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いま映画『her』を3つの視点で考える。

アイキャッチ画像:(c)Warner Bros. 2013

こんにちは。映画を通して新たな視点を伝えるwebマガジン、フラスコ飯店でございます。あけましてどうも!

「帰省中のみんなの暇な時間を少しでも多く頂戴しよう」というwebメディア年末年始の可処分時間戦争に見事に負けて――というか完璧に不戦敗に喫してしまったわけですが、まあ終わったことは仕方ない。機を逸してしまったとて何度でも告知できるのがインターネットの素晴らしいところ。そんな自分にとって最も都合の良い拡大解釈をぶん回してまでして今日お届けしたいのは映画『her』のお話でございます🍜

映画『her / 世界でひとつの彼女』

2019年はジョーカーが跳ねに跳ね倒したわけですが、あれを見たあとにNetflixで映画『her』を見てみる。腰を抜かす。というのもホアキン・フェニックスの表情が細やかすぎるから。僕は当時は彼の演技にそこまで気を留めていなかったみたいです。

考えてみれば当然かもしれない。7年前って僕まだ18歳とかなんで、セオドアの色の機微なんて到底理解することができなかったのです(しかも僕は6年間男子校に居たからなおのこと!)

したがってホアキン・フェニックスの凄さも実感できなかったわけです。今見るとわかる。気がする。セオドアのしんどさと、それを演じたホアキン・フェニックスの腕の良さが。これは本当にすごい映画です。

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2020年に映画『her』を見ること

それはそうと。

her から7年経ちました。テクノロジーが発達し、心身の領域が途方もなく拡張し、さらには死んだ人間すらも紅白に出させられる時代。いまだからこそこの映画の肩に立って書くべきこと・考えるべきことが沢山あるのではと睨みました。

弊飯店では「ひとつの映画を題材に、3つの記事を書く」というルールの「特集」がございます。2019年最後のお題にこの、『her』という作品を選びました。

① 「声」に「触れる」ことで確信する、サマンサの実在:メディア論的考察
② 愛情とテクノロジーのギャップを乗り越えるのは、自己陶酔だ
③ 世界も社会も恋人も、ぜんぶ言語でできている

編集部員のお陰様で、以上の3記事が完成しました。いやあめでたい。なぜもっと大々的に告知をしなかったのか悔やまれます。本当に何をしていたのか。すみません。

反省の意を込めまして、私の総力を挙げて(と、いいつつ適度な分量で)それぞれの記事を紹介していきます。

特集・映画『her』① | 「声」に「触れる」ことで確信する、サマンサの実在:メディア論的考察

人間にとって「声」や「音」とはどのようなものなのか。そしてデバイス・コミュニケーションにとって「インターフェース」に「触れる」ことが果たす意義とは何か。この二つの問いについて、メディア論の知識から切り込んでいこうという意欲的な記事です。

この記事の目次

1:サマンサの「声」を聞く
声の文化と文字の文化
聴覚と「情動」
2:インターフェースに「触れる」
メディアはメッセージ/メディアはマッサージ
テクノロジー的生活形式
イヤホンに「触れる」
まとめ:「声」に「触れる」ことで確信する、サマンサの実在

>この記事を読む<

執筆はお馴染み、シルバー磨き担当の安尾日向くん。昨年は記事をたくさん書いて、フラスコのZINEのデザインも統括してくれたスーパーマン。

あと大学院の院試にも合格したそうです。おめでとうね。

この記事では、有名なメディア論者の理論を古今織り交ぜて紹介し、作品の分析に使用しました。実際にはもっと細かい議論がなされている分野なので、詳しい方には大雑把な理解だと思われるかもしれません。メディア論にはおもしろくて日常理解に役立つ議論がたくさんあります。そうした日常的実践のひとつとしてこの記事が読まれたら、うれしく思います。

なあんて照れ隠しを記事の末尾でしていますが、僕はこの記事をきっかけにメディア論に深入りする人が今後現れるんじゃないかなと本気で思っています。なんならちょっとしたレポートにコピペされるかもしれない。そうなると僕らのかちだなと思う。いやアカンねんけどさ。

