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「相手と”合わせる”部分を多くする」←マイブーム

今出席している大学院の講義で、「人と意見を合わせる時、何を合わせているか?」という問いかけがあった。
私たちは、ざまざまなものを合わせていって、その先に「合意」がある、という話だ。

これは、私にとって目から鱗の話だった。
私は、他人に「気持ち」を合わせていくのは上手い方だと思う。丁寧に話を聞いて背景も聞き、状況を理解し、その人の気持ちに自分の気持ちを重ねて、理解していく。
なのに
「結果」を出さなければならない、多人数の話し合いの時は、一人で勝手に心の中で「結論」を考え、皆との違いに呆然とし、「あきらめる」。

このギャップはなんなんだ?

「結論」が見えたと錯覚し、途中のプロセスが成功すると思えず、勝手に絶望して、プロセスに参加することもやめてしまう。相手との違いや隔たりの大きさだけが見えてきて、「埋められない」「超えられない」だから「参加が面倒だ」と思ってしまうのだ。

私はその時、「何が一致しているか?」については、気を払っていなかったのではないか?
たくさんある「合わせられること」のうち、何が合っていて、まだ、何が合っていないのか。そんな風な視点で考えたことがなかった。
外側から見て、結論が一見一致していないように思えても、何が合っていて(希望)、何が合っていない(課題)のか、に思いを馳せると、「絶望」はしない。希望があって課題があるだけだからだ。
もちろん、大事なことが合っていないから、「結論」に至れない、と判断することもあるだろう。でも、「違い」ばかりに注目して、感情的に「おわった」と思うのと、「〜〜が一致していないから、難しい」と問題点を分析できるのでは、その後の手の打ち方、自分の行いの判断に違いが出るし、何より、自分自身の精神衛生上、大変良い。

この授業を受けたのは、今から3週間くらい前なのだけれど、それからいろいろな場面でこのことをと考え続けている。おかげで、精神衛生が大変よろしくなった気がする。つれつれ書けたらいいなと思う。


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