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雨降り王子は、触りたい 第一話

<あらすじ>
ごく普通の女子高生、小暮江麻にはどうしてもムカつく相手がいる。
それは "チャラメガネ王子"という何とも微妙なあだ名で呼ばれる男、雨宮蓮衣。雨宮は実際チャラいわけではなく、”女嫌い”として有名だ。
移動教室のたびに腹の立つ態度をとる雨宮にもう関わらないと決めた江麻だが、たまたま涙を流す雨宮を目撃してしまう。そして雨宮が”女に触れると涙が出る”という特殊な体質であることを知る。
正義感の強い江麻と、実は優しい性格の雨宮。お互いを知り、徐々に惹かれ合う二人。
江麻に触れたい。そんな感情が芽生えた雨宮は、初めて自分の体質を治したいと考える。
秘密の共有から始まる、ピュアラブストーリー。


誰にも言うなよ

 私にとって一番ムカつく男が、

「……誰にも言うなよ」

 そう言って涙を落とした。
 ……そりゃあそんなの見てしまったら、気にならないわけない、よね?

【雨降り王子は、触りたい】

* * *

 校門の前。ぐんと腕を伸ばし、青空に手をかざすと、真っ赤にコーティングされた爪がキラキラと輝いた。

 ……うん。マニキュア塗って、大正解。

 私は光を跳ね返す指先を、満足した表情で眺める。

 小暮江麻こぐれえま、高校一年生。好きな色、赤。
 私の身の回りは赤で埋め尽くされている。
 例えばカバンの中身は、赤い筆箱に赤いノート、赤いポーチに赤いお弁当箱、赤いスマホケース。
 私服も赤いパーカーとかTシャツとかよく着るし、最近部屋のカーテンも北欧柄の赤いものに変えてもらった。
 赤は何もない私に色を付けてくれる、特別な色なんだ。

 きっかけは幼少期に見ていたアニメだった。
 “お天気戦隊・ソラレンジャー“。
 なんとなく見始めたそのアニメの主人公である、”快晴レッド”にどハマりした私はそれ以来、赤が大好きになった。

 びゅう、と後ろから風が吹きつけ、乱れた髪をささっと手で整える。
 ちなみに肩にかかる長さのこの髪の色も──赤だ。
 やりすぎだと思う人もいるかもしれない。
 だけど、どうしても、どうっしても快晴レッドと同じ髪色にしたくて。身だしなみの校則がゆるい高校を選んで。中学を卒業した日、速攻で美容院に駆け込んだ。

 入学して約一ヶ月。
 最高の髪色を手にした私は、最高な日々を送っている。
 ……アイツと関わる瞬間、それ以外は。

 1ー1と記された教室の扉を開けると刹那、びっくり箱のように教室から人が飛び出してきた。
 その人物に思い切り抱きつかれ、私は目を丸くする。だけどすぐに、正体はわかった。
 綺麗なつむじが丸見えの女の子。小柄で甘い香り。
 こんなことするのは、一人しかいない。

「……乙花」
「えへ」

 名前を呼ぶと、その人物は私の体に埋めていた顔を上げ、満面の笑みを露わにする。

「おはよぉ、江麻!」
「おはよ」

 波野乙花なみのおとは。私の中学からの親友だ。
 乙花はふわふわに巻かれたツインテールと、ぱっつん前髪が特長的な女の子。
 髪色は黒で、インナーカラーに発色のいいピンクが入っている。本人曰く、自分は人間とウサギのハーフだそう。
 そんな乙花が朝から絡まりついてくるのは通常運転だ。今日も私の席まで、腕を組んだこの状態でついてくるらしい。

「朝から暑いわ…」
「確かに今日、ちょっと暑いよねぇ」

 机に鞄を置くと、天然発言を繰り出した乙花の頬を両手でびろーんと引っ張った。

 「そういう意味じゃないから〜」
 「いはぁ~~い痛ぁ~~い

 頬を解放すると、ふてくされたように唇を突き出す乙花。
 乙花は女の私から見てもすごく可愛い。くりくりの目に白い肌、小さな口。本当に、ウサギみたい。

 宥めるように乙花の頭を撫でていると、前の席の椅子がガタッと音を立てた。
 現れたのは真っ直ぐな白髪のロングヘア。
 絹のような髪がさらりと揺れ、その人物が振り返る。

