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『ドラゴンボール』で最強の戦士は誰か?今どきの中学生と、敏腕弁護士に聞いてみた話

川口はよく甥っ子とメダルゲームをしにいく。

試合会場は、荒くれものの溜まり場である“〇オン”だ。

自分は、最初に100円パチンコでメダルを100枚ほどまでに増やしてから、それを元手にちびちびとメダル落としをやる派。

甥っ子はざばざばとマシンにメダルを投入していく派。

さぁ、どちらの方が勝ちやすいでしょう。

メダルゲームを好きな人はみんな知っているが、ざばざばの方が勝つんですわ。ほんとに。

そんな甥っ子が今、はまっているのが『ドラゴンボール』。

TVアニメと映画、『ドラゴンボールZドッカンバトル』『スーパードラゴンボールヒーローズ』と漫画以外のいろんな形でこのコンテンツを愛している。

ちゃんと次の世代に引き継がれているんですな。

こうなると聞きたいのはやはりこの質問。

「『ドラゴンボール』で最強戦士は誰だと思う?」

これには秒もかからず即答が返ってきた。

「やっぱり1位は、ジレンでしょ。」

「え?なんで1位だと思うの?」

「悟空とかベジータを圧倒的にやっつけてたから」

「ちなみに2位は?」

「孫悟空(身勝手の極意“兆”)でしょ」

「なんか昔と違うかんじだね」

「もう時代が違うから」

「一番弱いのは誰だと思う?」

「これじゃないかな」

甥っ子がiPadで見せてきたのは、まさかのブルマの絵。

「だってサイヤ人じゃないし、地球人じゃん」

と。

今のジャンプヒロインといえば『ONE PIECE』のナミが人気だが、僕らにとってジャンプヒロインは『ドラゴンボール』のブルマだった。

亀仙人の鼻腔内血管を破裂させ、ヤムチャの眼球を肥大化させたブルマのアイドル性は国民的存在だったともいえる。

メカをいじれてバイクで疾走する理系女子最高峰を射止めたのは、ヤムチャではなくベジータであった点も強烈だった。

そのブルマが「弱い」という観点で出てきたのがとても興味深い。

うちの甥っ子、硬派っす!

「ちなみにミスター・サタンはどう思うの?」

「まぁ、普通の強さ。だってサイヤ人じゃないから」

だよねー。だよねー。

サイヤ人じゃないからね。

地球人だからね。

だよねー。

さぁ、ここで登場いただくのはご存知、漫画を深く読む弁護士、小野田峻さん。

「G線上のアリア」のテーマ曲で入場です。

『ONE PIECE』ファンの皆さんとハイタッチをしながらにこやかな登場です。

ちなみに小野田弁護士の『ONE PIECE』にまつわるバズりまくった衝撃の記事は下記をご覧いただきたい。

実は甥っ子とのこのやりとり、小野田弁護士から先に、「もし『ドラゴンボール』の戦士が現代に転生したら最強は誰か問題」という、流行りの転生もの、かつ、最近ヤムチャのアレが話題になったまさかのその逆の妄想という、誰も考えたこともないようなお話をしていただいたことがきっかけ。

その内容が相変わらず面白すぎたので甥っ子にも(ちょっとわかりやすくアレンジして)リサーチしてみようと思いついたものでした。

というわけで、ここからは、そこから遡ること1ヶ月ほど前のお話を。

酒を飲みながら漫画話に花を咲かせる面々にネタを求められ、ちょっと悪戯っぽい笑顔でおもむろに話始める小野田弁護士。

「みなさん、ドラゴンボールのキャラクタの中で誰が一番好きですか?」

拍子抜けするほどベタな質問。

悟空以外にも、フリーザやセルといった有名どころの敵役の名前や、バーダックやベジータなど背景ストーリーが厚いサイヤ人の名前、あるいはレッドリボン軍のはっちゃんといった初期のキャラクタを推す声もあがる。

「ですよね。やっぱりその辺りになってくるというか、結局のところ、大体の人がフリーザ編か、あるいはセル編あたりを答えるところですよね。

さらに漫画好きの人なら、ドラゴンボールは、本来はフリーザ編で完結する予定だったところを編集部側の要請で連載が引き伸ばされただけだからフリーザ編以降は惰性だ、なんて話も、真偽は別としてよく出る話で。」

頷く我々。なんたってその“漫画好き”たち本人ですからね。

「で、これと同じ質問を作者の鳥山明先生に聞いたら、なんて答えられたと思います?」

「そりゃあ孫悟空では?あるいは、ベジータ、とか?」

「それが、孫悟空でもベジータでもなく、ミスター・サタンなんですよ。」

えっ?ミスターサタン?

