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末っ子が教えてくれた、「末っ子への反応は私のことでしかなかった」って話

20211126
末っ子(当時4歳)は怒ったら、怒りに任せて人や、物や、ワンコに当たる。


幼稚園から帰ってきて、「膝の上においでー!!」と言っても来なかったからと、うちのワンコ(ラテ♀)を洗面所に閉じ込めた。



私は「それはダメだ」と思い、
「どうにかしなきゃ!」と思った。



でも、私はどう声かけすればいいか分からず、どうやってこのことを4歳の息子に話し、お互いが納得する方法で解決すればいいのか、わからなかった。


でも、重要な事に気づく。


それは、「私が彼をコントロールしようと思っていたこと」。




私は、「どうにかしなきゃ」と相手をコントロールしようと思っていた。
そう、私は人を変えようとしていた。


何度も何度も、「人を変えるんじゃなくて、自分が変わろう」と言っていたにも関わらず。



無意識のうちに、コントロールしようとしていたことだった。


そりゃ、どうやって解決しよう?になるよな。
そりゃ答え見つからないよね・・・・


と気づいたら、「恥ずかしい!」というか、「がっかり!」というか、
「またやってしまった!!」というか。
複雑だった。


私は、彼の行為を、犬を閉じ込めるその行為はダメだ!!と思った。
末っ子は、怒りに任せて使っているものをゴミ箱に捨てる、私の眼鏡を割ろうとする、隠す、私をトイレに閉じ込める。


怒りのコントロールができないことを、「物や人にあたるな!!」と思ったし、ワンコが膝の上に乗らないなら、なんでのらないんだろ?、じゃあどうやったらのってくれるんだろ?、ワンコがのってくれるにはどうすればいいのか、自分で考えてって思った。
だから、「自分で考えて、自分が行動を変えていけばいいだけだよ」って思ったのだった。


そして、完全に私は相手を通して投影していたのだった。
そう、「自分で考えて、自分が変われば良い」のだ。


今回の息子の行為は、結局は、私が息子をどうにかしなきゃとコントロールしようとしていたことが、息子もまたワンコをコントロールしようとしていたこと、だった。


息子、ワンコという外側を変えるのではなくて、結局は自分の問題でしかない。


末っ子を通して、誰かを変えなきゃと、相手をコントロールしようとしていたのは私だったんだと認めること。


私は、彼の行為に「あかんやろ」と反応した。
「閉じ込めるなんてヤバいだろ!」と反応した。
だから、やめなさいとなったんだけど、
彼が、私を鏡のように映してくれただけ。


彼の行為は私自身だった。
「私が相手をコントロールしようとする」。


そか、私が人をコントロールしようとしていたのね、
私が解釈を変える必要があったんだと気付かされる。
末っ子に言いたかった、
「どうすればいいのか自分で考えて、行動して、変わればいいだけだよ」
それを私が意識にあげて、私自身が自分で考えて、行動して、変わる
ことをその都度やっていくんだって事を学んだ。



ちょっとした日常生活にも、1日の生活の中に、私への気づきが、「宝物」が隠れている。
今回は、末っ子を通して、ワンコを通して、「私の財産」になった。
改めて「自分が変わることの大切さ」を教えてくれた息子とワンコに感謝感謝だったのだ。

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