「江麻、乙花、おはよ」

 まつ毛がバサバサで目力の強い顔面が、こちらに向かって笑った。
 笠原和佳かさはらわか。和佳も乙花同様、中学からの親友だ。

「おはよ、和佳」
「和佳おはよぉ〜!」

 鮮やかなグリーンのカラコン、アイライナーで書いた泣きボクロ、長いスクエアネイルがトレードマークの和佳。
 和佳はメイクが上手な、姉御的な存在のギャルだ。

 抱きしめたいくらい可愛い乙花、大人っぽくて美人の和佳。
 それに比べて私は、ちょっと髪色が奇抜なだけで、あまり特徴のない平凡な女子高生。
 人を寄せ付ける二人に反して、私はどちらかというと人から避けられがちな人間だ。
 少しつり上がり気味の目に加え、赤髪の外見は、どうやらキツそうに見えるらしい。

 ……まぁ、あんまり気にしてないけど。
 なんてったって、最高の髪色を手に入れてるわけだし。

 キーンコーン……

 鳴り響いたチャイムに、ハッとした。
 一限目英語じゃん!やばい!

 英語は少人数で授業が行われており、私は教室を移動しないといけない。慌てて机から教科書を探す。
 はやくしないと!アイツが来る前に……!!

 周りが移動する生徒たちで騒がしくなる。
 ……あれ、こんなときに限ってノート見当たらないんだけど。
 机の中身を全部出しても、英語のノートだけがない。
 ここかな?
 机にかけたリュックに手を伸ばした──その時。

「……まだ?」

 落ちてきたのは温度のない、男の声。
 私は思わずピタッと、動きを停止する。

 遅かった……!
 どうやら、アイツが来てしまったらしい。
 手を宙に浮かべたまま、恐る恐る視線を上げると──細い銀縁の丸眼鏡をかけた金髪の男が、むすっと不機嫌そうな顔でこちらを見下ろしていた。
 雨宮蓮衣あまみやれい。私にとって一番ムカつく男。

 少人数クラスの時、私の席を使っているのが雨宮だ。
 校則がゆるいため様々な髪色の生徒がいるけれど、その中でもこの金髪野郎は一際、目立っているように思う。
 っていうか、まだ?って、言われても。さっき予鈴鳴ったところなんですけど。

 私はようやくノートを見つけると、リュックから取り出す。
 そして勢いよく立ち上がり、だるそうに立っている雨宮を横目で見た。

「……なんでいつもそんな態度なの?」

 毎回、こうだ。
 私が退ける前に席へ来ると、挑発的な言葉を落として。急かすように、横に立って。移動教室があるたびに、その態度に腹が立ってしかたない。
 雨宮は空いた席に座ると、こちらを見上げた。かと思うとすぐに私から目を背け、さっさとスマホをいじり始める。

 えっ、……え?
 質問に対する答えが、一向に返ってこない。
 まさか、無視……!?

「ちょ、シカトはないんじゃない?」

 何事もなかったかのようにスマホをいじる雨宮に、思わずポカンと口が開いてしまう。
 しばらくその場に立ち尽くしていると、雨宮は眉間の皺を深めて口を開いた。

「……はやく行けよ」
「はぁ!?」
「っていうか、」

 雨宮は大きな溜息を吐くと、冷めた表情で言い放つ。

「話しかけてくんな」

 ……開いた口が塞がらない。雨宮が先に話しかけてきたよね……?

「そっちが、」
「行くよ江麻~」

 私の声に重なるように、和佳の声がした。
 和佳は、私が今にも雨宮に飛びかかりそうになっている様子を見兼ねたようで。

「ちょ、和佳!」
「もう授業はじまるから移動しようね〜」

 私の腕は和佳に捕まれ、ずるずると引きずられていく。

 くそーーーー!!!
 今までずっと、私なりに我慢をしていた。
 ほぼ毎日英語と数学のたびにすれ違って、その度に急かされて、傲慢な態度を取られて……イライラしていたけれど、なんとか耐えてきた。
 だけどそれも限界で。口に出してみたら、無視だと!?
 …………ほんっと、腹立つ!!!!!!

