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『待てる』能力【比べない体育 Vol.8】

“船橋インターナショナルスクールで、『古武術で遊ぼう』のクラスを担当してくださっている玄武術【天根流】代表の方条遼雨さんと共に、比べず、体を育んでいくための場について学びを深めるため、『比べない体育』という講座を開いています。詳しくは、こちらのnote記事へ。 

 この記事は、2021年5月開催分の講義ノート~人間の能力はタンクと蛇口【比べない体育Vol.7】~のつづきです。◆は方条さんのお話、◇は参加者の方のお話です。 ”

◆『待てる』能力

行ったり来たりはいずりながら、『待てる』時間を増やしてきたのが人類の進化です。もともと人類も獣。獣は、不快なことがあったら噛みつくし待てないんです。人は『待てる』能力を手にしてから、進化するようになった。

子どもは獣の部分が色濃く残っているから待てないことが多いけれど、大人になると待てる。待てないまま大人になってしまうと、パワハラな人になったり、成功して独裁者になったりする。政治家や自分が関わる人を選ぶ時は、『待てる』かどうかを見極めると、自分にとってもいい場が生まれてきます。あまり待てない人の近くでは活動しない方がよいと思っています、仕方ない時はありますけれど。

人と人が話し合う場は、絶対意見が統一されていることはないんです。ないからこそいいのだから、違う意見を聞いた時に反射的な不快を脇に置いておいて、その先に何があるかを見る。その『待てる』能力が、人類の最大の特権であり進化なんです。

それを放棄するとだんだん戦争に向かったり、待てない政権みたいなのが生まれたりする。だから、国の『待てる』人の割合が、待てない人の割合を上回っているかが、国造りなどでは大事な要素になってくる。

その上で、戦争した方がいいと思えばすればいい。けれど、瞬間的な激情にとらわれた判断は、後悔することが多いものです。口論等でもかっと血が上ってひどい事を言ってしまって、あんなこと言わなきゃよかった...、と思うことありませんか。それが獣の部分の表れだったりする。

どんな時も『待てる』知性、それがあるとそれまで不快だった領域からも情報を取れるようになり、ものすごい拡張になる。

例えばLGBT法案否決。国の待てる力の低下の証拠のようなものです。人間の本能でいえば、不快が反射的にでる要素が含まれています。一般的な性的成長を遂げた人が、同性から性的に言い寄られたら嫌だと思うのは本能だからしかたない部分がある。けれど、LGBTの人にも言い分があって、良さがあって、その人たちの場を担保することで何が得られるかは、『待てる』能力によるんです。不快だから間違いだという短絡的な考えでいるうちは、まだ進化の途上です。

世の中には、多様な考え、多様な在り方、多様な人種などがある。そして、人間はもともと集団を守るために、自分の種から離れたものに瞬間的に嫌悪憎悪を抱くような機能を持っているんです。原始的な集団を守るためには、怪しげな集団が現れたら、殺されるか殺されないかだったのだから。だから人種差別は起こるのだけれども、その嫌悪の向こうにすごい人がいることが分かってきた、そこが人類の進化の歴史の大事なところ。

だから、多能なものをいかに収納する場をもうけることは大事なんです。

◆多様なものを収納する場を設ける

『待てる』能力も、自分の心がけでどんどん成長するものです。私だって、瞬間的にこのやろうと思う若い時を経て、ずいぶん思わなくなった今に至ってる。取り組んできた武術やなんかがすごく作用していると実感しています。多様なもの、多様な人、多様な能力を同じ場の中に収納し、しかも相互に作用しながら成長する場を作れるかが、あらゆる場で大事な要素になってきます。

その一つの在り方が「比べない体育」だったり、「ディベートしない話し合い」です。この考えは、こなれてきたら政治の話でも使えそうだと思っています。他にもトレーニングプログラムに組み込んでも面白そうですね。指導者同士で、その場における問題点を心穏やかに場の成長のために表しあう。けれど、そこで絶対に自分の考えを押し付けたり、自分の考え色に染めようとしない。変わろうと思えば変わればいい、変わらないなら棚上げにする。違ったら違いますねで終わらせる。 

そう言う場で、なんとなく均等にフェアにそれぞれの考えを出し合っていれば、なんとなく自分の考えはおかしいなと感じ始めたりする。その時はわからない人でも、意固地になっている人だったとしてもそうじゃないかと思っています。


◆場における結論

場における結論を出すには、審判みたいな人を置かなくてはいけない。審判を立てると、その人の主観によって正しい、間違いと判断され、それで勝敗を付けることになるけれど、そんなことしても仕方ない。また、討論番組で"正しい"と"間違い"をボタンで表示するようなものがあるけれど、その場にいる人だけの意見だし、その場にいる人のレベルによって結論がちがってくるのであまり意味がない。

それぞれが考えればいいし、それぞれの中に答えがあればいい。そして、それがその場における多様性になる。多様な性質や人間を収納する際に大事なのは「場」に対する考え方です。

Vol.9につづく

講師/方条遼雨
文責・写真/あおいえりか


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