あの頭の大きな口ひげの? 地球人の?

「何かのインタビューだったかで、鳥山先生ご自身がそう答えていらっしゃるんです。私、世代的にドラゴンボールってど真ん中なので、当時これ知ったとき、よりによってなんでミスター・サタンなんだ、って思ったんですよね。

だって、ミスター・サタンって、Z戦士たちの戦いを追っかけ続けてきた側からしてみたら、単純に見ててイラッとくるじゃないですか(笑)。

悟空たちのおかげで地球が救われたのに、それを自分の手柄にして。

確かに、振り返って見れば物語を進めていくという意味で重要なキャラクタでしたけど、だとしても、鳥山先生が一番好きってそれなんで?って思いません?」

思います思います!頷く一同。

そこで何かを察したのか、ニヤッと笑う小野田弁護士。

「川口さん、今日はこれで行きましょうか。なぜ鳥山先生の一番好きなキャラクタがミスター・サタンなのか。」

出ました。書き手と向かい合うようにして読む小野田流メソッド。

はい、それでおなしゃす!

「大人になってからもずっと、鳥山先生の真意というか、ミスター・サタンってキャラクターの、『ドラゴンボール』での役割ってよくわからなかったんですよね。でも、今の仕事を始めてから改めて『ドラゴンボール』全巻を読んだときに、ようやくわかったんですよ。

さらに、それがわかった上で『ドラゴンボール』という作品を俯瞰してみたときに、さっきの、“実はフリーザ編で完結する予定だった説”からすると、惰性も惰性のはずの魔人ブウ編が、本当はものすごく良くできている物語というか、むしろ、今この時代にこそ読まれるべき物語だなってことにも、気がついたんです。

なので今日は、私の話を聞いて、みなさんが、ミスター・サタンがいかにすごいかがわかり、魔人ブウ編を読み返したくなったら、私の勝ちってことで(笑)。」

よし!と、『ONE PIECE』戦に続き、この3戦目に前のめりになる私こと川口。

ただ今日は、私だけじゃなく、マンガ新聞レビュアー定例会に参加の周囲の皆さんも前のめりです。

「さて、じゃあ、いきなりミスター・サタンの話をする前に、少しだけ私の弁護士としての仕事の話をさせてください。川口さんはご存知の部分も多いかと思いますが、後々きちんとミスター・サタンに繋がってくる話ですので、ご心配なく(笑)。

私は普段、大きく2つ、「企業法務」と、社会起業家とかソーシャル・スタートアップと呼ばれる人たちの「伴走業務」とを専門にしています。

前者は、社員の方とチームを組んだり、CEOと直接やりとりをしながら、その企業の事業上の収益はもちろん、その企業が社会からの期待や社会的責任にどう応えていくかという部分、いわば、ブレーキだけじゃなくアクセルやハンドリングも併せた事業戦略の部分をお手伝いするような仕事です。

後者は、「市場の失敗」と呼ばれる領域、例えば現場の方々の踏ん張りや公的なお金でなんとか成り立っているような社会課題領域に向き合い、常識に捉われない革新的な仕組みや製品を具現化しようとしている人たちに伴走したりしながら、彼らの多様な可能性を未来に繋げる仕事です。

社会からの期待や責任に応えるという業務と、社会起業家に伴走するという業務。

両者の業務は、規模や領域の違いはあれど、共通している部分があって、それは、専門家じゃない人たちや、その取り組みに興味関心のない人たち、熱量のない人たちにも共感してもらって、場合によっては「当たり前」という多数決を変えるところまで持っていく必要があるというところです。

言い換えれば、いわゆる“社会課題”ってそもそも、専門家だけ集めてどうにかなる問題ではないし、個人だけでどうにかなるものでも、かといって組織だけでどうにかなるものでもないんですよね。

専門性の有無に捉われず、様々な領域の人たちの力が必要なわけです。」

と、小野田弁護士がそこまで一気に話したところで、背後からボソッと声があがる。

「ああ、なるほど。そういうことか。」

見れば、MANGA ART HOTEL代表の御子柴さんじゃないですか。

「あっ、もしかして、これがどうミスター・サタンに繋がるか、わかっちゃいました?」とニコニコしながら問う小野田さんに、「はい、なんとなく。ただ、続けてください。」と先を促す御子柴さん。