「──のため、ここで使われているmustは……」

 先生が英文を読み上げたって、文法について話したって、雨宮への怒りに支配されている私の耳には何にも届かない。
 結局授業に集中できなかった上に、時間内に課題プリントが終わらず、放課後の居残りが決定してしまった。

 どれもこれも、雨宮のせいだ。
 こうなったらあの愛称で呼んでやろうか。
 "チャラメガネ王子"
 どうやら雨宮は女子から、そう呼ばれているらしい。
 最後に王子って付いているものの絶妙にダサいニックネームだ。ざまあみろ。

 由来は金髪から”チャラ”そうという偏見と、見たまま安直に”メガネ”。
 そして王子というのは……端正な顔をしているから、らしい。
 じっくり顔を見たことはないけれど、白金色に近い金髪がしっかり似合って、地味な印象になってしまいそうな丸眼鏡はめちゃくちゃオシャレに見えてしまうんだから。相当整った顔をしているんだろう。
 あんな態度なのに女子からちやほやされて……ムカつく。

 英語の授業が終わると、居残りになってしまったことを和佳に愚痴りながら自分の教室へと向かう。
 私が愚痴を言い終えたところで、和佳は何かを思い出したかのように口を開いた。

「……っていうか江麻、知ってる?」
「何を?」
「雨宮のこと」

 ピクリ、頬が反射的に痙攣した。もはや名前聞いただけで腹立つんですけど。

「雨宮が……何」

 あからさまに顔を歪めた私の背中を、和佳は落ち着かせるように撫でてくる。

「まぁまぁ、そんな顔しないで。雨宮があんななのにもきっと事情があるんだって」
「雨宮……なんかあるの?」
「なんかさ、重度の女嫌いらしいよ」

 女、嫌い……?
 和佳の言葉に、思わず足を止めた。

「ほんと異常なくらい、女のこと避けてるんだってさ」

 付け加えるように言った和佳。
 アイツの話なんてしたくないけれど、それは聞き捨てならない内容だった。

「女子に話しかけられてもほとんど無視するみたいで」
「……うん」

 たしかに私も今日、無視された。

「軽く肩に触れた子がもう、目だけで殺されそうになったって」
「へぇ……」

 触れたことはないけれど、雨宮はいつも不機嫌な顔をしていて。
 かろうじて会話をした時にこちらに向けられる目は、いつも凍り付きそうなくらい冷たいものだった。
 ……女嫌い、か。
 なんかそう言われれば納得かも。今までの態度も全部、辻褄が合う気がする。

 チャラメガネ王子のくせに、実際は女嫌いだなんて。
 本当にチャラいわけじゃないなら余計に不憫だ。かわいそうに。いや、ざまあみろ。

 * * *

 放課後。誰もいない教室で英語のプリントと向き合う。
 授業中に間に合わなかった課題とは別にプリントを追加されたから、まぁまぁな時間が掛かりそうだ。

「はぁ〜……」

 私は、机に広がる大きなプリントに負けないくらいでかい溜息を吐く。
 そもそもこんなことになったのは──雨宮のせいだ。雨宮がムカつく態度を取るから悪いんだ。
 ぎゅっ……。自然とペンを握る力が強まる。

 思い返せば、出会った時から雨宮はムカつく奴だった。
 初めての移動教室の時、準備にもたついていると舌打ちされたんだっけ。
 その時の雨宮の不機嫌な表情が忘れられない。
 あぁ……やっぱり、腹が立つ。

 プリントを終えると、私はそれを握りしめ職員室へと向かった。
 窓から運動部の活気ある声が聞こえてくるけれど、校舎の中は人気がなく静かだ。
 こんな時間まで残ることないから、新鮮だな。
 そんなことを考えながら足を進めていると、前から人が歩いてくる気配を感じる。

 ──ビクッ

 咄嗟に肩が反応してしまったのは、その男子生徒の髪色が金色だったから。
 びっくりした……。雨宮かと思った
 金髪男子が姿を消すと、はぁっと溜息が溢れる。

 なんか私、雨宮のこと気にしてるみたいじゃん。ほんと、ムカつく。……だけど。
 もし女嫌いって話が本当なんだったら、雨宮があぁいう態度になるのは仕方ないのかもしれない。
 いや、だとしてもやっぱり無視はおかしいけどね?

