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本人を置き去りにしていない?

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「何で英語が出来ないと駄目なの?」

もう5年以上前にお子さん達の支援方針を決めるケースミーティングで当時の先輩(後の上司)から言われた一言です。

「発達障害をもっている人の支援がしたい」という想いから、私は放課後等デイサービスで勤務をしていました。当時、中学2年生でアルファベットも怪しかったお子さんに対して、「中2でアルファベットを書けないのはまずいな」そう思っていました。もちろん、そのお子さんを軽蔑したり非難したりしていたわけではなく、「なんとかしてあげたい」という想いから沸いた感情でした。しかし、そこには私の

・「勉強は出来た方が幸せになれる」
・「勉強の得意不得意に関わらず勉強はできた方が良いと思っている」
・「勉強は出来ないとダメだと」

といった思い込みがありました。


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馬を水辺に連れて行けても水を飲ますことはできない

この言葉は、全世界でシリーズ累計600万部の大ベストセラー『嫌われる勇気』にも出てくるイギリスの諺です。
馬に水を飲ませてあげようと思って水辺まで連れて行くことはできます。しかし、水を飲むか飲まないかは馬自身が決めることであり、人が無理矢理に飲ませることができないということです。
つまり、周りの人がいろんな機会を与えて支援することはできますが、最終的にそれを実行するかどうかは本人のやる気次第であるという意味です。

「英語が出来ないから、英語が出来るようにサポートする」

一見すると、至極真っ当な意見かもしれません。「その子のことを思っている優しい人」と思ってくれる方もいらしゃるかもしれません。
しかし、そこには「本人の意志」が抜けています。いくら周りが勉強が出来るようになった方が良いと思っていても、それを本人が望んでいなければ意味がないのです。
冒頭で述べた英語が苦手なお子さんについて「アルファベットが書けない」という事実は確認していましたが、本人が英語力の向上を望んでいるか確認していませんでした。


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「生きていくうえで英語は必要?」

「何で英語が出来ないと駄目なの?」その質問の答えに窮していると、続けて「英語が出来ないと生きていけないの?」そう質問されました。「生きていけないことはないですけど、出来ないより出来た方が良いかと、、、」と呟くように答えると「本人が望んでいなくて、絶対にやらなくて良いことならやらなくても良いんじゃないの?」そう投げかけられ私は黙り込むしかありませんでした。
もちろん、「生きていくうえで必要ないかもしれず、本人がやらなくても良いと思っていること」全てをやらなくても良いわけではないことを先輩も分かっていました。

「本当に英語を頑張ることが、その子にとって今、必要なこと?」
「もっと別のことに時間を割いた方がその子のためになるのでは?」

という問いを私に与えると同時に、
私が本人の意思を置き去りにしている且つ、自分の価値基準や思い込みだけで支援方針を考えていたことに”待った”をかけてくれたのです。そして、この出来事は私の #思い込みを変えるきっかけとなりました


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自分の幅が広がった

結局、そのお子さんも「本当は(英語に限らず)勉強が出来るようになりたいとは思っているけど、どうすればいいのか分からないで困っていた」ということが分かり、一緒にその子に合った勉強方法を探してみることになりました。
「苦手な英語を克服する」という最終的なアクションは同じでも、そのプロセスには大きな違いがあり、恐らく最終的な上達具合も天と地くらいの差があったでしょう。

それ以来、私自身
「勉強やりたくないなら、無理にやらなくても良いんじゃない?」
「勉強できなくても別に良いんじゃない?」
「勉強頑張りたいなら、一緒に頑張ろう!」
「絵を描くのが上手だから、そっちを頑張ろう」

と、気軽に考えられるようになりました。
もちろん、「学ぶ」ことで得られるものもたくさんあります。「水を飲んだ方が元気になれる」、「飲まないと死んでしまう」ということを本人にも納得してもらい、水を飲んでもらうのも私たちの仕事です。
ただ、「水は絶対に飲むべき」とは限らないのです。

これが私の #思い込みが変わったこと です。

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