幸福日和 #052「いつもとスケールの違う場所へ」
皆さんはどのような場所で
日々の生活を送っていますか。
のどかな農村に住んでいる人もいれば、
大都会の高層ビルの中で全ての生活が
完結してる人もいるかもしれませんね。
人はその場所の中で生活をしていると、
自然とその環境に馴染んでしまうものです。
だからこそ、
時に自分の「生活のスケール」を変えてみる
ことをしてみてはいかがでしょうか。
例えば、大都会で仕事をしているのであれば、
週末に辺境の都市へと出かけてみる。
逆に地方で生活をしているのであれば、
大都会に自分を投げ出してみる。
そんな、いつものスケール感と
違う「はなれた都市」に行くことで、
そこから見えてくるもの、感じられるものがありますから。
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僕は日本に居た当時、
しばらく東京のど真ん中で生活をしていました。
朝は日が昇る前から家を出て、
夜はすっかりと日が落ちてしまった時間まで、
ただひたすら仕事と向き合っていた気がします。
そうした日々を送っているうちに
「忙しない都会の視点」というものが自然と自分の中に染み付いてしまった。
毎朝起床しては、
オフィス近くにあるカフェでコーヒーを買い、
朝をゆっくりと感じることもないままそのまま出勤。
外の景色や空の表情に、注意を払う余裕などありません。
昼間はほとんどオフィスを出ることはなく、
会議や商談の打ち合わせ。
高層ビルから外の景色を眺められるのも、
分厚いガラス越しに青く透けた
虚構のような街並みでした。
この目で直に景色を眺めたことが
どれくらいあったことか、思い出すこともできません。
時に社外に出る時でも、
薄暗い地下駐車場から目的地まで淡々と車で移動するという、
無機質で単調な日々を送ってたんですね。
それが当たり前の日常でした。
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そんな中で、
僕が大切にしていたことがあるんです。
それは、休日を利用して郊外に出かけること。
土日の二日間で宿を借りて、
少なくとも月に一回は、普段の生活圏から離れた場所に向かうこと。
できれば、普段の生活とは異なるスケールの
都市へ出かけることをしていたんです。
特に京都や金沢といった
歴史ある小さな都市に出かけることが好きでした。
もの二つの街は、なんというかスケールがちょうどいい。
街の隅から隅まで歩いていけるし、
とにかく全てがちょうどよく、
その中で人々の営みが全て完結されてるんですね。
大きなデパートへ買い物へ行くのも便利だけど、
あえて街にある小さな商店を訪ね歩くんです。
豆腐を買うにも豆腐屋さんまで足を運んでは、
店主のおじいさんに、おすすすめの食べ方を聞きながら
そのこだわりの一つを買うんです。
また、ある酒蔵を訪ねては、
今日はこれと決めた一つの銘柄を求める。
肉も野菜も菓子も、
そのひとつひとつを街の商店を訪ね歩きながら、
まさに自分の足で集めた「ご馳走」を手にしていく。
そして宿で、ゆっくりとした時間を過ごすんです。
時々、酔い覚ましに夜の街へ散歩に出かけては、
市中の人々の営みを観察し、
人々の表情を微笑ましく眺めてみる。
そういえば、人が挨拶をする姿や、
世代を超えた人々が道端で話を交わす光景なんて
しばらく見ていなかったな。そんなことにも気がつきます。
そうやって、束の間のひと時を過ごしながら、
その場所から「大切な何か」をお土産にして、
再び、日常の生活へと戻っていくんです。
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大都市に住んでいると便利なものです。
なんでも手に入りますし、どこにでも娯楽がありますから。
でも時にはスケールの違う都市で過ごしてみると、
今ままでには無かった視点で物事を見られるようになります。
その場所にいるということで見えなかったもの。
正確に言えば、
本当は見えていたのだけれど、
その場所に慣れてしまい見えなくなってしまったこと。
世の中には、いろいろな都市がありますが、
そうした場所というのは、
実はそこで生活をする人々以上に、
周囲から来た人々をあたたかく迎え入れるために
あるのではないかとも思うんです。
週に一度。
難しければ、月に一度。
いつもの日常とは違うスケールの場所で
日常を眺めてみてはいかがでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございます。毎日時間を積み重ねながら、この場所から多くの人の毎日に影響を与えるものを発信できたらと。みなさんの良き日々を願って。