見出し画像

あまのじゃくのひとりごと。エネルギースポットについて

こんばんわ、Kaloです。

タイトル打っていて「あまのじゃく」の漢字って「天邪鬼」って書くんですね。天(てん)の邪鬼(じゃき)なんだ...。
感慨深いようなそうでもないような〜(笑)。

と、今日はなんとなく最近、感じていること?をつらつらと。
まぁ、ほとんど、自分宛の内容で、どうでもいい話です(笑)



ーーーー
よくエネルギースポットとかで、神社に行くって話を聞きます。
一番有名なのは、伊勢神宮とかでしょうか?

「エネルギースポットだから〇〇〇〇へ行こう。」みたいな話を聞くと、
私の中で何かがゾワッとして、なぜか「ケッ」って思っちゃうんです。
これ、性格悪いからなのか、あまのじゃくだからなのか?
まぁ、そのどちらもだからですかね(笑)。

自分でも、この反応がどうしてだか、昔からよくわからないんですが、
どうも「エネルギーもらいに行くってなんだよ?」って
思っちゃうんですね。

昔から高級ブランドのロゴがついたセンスのないバッグ(←失礼)を
嬉々として持っている人たちを半ば軽蔑していた(←かなり失礼)のですが、感覚的にはそれに近いのかな?

なんというか、「自分」の外側のなにかをくっつけて
自分をより大きく見せようとするような〜…。

どこかに神聖なエネルギーがあるからご利益をもらいに行こうって
いう、そのマインドが、これに近い感覚って感じてしまうのです。

「エネルギースポットだから行く。」という感覚が
どうも、私の中の何かに引っかかるんでしょうね。
得をしたい。みたいな、その心根が美しくないってどこかで思っていて。

多分そこに許可を出せていない自分の一面があるのでしょうね。



あ、動物園にパンダ見にいくとか、それにも近いかも。です。
そんなに大勢が詰めかけて、パンダびっくりしちゃうし、
そのエネルギー、めちゃくちゃ怖いじゃないか!!!って感じ。(笑)

いや、神社が怖がっているっていうことじゃなくて(笑)
なんというか、得をしたいっていうそのエネルギーの渦を発している自分、ちょっと怖くないですか???っていう…そういう感じ。


ーーーー
昨年くらいから、なぜか急に海の近くに住みたくなって。
2011年の311以降の何年かは海は怖いという気持ちがずっと強くて
住みたいと思ったことがなかったのですが、
昨今は、どうせ死ぬなら海で流されてもいいな。と
やっと思えるようになったのですよね。
311の呪縛が最近やっと外れたのかもしれません。

なので海岸から歩いて5分とか、いいよなぁ〜...なんて妄想を膨らませて
いたのですが、何ヶ月か前にクリスタルボウルに聞いたら
「引っ越さなくていい。海や自然のある場所へはたまに行けばいい。」
と言われたんですよね。

まぁ、それも一理ある。
昨今は東京離れ、自然の中に住むブームでもあって、
時流に乗っかりたいだけなのかもな、自分。とも思うし。

ーー
私は2歳か3歳か、
ものごころついた頃から東京に住んでいるのですが、
両親が育ったのは日本海側の海沿いの街で、
それこそ母の実家は海から5分でした。
確か1歳か2歳かそのくらいのころに、
海水浴場で浮き輪に入れられて海にぷかぷか浮いていて、
そのまま浮き輪からすっぽりと抜けて
海に沈んで、溺れかけたことがあるのをうっすら覚えています。
いとこのお姉ちゃんがひっぱりあげてくれました。
でもトラウマになるより前の年齢だったからか?
海や水が怖いと思ったことはないのですが、
浮き輪は苦手で波に揺れていると酔っちゃいます(笑)。


いや、そんな話はどうでもよくて。


そう、ずっと東京に住んでいて、
高校生になってはじめて渋谷デビューをしたのですが、
109ができるなど当時の渋谷はイケイケの時代でした。
どんどん様変わりしていく渋谷を見ていて、
20代の頃には「東京にはついていけない」って、ふと思ったのです。
「東京疲れ」っていうのでしょうかね。

結婚していた20代後半から一時期大阪に住んでいたのですが、
初めて東京から出て、東京を客観的に見れたかというと
そうでもなく(笑)「どこも住めば都」なんだと思いました。

結局、東京に出戻りして帰ってきた訳ですが、
別に東京を好きというわけでもなく。
ただ育った馴染みの場所っていうだけの感覚です。

が、ここ最近、本当に最近ですかね。
ちょっと東京が好きって気持ちが芽生えてきました。

何かきっかけとかがあったわけではないのですが、
歳をとったせいなのかな〜?

今日もインスタにアップしたのですが、夕方に六本木を歩いていて、
昔は汚くて怖いイメージで嫌いだった六本木が
なんだかあまりにも変貌していて逆にノスタルジーを感じていました。


ーーーー
海辺の町へ引っ越したいという気持ちと
今住んでいる東京のど真ん中を愛している気持ち。
どちらもあって、どちらも捨てがたい。

確かに自然が多い場所は地球をより身近に実感できるので
地球と同化したい、その中に共に在りたいって憧れます。
それこそ自然の、地球の「エネルギー」。

でも、こうした場所のエネルギーということを考える時に、
思い出すのは、今年天逝されたティク・ナット・ハン氏のことで。

以前、ティク・ナット・ハン氏の記事を書いた頃に
どこかの記事に書いたかな?と思って見つけられなかったので書きますが、
彼が、プラムヴィレッジという瞑想センターを設立する時に選んだ場所が
戦禍で多くの人が亡くなった病院(だったか学校だったか?)で、
メンバーがティク・ナット・ハン氏に
「この場所はあまりに多くの悲しみが残っているので、
瞑想センターにはふさわしくないのではないか」と提言したところ
この場所こそふさわしい」と言ったそうです。

確か(うるおぼえですが)、
「私たちがこの場所で瞑想を続けることで、
この場所を悲しみの場所から癒やしの場所に変えることができる。」

というようなことを話されたと記憶しています。


ーーーー
私も「気がいい場所」は大好きですし、そんな場所に行くと癒されます。
できれば気のいい場所にいたい。って確かに思います。

その一方で
多分エネルギーってそもそも自分が発するもの、持っているもの。
自家発電できるものだって思っていて。

その「強さ」や「豊かさ」は誰もが持っている。って思うのです。

先に書いたティク・ナット・ハン氏が言うように
例えどんな場所にいても、その場所を神聖な場所に変えるくらいの
神聖なる力を一人一人が持っているのではないか?と。


蓮の花は泥水の中で生まれ咲く」と言いますが、
なんだか蓮の花のように生きることもまた、かっこいいのではないか。と。


ホストの帝王ローランドが、以前、ユニクロを着ていて
「動きやすくて気に入っているから着ている。
 ブランドの服には興味がない。そもそも俺自身がブランドだから。」
とかって言っていましたが(笑)


「そもそも自分自身がエネルギースポットだから。」ってことです。ね。

なにこの締め〜〜(笑)。



と、長々とここまで読んでいただいた方、
最後までお付き合いいただいて、本当にありがとうございます。

おやすみなさーーーい。











サポートいつもありがとうございます。 みんな大好き❤️ xxx.LoveLoveLove