執筆・編集のみならず今回のこの企画ではアイキャッチのデザインも担当してくれたというのだから驚きです。年の瀬にも関わらず、忙しさの合間を縫ってスピーディーにつくってくれました。僕がニアなら「ジェバンニが一晩でやってくれました」なんて口が裂けても言えないね。

特集・映画『her』② | 愛情とテクノロジーのギャップを乗り越えるのは、自己陶酔だ

「愛情とテクノロジーのギャップ」とは、伝達様式次第では同じ内容でも受け手に与える印象は異なる場合がある、ということ。

たとえば「LINEやメールで告白して本当に全部伝えられるの?」みたいなそういう話です。記事の中の言葉を借りれば

テクノロジーが変われば、それに伴い感覚も変わる。たとえば、キャッシュレス化の波。これはきっと大きな感覚の変化をもたらすだろう。近い将来、「この前奢ってくれた男がレジで現金出しててマジ萎えたわ〜」などと笑う女性が現われる日はそう遠くないかもしれない。

といった具合です。

そんなギャップを前提として認めたうえで『her』を見ると頭が痛い。恋愛対象そのものがテクノロジーなのだから。この障壁をセオドアたちはどのようにして乗り越えたのか?というプロセスに迫る記事です。

この記事の目次

1. 「性愛」の実現に必要なのは自己陶酔(ナルシズム)だ
2. テクノロジーの一般化
3. 自己陶酔(ナルシズム)で埋め合わせる術を身に付ける

>この記事を読む<

執筆は金城昌秀氏。ほかでもなくバンド・愛はズボーンの金城さんです。しかも単発のゲストライターではなく、この記事からフラスコ編集部員として一緒に映画に関するコンテンツを色々と作ってもらえることになったというのだからめでたいもんです。

イヤホンのその先に存在する人、ステージの上の人間という遠い遠い人だと思っていたけれど、こんな形で繋がれるとは思っていませんでした。映画好きの阿保な人でした。いやいやもちろん良い意味でね。今年はですね「もちろん良い意味で」という肩の凝る注釈なんか使わないで済むくらいに仲良くなれたらなと思います。よろしくお願いします。こないだはどうも。

特集・映画『her』③ | 世界も社会も恋人も、ぜんぶ言語でできている

最後の「あの」シーンの不可解さ・居心地の悪さが気になるという方は僕だけではないはず。あれっていったいどういうことなのか。そんな疑問を解きほぐす鍵は「言語」にありそうだ、という講釈でございます。

書いたのはわたくし、店主の川合。

この記事の目次

1. なにこれ?どういう感情?
2. 言葉にできない ~ fresh footage~
3. 世界は言葉でできている

4. 「人間関係」も言語だ。
5. セオドアの心の穴を埋めるのもまた……

>この記事を読む<

うだうだと途方もなく考える中でこの映画のタイトルが『She』や『Samantha』ではなく『her』という所有格であることに気づけたのは大きな収穫でした。つまりセオドアが知覚・認識する異性との関係性こそが主題なのだという結論を連ねてエンターキーをぶちかますことができたということ。いやあ、我ながらすごい記事だ。

「言葉にできない~fresh footage ~」「642股(ろっぴゃくよんじゅうふたまた)」というパンチラインも気に入っている。

……。なんかあれですね自分で褒めるのはしんどいですね。すいません。とかくこの記事も気に入っています。どうぞご贔屓に。

おわりに

そういうわけで、映画『her』に関する論考記事を3つ公開しましたよ!というコマーシャルでした。コマーシャルなのに3000字も書いてしまった。

世界情勢がなんだか大変なことになり、すっかり消費税10%にも慣れてしまい(お財布的にはまったく慣れたわけではないのに不思議だ)、非常にどんよりとした日々が続きます。まあそうは言っても生活は続くし、映画を見たり、文章を読んだり書いたりするのは好きだからやめられない。

深刻になりすぎず、かといって能天気にかまけない。そんな良い塩梅の読み物が作れればなと思います。引き続きどうぞ何卒ご贔屓に。




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