 悶々と思考を巡らせながら歩く。
 雨宮にムカつかずに済む方法を探すけれど、やっぱりそれは全く見つからない。
 向こうがこちらに歩み寄ることはないだろうし、口を聞けば絶対にバチバチと火花が散ることになる。
 ……となると。
 これ以上もう、関わらないのが一番いいのかもしれない。

 雨宮のことを空気とでも思って、嫌味を言われても聞き流す。目も合わせない。つっかからない。怒らない。それで全部が、解決する。
 変に話しかけたりするから、ダメなんだ。
 ……なんだ、簡単なことじゃん。
 ようやく解決策が浮かぶと、少し足取りが軽くなった。
 すっきりとした気持ちで歩を進め、曲がり角を横切ろうとした──その時。

「えっ!?」

 死角から突然現れた人影に、思わず大きな声が出る。
 そして反射的に目を閉じたけれど。

「……っ」

 ドンッ!!!──カシャンッ

 避けることはできなくて、私は勢いよく曲がってきた誰かと、思い切りぶつかってしまった。
 同時に何かが地面に落ちた音が響くけれど、それどころではない。こんなに綺麗に尻餅をついたのは初めてだ。

「っすみませ……」

 痛む腰をさすりながら、顔を上げる。
 するとそこにあったのは──見覚えのありすぎる金髪頭だった。

「……げ」

 思わず声が漏れる。
 目の前で同じように尻餅をついているその人物は、頭頂部しか見えていないけれど、一瞬でわかった。……雨宮だ。
 今まさに、関わらないって決めたところなんですけど。
 雨宮は空気って、言い聞かせてたところなんですけど。

 すぐにでもこの場を去りたいけれど、痛む腰がなかなかそうはさせてくれない。
 なんでよりによって、雨宮とぶつかってしまったんだろう。
 きっとまた冷たい言葉を吐き捨てられる……そう、身構えるものの。

「……」
「……」

 え、なにこの空気!?
 さっきまで聞こえていた運動部の声さえも静かになって、痛いくらいの沈黙が流れる。

「……」
「……」

 こちらに向いているのは、憎たらしいほどに透明感のある金髪頭のつむじだ。
 雨宮はずっと俯いたままで、今どんな顔をしているのかすらわからない。
 一ミリたりとも動かないその姿に、徐々に心配が募り始める。

 え、い、生きてる……?

 いつもみたいに嫌味っぽいことを言うわけでもなく、こちらを睨みつけるわけでもなく、ただただ黙りこくっている雨宮。
 たまらなくなった私は、静寂を破った。

「だ、大丈夫?」
「……」

 声をかけても反応を示さない雨宮に、ハッと和佳の言葉を思い出す。

『軽く肩に触れた子がもう、目だけで殺されそうになったらしい』

 ……もしかして私、ピンチ?
 今のは、軽く触れたなんてもんじゃない。思い切り、全身で衝突してしまった。 
 サーッと顔の色が青くなっていくのを感じる。
 雨宮、ブチ切れてるのかもしれない。怒りで顔を上げることすらできのかも……。

 このままだと私、殺られるかもしれない。そう思った私は、この場から逃げることを決めた。
 まだ、死にたくない……!
 しかし、立ち上がろうと地面に手を付くと──カシャン。指先が何かに触れて、軽い音を立てた。
 そこにあったのは……メガネ。落ちていたのは、細い銀縁の丸メガネだった。
 これはたしか、雨宮のやつだ。私はメガネを拾い、膝で歩いて雨宮に近付く。

「これ……」

 恐る恐るメガネを差し出すと、雨宮はようやく顔を上げた。

「……っ」

 こちらを向いた雨宮は、もちろんメガネをしていなくて。
 露わになった顔の完成度は、想像以上のものだった。
 な、何この…恐ろしく整った顔は……。
 私は思わず唾を飲み込む。

 まさに"王子"というあだ名がぴったり当てはまるような、中性的な顔立ち。
 ツンと尖った鼻先、控えめで血色のいい唇、白くて透けそうな肌。
 こちらを睨みつける、長いまつ毛に囲われたばっちり二重の大きい目。