まるで名探偵同士、もとい、漫画読み同士が、言語外で繋がった瞬間です、はい。

「じゃあ、続けますね。ここで話をミスター・サタンに戻します。」

〜以下は、ドラゴンボールのクライマックスシーンのネタバレが伴いますので、未見の方は、もしよろしければ、原作をお読みいただいてからこちらまでお戻りください。〜

「川口さん、覚えてますかね?魔人ブウが倒されたシーンって。」

「確か、悟空の“元気玉”ですよね。」

「そう、界王様の力を使って、地球上の全ての人たちに呼びかけたわけです。これこれこういう理由で皆さんの“元気”を分けてください、と。

最初に呼びかけたのは悟空ではなく、『たまには地球のやつらにも責任をとらせろ』という理由で元気玉での決着を発案した、ベジータでした。

ベジータは地球人にこう呼びかけました。

「きこえるか世界の人間ども!」

「いま、あるところでおまえたちにかわって魔人ブウと戦っている戦士がいる!」

「手を空に向けてあげろ! おまえたちの力を集めてブウを倒すんだ!」

しかし、 “元気”が集まらない。届いてくるのはこんな声ばかり。

「何者なんだ?」

「誰が手なんかあげるか」

「そんなことしたってなんになるんだ?」

これに対してベジータも、「どいつもこいつもオレのいうことなんか信用しやがらないんだ!」と悪態をつき、「やい、地球人ども!さっさと協力しやがれ!また魔人ブウに殺されたいのか!」と言い放ってしまう始末。

じゃあ、次に悟空が呼びかけてうまくいったかというと、それもうまくいかない。

「地球のみんな!頼む!頼むから、元気をわけてくれ!みんなの助けが必要なんだ!空に手をあげてくれ!」

そう言って悟空は、ベジータと違って上から目線ではない言葉で呼びかけました。

にも関わらず、そこから集まったのは、悟空に助けてもらったことのある人や、彼のこれまでの活躍を知っている人たちの“元気”だけ。

やはり必要な“元気”の量までは集まりきらない。なぜか。

それは、世界中の人たちが、魔人ブウの恐怖は知っていても、それまで地球のために必死に何度も戦ってきた悟空やベジータのことなんて、これっぽっちも知らないからです。

「今度はマジメなヤツっぽい声だったぜ!」

「声にだまされるなって!絶対にブウの仲間だ」

「そうだ。あやしいぜ。さっきから自分たちの正体を明かしてない!」

そんな地球人たちの声に、さすがの悟空も心が折れそうになります。

悟空を守り、魔人ブウに一方的にやられるベジータ。

「早くしてくれみんなー!地球も宇宙もどうなってもいいのか!バッキャロー!」と叫ぶ悟空。

「人に頼むのにデカい態度だぜ」「あんなの無視無視!」と彼らを罵倒する地球人たち。

そこでぶちギレたのが、さあ皆さんお待ちかね(笑)、ミスター・サタン!

「きさまらいいかげんにしろー!さっさと協力しないかーっ!」

と思わず感情的に叫んでしまった後、

「もしかしてブウと戦ってるって、ミスターサタンだったんですか?」

という地球人たちのリアクションをすかさず拾って、

「そうだ!オレが魔人ブウを倒してやるからおまえたちもはやく力を貸さんかっ!」

と応え、悟空にはこっそり「こうでもいわんとヤツら信用せんからな」と呟くミスター・サタン。

そこから地球の至るところで上がり始めるサタンコール、一気に悟空のもとに集まる無数の地球人の“元気”。

しかし、それでも放てない“元気玉”。魔人ブウのそばにいた満身創痍のベジータが全く動けなかったからです。

と、思いきや、魔人ブウがベジータから一瞬目を離したすきに、ベジータの姿が消える。

悟空の目線の先にいたのは、気を失ったベジータを担いで必死に走る、ミスター・サタンの姿でした。

その姿を見た悟空は、こう叫びながら、魔人ブウに向かって、全人類総出の“超元気玉”を放ちます。

「やるじゃねえかサタン!おめえはホントに世界の……救世主かもな!!」

悟空がサタンを認め、戦闘民族サイヤ人、つまり戦闘の“専門家”である悟空やベジータだけでは倒せない“敵”を、“非専門家”である地球人たちの力を借りて何とか倒すこのシーン。

読者にとっては当然の如く救世主であったはずの悟空でさえ、『ドラゴンボール』という物語の外側にいる“地球人”にとっては、全く知らないただの怪しい人。

こんな展開、そもそもこれを少年バトル漫画の金字塔の一番のクライマックスに持ってくるって、鳥山先生、凄すぎませんか?

