見出し画像

私の本棚から5〜ティク・ナット・ハン 大地に触れる瞑想


こんにちは、Kaloです。



私がちょうど”Kalo”に名前を変えた 1月22日の午前0時に、
ティク・ナット・ハン師が、故郷ベトナムの地から、天へ帰られました。

おかげで、忘れられない日付になってしまいました。




私がティク・ナット・ハン師の存在を最初に知ったのは、2015年だったか、

NHK教育テレビ(今はEテレというのかしら)で、早朝5時から『こころの時代』という渋い番組があって、多分、ほとんど徹夜の仕事明けの日か、
当時、栄養学の学校に通っていて、毎月出される膨大な課題の論文を書き上げた日の朝で、そのまま眠らずテンション高めなまま観たのだと思います。


テレビをつけたら、若い僧侶たちが、ゆーっくりと自然の中を歩いている映像を観て、なんだろう?と思い、そのまま引き込まれてしまいました。

この時の回が、禅僧ティク・ナット・ハン師の特集の回。


たくさんの子供たちの前で、ティク・ナット・ハン師が水の入ったコップを片手に持って、水に話しかけていたシーンが印象的で。

水に姿を変えた”雲”さん(雲でなくなっても)
あなたは死んでなんかいません

(コップの中の)雲さん、空にいるのは楽しかった?
いい眺めだったでしょう

美しい地球を楽しむ時間はありましたか?

それとも他の雲と喧嘩ばかり?
雲として空に浮かぶのは素敵ですね

雨となって大地へ降りてくるのも捨てたもんじゃないですよ

かわいい雲さん、空が恋しいですか?
空に帰れるようにしてあげましょうか

今すぐ空に帰りたかったら
お鍋に入れて沸かしてあげましょうか

ちょっと熱いけど 15分で また雲になれますよ

ゆっくりしていって! 地上も美しいですよ
私の体の中へ遊びに行きませんか

体のすみずみまで行けるよう
あなたをゆっくりと飲みます

私の体は すばらしい世界です

いろんな道を通って 肝臓さんや 肺さんや
腎臓さん 細胞さんたち みんなに会えますよ 

数時間経ったら 息として
体から出てきてください

水蒸気となって 私の吐く息についていけば
ゆっくり空へ上がって また雲になれますよ

よい旅を!

Eテレ「こころの時代」より

ティク・ナット・ハン師の顔はとてもかわいらしく、
平和に満ちていて、美しかったです。

ーーーー
そして翌年、2016年に、私は無事に学校を卒業して、コロラド州デンバーに本校を置くNutrition Therapy Institute(NTI)の、栄養療法セラピストの資格を得ました。

と言っても、その後、栄養療法の仕事はまったくしていないのだけれど、その資格保有のおかげで、東京聖路加病院で、医療従事者と癌サバイバーとその家族の方を対象にプラムヴィレッジの僧侶の方々を招いて2日間行われた、マインドフルネスの研修に参加することができました。

学校でも瞑想の授業があったのだけれど、
瞑想の講座を受けたのはこの研修がはじめてでした。

講義の後に、お昼に用意されたお弁当を無言でゆーーっくりと食べ、
聖路加病院の講堂の中を、ゆーーーっくりと歩いたのを覚えています。
(それだけ?(笑))



ーーーー
今や、彼の唱えたマインドフルネスは世界中に広まって、彼の書いた多くの書籍も世界中で翻訳されています。

今日ご紹介する本は、その研修の時に、ティク・ナット・ハン師の多くの著書が廊下で販売されていて、その中から選んで購入した本です。

使われている紙も装丁も美しくて、優しいエネルギーを感じます。

翻訳者の島田啓介さんは、ティク・ナット・ハン師に仕えていた日本人の方で、日本でマインドフルネスの活動をされている方だそうです。

ティク・ナット・ハン  大地に触れる瞑想


表紙にもありますが、この本には、
マインドフルネスの46のメソッドが載っていて、そのひとつひとつは実用的な瞑想の方法というより(いえ、ある意味一番実用的なのかもしれませんが)意識の在り方について46のテーマで書かれています。