 それぞれのパーツ全てが憎たらしいほど整っているけれど、なにより印象的なのは、瞳だ。
 少しの濁りもないその瞳は、不思議な色をしている。
 茶色?グレー?なんか、キラキラしてる?
 私は吸い込まれるかのように、雨宮の瞳を覗き見た。──すると。

「……え」

 信じがたい出来事が、目の前で起こって。
 私は言葉を失った。
 思わず目を見開いたけれど、大きくな目で見たところで、やっぱりその光景は信じられない。

 じわっ……ぽとり。

 不思議な色の瞳から透明の液体が滲み出て、それが雨宮の頬を滑り落ちていったのだ。
 あまりの衝撃に、私はメガネを差し出した状態のまま凍りつく。

 な、な……涙!?
 動けなくなった私とは裏腹に、雨宮の瞳は火がついたようにポタポタ涙を落としていく。
 ど、どういうこと……

 瞬きするのを忘れていた私が、ようやくパチパチと繰り返した時。
 バッとすごい勢いで、私の手からメガネが奪い取られた。

「……誰にも言うなよ」

 そして今にも消えてしまいそうな声が聞こえたかと思うと。
 雨宮はあっという間に走り去ってしまった。小さくなった雨宮の背中が闇の中に消えていくのを、私は静かに見届ける。
 それはそれは、本当に一瞬の出来事だった。

 一体……なんだったの…………?
 しゅるしゅる……と、穴の空いた風船のように力が抜けた私は、そのままペタンと、地面に座り込んだ。

 今雨宮、泣いてた……?

 * * *

「失礼しました」

 パタンと、職員室のドアを閉める。
 担当の先生は不在で、全部の欄を埋めた課題プリントは先生の机の上に置いておいた。
 相変わらず誰もいない廊下。
 静かなその空間をぼーっと歩けば、やっぱり先程の出来事が思い浮かんでくる。

『……誰にも言うなよ』

 そう言った声雨宮のものとは思えないくらい、弱々しいものだった。
 ムカつく奴だけど、涙なんて見てしまったら、さすがに気になってしまうし、心配だと思ってしまう。
 ぎゅうっと締め付けられるような、ざわざわと落ち着きのないような。言い表すことのできない感情が胸を渦巻く。

 ぶつかったのが、そんなに痛かった?
 それとも何かあったのかな。……泣くほどのことって、何?

 下駄箱にたどり着くと、ローファーを地面に落とす。
 するとふいに、脳裏に和佳の言葉が思い浮かんだ。

『雨宮ね、重度の女嫌いらしいよ』

 私が原因………?もしかしたら泣くほど女に触れるのが嫌、とか?
 ……いやいや、そんなまさか。

 関係ない、関係ない……。そう自分に言い聞かせるけれど、なんだか心には霧がかかっていて。
 先程の映像が頭の中で再生されるたびに、それはさらに色濃いグレーになっていく。
 モヤモヤを吹き飛ばそうと激しく首を振ってみても、そんなんじゃ吹き飛んでくれるわけがない。

「……はぁ」

 今日何度目かのため息を吐いた。
 もし、私が泣かせてしまったんだとしたら……どうしよう。
 雨宮のことは空気だと思う。そう決めたところだったのに。
 悩みの種とは、尽きないものだ。

「雨宮のバカヤロウ……」

 私は力なく、ローファーに足を、捻じ込んだ。

* * *

「そろそろ王子の素顔見たくなーい?」

 体育終わりの昼休み。教室には先に授業が終わった女子だけしかおらず、男子はまだいない。
 そこで机に座ったクラスの一人が言い出した。

 王子とはアイツのことだろう。チャラメガネ王子こと、雨宮蓮衣。
 ……つくづく微妙なニックネームだ。ざまあみろ。
 その提案に周りの女子たちは、きゃっきゃと盛り上がる。

「見たい見たーい!」
「前頼んだんだけど無視されたんだよね…」
「王子様のご尊顔、メガネなしで拝みたいわ〜」

 そんな様子を、私はリボンを装着しながら横目で見る。

 なんか変なノリ始まってんなぁ……。

 やはり雨宮は"王子"と呼ばれるだけあって、女子には人気があるようだ。
 くやしいけれど、たしかに顔はとてつもなく整っているから人気なのはまぁ頷ける。それだけは、認めざるを得ない。