と、今になれば思うわけですが、連載当時はせいぜい、『ミスター・サタン、グッジョブ!』くらいにしか思っていませんでした。

確かにミスター・サタンがいなければ世界は救えなかったという意味で、彼は紛れもなく救世主ではあるものの、このシーン、何がすごいって、そういう展開が決してアクシデント的な描写ではなく、大団円の必然の結果として描かれているということです。

思い返してみてください。

ミスター・サタンはもともと、誰もが“敵”としか看做していなかった魔人ブウを、誰でもない自分自身の価値判断に従って、ブウに伝わる言葉でコミュニケーションを取り、ブウと友達にすらなってしまいました。

それがあったからこそ、魔人ブウが善と純粋悪に分離する結果を招き、最終的には元気玉を放つ直前まで、善の魔人ブウによる時間稼ぎに繋がった。

そして、ベジータや悟空の呼びかけでは“元気”が集まらなかった場面でも、瞬時に世界中の人々の気持ちを察し、 “専門家”の悟空に配慮しながら、彼らの行動を促す言葉を投げかけ、現に元気玉の生成に成功しました。

つまり、ミスター・サタンがいたことで、悟空やベジータという“専門家”だけじゃない、誰一人欠けちゃいけない総力戦の中で、純粋悪としての魔人ブウを倒すことができた。

このクライマックスシーンに至るまでの流れ、魔人ブウを“社会課題”、あるいはもっと大きく、世界中で今起きている人類共通の課題に置き換えてみるとどうでしょう?

“専門家”としてのベジータや悟空が冒してしまったミス
当事者の声に耳を傾けず非難ばかりの社会の反応
そして、“専門家”と社会を架橋するミスター・サタンの役割の重要性
という構図は、そのまま今の時代にも当てはまります。

例えば、最近これまで以上に関心の高まっている環境問題とか、そのほか様々な領域に関して思い当たるふしが、皆さんにもあるかと思います。

私自身、まさにさっきお伝えしたような仕事を、弁護士という“専門家”の立場で関わるようになったからこそ、ドラゴンボールの最後の最後に、戦闘の“専門家”であるはずの孫悟空が、あんなふうに素直にミスター・サタンを認めるシーンを改めて読んで、思わず唸っちゃったんですよね。

“人類みんなの課題は、専門家だけでは解決できないんだよ。そして、専門家はその事実を素直に認めなきゃいけないんだよ”

鳥山先生からそう、言われたような気がして。

もちろん、あくまで私の勝手な妄想ですが。

ちなみに、ミスター・サタンは、ベジータや悟空と違って、きちんと相手を動かす言葉を選ぶことができるので、そういう意味では、もし『ドラゴンボール』の戦士がSNS全盛の現代の地球に転生したとしたら、最強はおそらくミスター・サタンでしょうね。そもそも地球人としてはかなり強いということもありますが(笑)。」

ぷはー!

息継ぐ暇もないとはこのこと。

ちょいと1コマも逃さず書き手の想いを察知するそのレーダー、高性能すぎやしませんか?

小野田弁護士は続ける。

「さらにアニメ版だと、さっきの悟空の台詞の前に、地球の元神様だったピッコロが、ミスター・サタンの発言で地球人すべての行動が変容していく様子を見渡し、完敗の高笑いをしながら、こう叫ぶシーンが追加されています。

「お前には負けたぞ、ミスター・サタン」と。

これなんか、専門家だけでは課題を解決できないってテーマ、そのまんまですよね。」

……いやあ、アニメ版まで持論の根拠に持ってくるとは、小野田弁護士に脱帽です。

つくづくすごい。

「さて魔人ブウ編、読み返したくなりました?」

「はい、もちろん(笑)」

感嘆の声と共に、頷く漫画好き一同。

……というわけで。

甥っ子にも、この小野田さんの論を聞かせたところ、一言。

「その人、面白いこというじゃん」

小野田弁護士、中学生をも納得させるとは。

まさかのGTO(Great Teacher Onoda)もありか!

※この記事は2019年11月16日に漫画新聞で初出掲載したものです。

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