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カメラが教えてくれた、無意味なことを大事にする人でいいということ


すこし離れていたカメラと
この前久々に、お散歩をした。
何も考えずに純粋にシャッターに触れる。


不思議と心がすうっと軽くなって
わたしにとって写真を撮るという行為は
「今の自分がいる場所と向き合うツール」なのだなあと再認識した。



カメラのシャッターを切るあの瞬間
自然や街と対話している気がする。
アスファルトに映る影とか
やさしさで満ち溢れている木漏れ日とか。
普段声を聞くことが難しいものにシャッターを切る行為が好き。


私たちは
この命の時間が流れている間に手にしたものは
止まった瞬間から、別のものへと変わっていく。


でもだからといって
最期は何も持っていけないとわかっていても
この人生で何も手にしないと諦めるのは
なんとなくさみしい気もする。


だからこそ
今見たものや体験していることを
たくさん心で受け止めて
ありがとうって感謝して
生きている時間を噛み締めていきたい。
本当は何も手に入らないとわかった上でね。


久々に、写真がすごく楽しかった。


大人になると、どうしても合理的になる。
全ての物事に意味を見出そうとするけれど
もっと、無意味なことも大事にする人でいても
いいのかもしれない。


カメラはわたしにとって
世界と対話するための、大事な魔法のアイテムなんだ。


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