなくて、内側から勝手に発光してしまうんだよね。

その嘘偽りのない輝きこそが羨望の対象で、
誹謗中傷に走る人を刺激する狂おしいほどの妬みなんじゃないかなぁと私は思う。

その妬みが自分の内にもあることを知っている人は、
自分らしく生きることが実は怖い、ということも分かるんだよね。大きな光と大きな影はワンセットだから。

鬼になることを選ばず、一人の人間として生きたあなたは、本当に本当に勇敢だと思う。


私はニュースも見ないし、死の真相みたいなのも極力見ないようにするから分からないけど、とにかくご冥福をお祈りします。
残された家族が、どうか健やかに過ごせますように。

なんとなく、今日の記事には刀だなと

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