今回は、
序章部分にちょうど、マイブームである(笑)
太陽について書かれた文章があったのでその部分と、
No.44を転載させていただきます。
気になった方はこの本をぜひ手に取って読んでみてくださいませ。

太陽はこの胸の中に
愛する母よ。あなたが私たちにいのちを与え育てていくために、太陽の存在は欠かせません。太陽は私たちの父親です。太陽もあなたも果てしのない軌道を描きながら三六五日十二ヵ月の完壁なめぐりを私たちに与え、春夏秋冬の四季を作り出します。
父なる太陽から放出された光はあなたに温度をもたらし、光合成を可能にします。その助けであなたは私たちのいのちをたもつのです。あなたも父なる大太陽も、気体と塵でできた回転する巨大な星雲から生まれました。太陽の直径はあなたの百倍以上もありますが、あなたの軌道の差し渡しはきらにその二倍にも及びます。その距離はほんの一億五千万キロですが、太陽光があなたに到達するのに八分以上はかかります。
私たち一人ひとりの体には心臓がありますが、停止すればその場で私たちの息は絶えます。見上げれば、この小さな体内ではなく、太陽系に存在する太陽もまた私たちの心臓だとわかります。もし父である太陽が消滅すれば、私たち人間だけでなく、母親であるあなたのいのちも終わります。ですから深く見つめて太陽が自分の心臓であることがわかれば、父の存在が私たちの内にも外にも見え、最終的には内も外もたんなる概念だと理解できるでしょう。
愛する母よ。見つめるたびに、あなたの中にも私の中にも父が見えます。父は空だけでなくあなたや私の中、この地上にも存在するのです。毎朝太陽は輝くばかりの赤色の円盤の姿を東の空にあらわし、たとえようのない荘厳な光彩を四方へと放ちます。わが父は、太陽神、スールヤであり、スンナーです。彼は偉大なブッダ、大いなる菩薩です。偉大なる太陽の如来であり、無限の光、永遠のいのちです。そして阿弥陀です。父の物理的な大ききは母をはるかにしのぎます。
父は優しい心と許しに満ちた存在ですが、強大な力と勇気をもち、荒々しい性質もあらわします。その王冠の温度は摂氏五千五百度以上で、物質としての組成は電離したプラズマ状態にあります。太陽には、あなたがまとう優雅で若々しい緑の上着に似た、硬質で安定した外殻はありません彼はこの銀河系でもっとも大きな天体のひとつです。天の河にある二千億の星のうち八十五パーセントは、父なる太陽よりも小さく暗い星です。しかし地球の三十三万倍もの体積をもつ大きな太陽も、ゆっくりと衰えています。太陽は毎秒ごとにその体の小さな部分を、光工ネルギーというかたちで字宙空間に放っています。愛する母よ。その光のエネルギーを受け取り変容することのできるあなたの力のおかげで、地上の生命は存在できるのです。
無限の寿命をもつとはいえ、父もまた無常であり、これからの百億年でその質量のほとんどはエネルギーに変換されるでしょう。その後は現在の形状をたもつことはできなくなりますが、形を変え、何百億年もかけて放出されたエネルギーとして存続します。
父が放った光は彼自身の継続であり、たったひとつの光子できえ消滅してはいません。だからこそ真の意味で父の寿命は永遠なのです。

ティク・ナット・ハン  大地に触れる瞑想 17p

No.44   あらゆる存在とひとつになる

わが師ブッダよ。私は、すべての方角へと広がる驚くべきいのちの模様の一部です。私は、自分が一人ひとりの人間やあらゆる生物たちとしっかりとつながっていることがわかります。人類すべての、あらゆる生物の幸せと苦しみは、私自身のものです。

私は、生まれつき障害をもつ人たちや、戦争や事故や病気で障害を負った人たちとひとつです。私は、戦争、圧政、侵略によってとらえられた人たちとひとつです。また、家庭にも社会の中にも幸福を見つけられない人たちとひとつです。

