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現場で磨かれる【比べない体育Vol.5】

船橋インターナショナルスクールで、『古武術で遊ぼう』のクラスを担当してくださっている玄武術【天根流】代表の方条遼雨さんと共に、比べず、体を育んでいくための場について学びを深めるため、『比べない体育』という講座を開いています。詳しくは、こちらのnote記事へ。

この記事は、2021年4月開催分の講義ノート(後半)です。前半はこちら
◆は方条さんのお話、◇は参加者の方のお話です。

◇FISでのかかわりの変化 

〜"古武術で遊ぼう"サポートスタッフTさんより〜

最初は、子どもたちに言われるがまま、されるがまま、全てを受け身にしていました。それは、ブラックホールみたいで。何をしているかわからないし、場もぐちゃぐちゃ、とりあえず遊んでいる状態でした。楽しいのだけど、体力も奪われるし、同じトーンを守っていなくてはいけない感じで疲れました。キャパオーバーになっていることにも気づかず、楽しいからいいかなとやっていたんです。

(古武術で遊ぼうの会場が公園になって) 公園という広い場は、密着している時は見えていないことも、遠目で見ている必要性が出てくる場。子どもではなく、私も一人になれてしまう。そこで気づいたのは、全体が見える位置で何もしないでもいいし、遊びから離脱してきた子が集まってきたらそれが盛り上がった時に離脱してもいい。場が盛り上がっている時ぽつねんとしているのが大人でもいいということ。

『やりたいことやれないこと』『やりすぎる事とやらない方がいい事』を少しずつやっていったら、思いっきり遊んだ感じであっても、その後仕事に行ける余裕も出てきた。場の雰囲気も今までよりいいし、子どもたちが自ら発見して何かをする余裕ももててきた。そんな違いがあるように思います。

◆これまでの講座の内容はこちらから


◆動きが一つの生物のようなチーム

子どもたちにされるがままにぐちゃぐちゃにされていると、楽しそうだけど大変です。やっていれば勘所が分かってくるものです。行列のできるもてあそばれ屋さんから、エレガントな身の振り方を勝手に獲得していって、どこにいて何をすればいいかが分かって来るという良い例です。

"かまって欲しい!"のエネルギーがある子は、その子だけで成立しているからほおっておいてもいいんです。代わりに、ぽつねんとしている子のところへ行く、すると他の子どもも集まって、遊び始めたりします。そこに循環、渦が生まれる。それが場を均し、潮目を読むという考え方です。

他の組織でもこの考え方でいれば、違う組織が生まれてくると思っています。

それぞれ個々に考えながら、場を感じて場を均すような、全体の動きが一つの生物になったようなチームが生まれてくる。一定の権力者が統制するシステムは、脆弱で未熟なシステムだから時代遅れになってくる。

私は私がいつ消えても成立するシステムを目指しています。私が消えてもその場の他の重力が残っていれば、新たな重力関係が生まれる。相対的に誰かの重力が増すことだってある。私がいる事によって学ぶこと、いないことによって学ぶことどちらもある。

場における自分の影響力を保とうとすると依存関係を作ってしまう。親子関係みたいなものです。単独でも成立するシステムがいい。FISでの場は、私が来れなくても、アシスタントとスタッフで回せるようになってきてると思ってます。それが大事。

1人が影響力を持っていなくても複数集まれば、その集合した重力を作れるから、一人で回せないなと思うなら、複数人で寄り集まって回してみるといい。だんだん勘所が分かってきて、2人でやってみて、そして1人立ちするときがくるかもしれない。


◆指導資格

指導資格は、一定の実力を認められ指導していいよとなるけれど、本質的に指導に値する人なんていない。みんな未熟者だから、そんなシステム機能しないと思っています。面白味のある素人の方がましです。

ただインプットした知識をよりどころに、メソッドをそのままなぞることは指導といえず、ただの伝言ゲームみたいなもの。そこにある存在に目を向け、その存在の集合体という場に目を向け、自分の能力を把握して、その瞬間の最適つまりその人の最善を選択できるかが大事なのです。

その経験を蓄積して、落ち込まずに反省して次に生かす。そして、その経験をシェアすると、体育教師のようになっていく。つまり、誰でも体育教師になれるよと言える講師を育てられるんです。

人見知りであれば、とにかく現場に立ってやってみることがその人を一番成長させます。下手な人がやらないで上手な人がやるパターンだと、下手な人は縮こまっていつまでも成長しない。引っ込み思案だったり口下手な人ほどいいものを持っていたりするものです。

場をわかっておらず、割り込もうとするだけで何も見えていない人よりも、思慮深くいる人に積極的に話を振った方が面白いものが引き出される。しゃべりたがる人ほどしゃべらせないで、言いたそうで言えない人にしゃべらせるといいものが出てきたりします。また、活発さが引き出されたり、一人でも成立している子の見極めも大事。なぜなら、浅はかな考えや行動で、大事な空間を邪魔してしまうことになってしまうから。

誰もが体育教師になれます。経験を積んで、一人でかまうことができないなら複数でやればいい。積極的に説明する経験を積めば、自分が研修する人にもなっていける。どんどんやればいいのです。それは、色んな人がチャレンジする場においてそれは大事なことです。

失敗は笑い飛ばしても、笑いものにしないで、のびのびと失敗して実験できる場では、失敗してのびのび成長できます。

場が停滞している時に、なるべく自分は呼び水みたいなところでとどめて、場の全体の自然な流れを生み出せるほど、うまくいっている場になります。自分だけのエネルギーだけ何もかもしようとすると、ろくなことはない。

その場のエネルギーにうまく接続して転用できると、楽をできるし、いいものが生まれるし、その場の人たちとしか生まれ得ない何かが生まれてくる。


◆現場で磨かれる

輝いているからテレビタレントなのではなく、テレビタレントだから輝いているということが大いにある。テレビに出されているうちに輝いてくる人はいっぱいいる、人に見られながら現場で何かすると磨かれる。小さい場でも、相手のことを考えざるを得ないし、場やニーズに向けて発信する回路が生まれてくる。どんなに潜在的に優秀でいいものを持っていても、そこを磨くかどうかでプロかどうかは違ってくる。

だからみんなを壇上にあげて説明してもらっています。

前に出て、何も出てこないという経験すらもやっておくといいんです。次は何か出てくるかもしれない。その時点で大きな進展です。そのうち二言くらいならできるとわかってくる。「緊張しいだから」とやらなければ、一言で終わってしまう。どこかでそれを試したいなと思って、積極的にやってみることができる場を作れば、失敗をしたくないような場面でもいつの間にか説明できる人にだいたいなっていきます。

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【実践】初参加でも発表してみよう

(初参加の方が、しばらく言葉はなく笑顔で前に立つ)

他の参加者:質問していいですか?

Q:場の作り方の違いや同じことはありますか?
A:自分が習ってきたときのやり方がモヤモヤすることがあったけど言えず、自分の中で考えるということをしていました。引っ込み思案だったけど、従わなかった。私がやるなら、みんなで育てる場を作りたいと思っています。でも難しい。


Q:どんなところが難しい?
A:未熟なりにやってきたら、講師も生徒も一緒に立ち上がってきた。けれど、新しい子たちが増えてきて、上の子が下の子を受け入れないという今までになかった資質を持っている子たちが増えてきた。自分を見てほしいが強い子がいる場になっている。踊りを教えるどころではなくなってしまうことがある。

他の参加者:承認欲求が強い子は自分で近づいてくるから、ほっておいてもいいかもね。やり方はあるかもね。


【Q&A】

Q:改善されないことに大人がイラっとしたらどうすればいい?

方条さん:イラっとするのはイラっとした人の問題。苛立つ自分の問題と考えた方が解決は速い。その子が、改善しようとすらしていないのなら、その人なりのふるまいだからほっとけばいい。

場に改善しない人がいた場合、改善しないというい負の歪な重力が働いたりする。どのくらいの距離をとってどう働くかのフォーメーションができて、全体でその人の解決しなさを補うような場ができてくる。直接改善しないことを攻撃するのではなくて、全員がその人がいる状態での最適を目指せば、そこに巻き込まれてその人の改善が始まったりする。

圧力とか攻撃で修正しようとすると、その人の重力が高まりすぎて崩壊してしまったりする。圧力や攻撃で修正や強制を試みると委縮してしまって、ますますチャレンジができなくて成長が止まってしまう。だから運動嫌いが増える。

怒られたり採点されたり補欠にされたり、そういう人もいる中でどう楽しくするかを考えればいい。周りから包み込むように改善を促すことが近道だったりする。

思ったことをシェアすると他の人の情報にもなる。


◇初参加の方の感想

のびのびと失敗する環境は、私も欲しい環境。誰もが欲しい環境。場と宇宙、場はステージという話は、舞台でインプロヴィゼーションのやり取りをしている状態に似ている。先ほど初めての方の発表で、言葉が出てこない人がいた時に質問をすることが呼び水になって、スピーカーが話し出したのを目の当たりにした。

サポートスタッフTさんへの質問
Q:最初のころより、いい状態の場ができていると話していた。何をもって良い場と感じたのか。

A:スタッフが2人だったということもあったのだけど、それぞれが一生懸命すぎて響き合いもしなければ、分断されてた感じ。その時の方が、密度は濃いけど狭いし、小さいし、つまらない、決まったことをやってる感じが強かった。今は、人が増えたのもあるし、場が広いこともあるし、お互いが言葉で伝えあわなくても連係プレーをとるから、安心して任せられるということが分かってきている。

笑いものになってもいいし、失敗しても誰かが拾ってくれたり、別のことをしてくれる安心感があって、余白ができた感じがする。何でも試せそうな気がする。子どもたちと遊びを作る創造性が今の方が広い。だから動けている感じがある。何かをするのでなくても人と接する安心感、信頼感も育める感じがあって、それがいい。余白だったり失敗してもあるべきところに行くよねといいう安心感。


◆失敗と均し

今の失敗は、重力のエアポケットのようなもの。失敗が起きると慣らしが入る。問題が生じると場のフォーメーションを変えて場が動き始めるんです。トップダウンの構造は個々が考えない馬鹿になってしまう。理想とするのは、場に集う人それぞれの人がその人にとってのその人の司令塔を持っている状態。そいう場は、集合知性のある場になる。

個々に独立して一つの大きな生命体になる。個と集団の両極があると、ミスしてもトップがいなくなっても、フォーメーションを変えて動いていく、そういう集合知にしていきたい。

だからオープンソースにするし、フィードバックができる場を作る。そこにお土産を持ってきてくれる人がいるような場に育ってきていますね。


講師 / 方条遼雨
文責・写真 / あおいえりか

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