彼らには根がありません。心の安らぎもなく、理解と愛に飢えています。そして美しく、真実で、健やかな、頼れるもの信じるに足るものを求めています。

私は、死後の行き先がわからず恐れる、亡くなる間際の人たちとひとつです。私は手脚が棒切れのように痩せた、未来が見えない貧困と病気の悲修さの中で生きる子ともたちと一緒です。また、武器を貧しい国々に売りつける武器製造者とも一緒です。

私は池の中で泳ぐカエルです。そしてまた自らの体を養うためカエルを餌にする水ヘビです。私は芋虫であり、アリです。そして、芋虫やアリを食べようと追いかける鳥です。私は、切り倒される森であり、汚染される水や空気です。その森を切り、水や空気を汚す人間でもあります。すべての生物の中に私は存在し、すべての生物が私の中にいます。

私は、生もなく死もないという真理を証し、生と死、幸福と苦の誕生を静かな目で見つめることができる、偉大なる存在とひとつです。私は、この世界のさまざまな場所にわずかながら存在する、智慧に満ちたすばらしい人たちとひとつです。私は人生を豊かにし癒してくれる、すばらしいものとつながる人たちとひとつです。愛の心と思いやりのある働きをする両腕で、この世界全体を抱きしめる人たちとひとつです。

私には安らぎと喜びと心の自由がたっぷりあるので、まわりのいのちある存在すべてに、恐れのない心と生きる喜びを与えることができます。私はひとりではありせん。この世界の偉大な存在たちの愛と喜びが、私を支え、絶望に飲み込まれるのを防いでくれます。彼らは、私が心安らかで喜びに満ち、思い残すことなく深く生られるよう助けてくれます。偉大な存在たちの中に私が見え、私の中に偉大な存在たちが見えます。

*               *                *
わが師ブッダよ。私は、この世界に今いる偉大な菩薩たちとひとつであることを知るため、また彼らの膨大なエネルキーを受け取るために、三回大地に触れます。私はさらに、すべての生き物の苦しみとつながり、私の中に慈悲のエネルギーが生まれ育つように大地に触れます。

ー 鐘を招いて、大地に触れる

ティク・ナット・ハン  大地に触れる瞑想 165p



実は購入した当時は、この本をほとんど読んでいなくて…(苦笑)
でも美しい本なので、お気に入りの本が並ぶ、
本棚の手前の一番いい場所に置いてありました。

そして今回、記事を書くために
本棚から手に取ってパラパラとページをめくっていたら、

あ〜〜...と思いました。(最近、このあ〜〜...が多いです)



この本の各メソッドの最後にそれぞれの祈りの言葉とともに
「大地に触れます」と入るのです。
裏表紙にも書いてあるのですが。

ティク・ナット・ハン  大地に触れる瞑想


今、まさに私が毎朝瞑想でやっていることで(もちろん知らずに)
瞑想前と後、途中でも、そう思ったら何回でも
床に額(第三の目)をつけて、ほぼ無意識に「帰依します」と言って
地球に感謝とエネルギーを戻す気持ちで呼吸をし、全身を委ねています。

まさに「大地に触れる瞑想」していました。


なんだか、笑ってしまいました。




私がこの本を今、開くことも

この記事を書くことも、きっと決まっていたのでしょう。


ちなみに、No.5の文章にこんなことが書いてありました。

どんな存在もほかから分離してそれだけで存在することはありえないことを理解します。
すべてはすばらしい「あらわれ」であり、現実の中で単独では存在せず、本質的に分離していません。
あれがあらわれるからこれがあらわれ、これがあらわれるからあれがあらわれます。あれの中にこれが存在し、これの中にあれが存在するのです。

ティク・ナット・ハン  大地に触れる瞑想 


「こんなふうに、すべては繋がっているのだよ」と
ティク・ナット・ハン師が、天から笑顔で言っていそうです。




きっと読まれる方も決まっているのでしょう。

”すべてはあらわれ”  ですね。



ではでは、どうもありがとうございました。

サポートいつもありがとうございます。 みんな大好き❤️ xxx.LoveLoveLove