「雨宮くんがメガネ外したところ誰も見たことないんだもんね〜」

 ビクッ──クラスメイトが漏らした言葉に、私は肩を揺らした。

 ……見ちゃったんですけど、私。
 昨日から何度思い出したかわからない、メガネが外れた雨宮の素顔を思い浮かべる。
 ツンと尖った鼻先、控えめで血色のいい唇、白くて透けそうな肌。ばっちり二重の大きい目、不思議な色の瞳。
 まさに、王子様が絵本から出てきたような顔だった。

 ……王子の素顔を見ただけだったのなら、よかったのに。

 ”じわっ……ぽとり。”

 なんで涙なんか見てしまったんだろ……。
 お陰様で昨日はなかなか寝付けなくて。やっとのことで寝て、起きて。
 一日経てばあの出来事のこと、吹っ切れるかなと思っていたけれど、モヤモヤは少しも小さくなっていなかった。

 私は脱いだ体操服を畳みながら、女子たちの会話に耳を傾ける。

「頼んでもどうせまた無視だし〜。……力尽くしかないんじゃん?」
「ウケる!!」
「ジャン負け行こうよ」
「こっわ(笑)」

 ……なんだか物騒な方向に話、進んでない?
 私は思わず眉間に皺を寄せる。

「私カメラ係する〜証拠は収めないとね♪」
「よし任せた!」

 ……もうこれは、止められないパターン。

 雨宮、大丈夫かな……。そんなことを思ったけれど。
 私がアイツのこと、気にする義理なんてこれっぽっちもない。
 だって私はもう、雨宮とは関わらないって決めたんだし。

 ……だけど。
 昨日の雨宮の揺れる瞳を思い出すと、どうしても胸が苦しくなってしまう。

 それに、もしかしたらあの涙は私のせいかもしれなくて。
 そうなると私は雨宮に、仮があるわけで。

「誰が行くよ〜?まじでジャン負け?」

 ……あー、もう!
 私は唇を噛んだ。そして──右手をまっすぐ、天井へ向かって伸ばした。

「……私が行く」

 教室中が静まり、全ての視線が私に突き刺さる。

 ……何やってんの、私。
 だけど、噂によると雨宮は女嫌いで。
 そんな雨宮のメガネを"女"が面白半分で奪い取るのは、あまりにもかわいそうだって思ったんだ。
 もし雨宮が傷付いて、またあんな風に涙を流すかもしれないって思うと……じっとなんてしてられない。

 物音ひとつない教室。突き刺さる視線。
 それを解いたのは、言い出しっぺのクラスメイトだった。

「さっすが赤髪の江麻!立候補とかやるぅ〜」

 そう言いながら、嬉しそうに手を叩くクラスメイト。
 嫌なノリだ。……もう、さっさと行ってしまおう。

「なにその通り名みたいなの。初めて言われたんだけど」

 私はそう言うと、立ち上がった。そして──

「……えっ、江麻!?」

 クラスメイトの驚く声さえも置き去りにして、瞬間移動の如く教室を後にした。

 とにかく、さっさとこの悪ノリのことを雨宮に伝えるんだ。伝えさえすればきっと、なんとか対処してくれるだろう。
 もしかすると他のクラスメイトが、雨宮を探すかもしれないから……急いで雨宮を見つけないと。
 幸い、足の速さだけは自信がある。
 休み時間で騒がしい廊下を、私は人をかき分けながらも全力で走った。

 階段を駆け下りるとすぐに、一階の男子更衣室に辿り着いた。
 その手前で足を止め、乱れた呼吸を整える。

 雨宮はどこ……?
 深呼吸をしながら周りを見回していると。

「あっ」

 無駄に目立つ金髪が、扉から姿を現した。
 明らかに雨宮と、目が合ったと思う。
 しかし──ふいっ。奴はわかりやすく、目を逸らした。

 私の頬ははムッと膨らんだけれど、すぐに両手で抑え込む。
 ……だめだめ。今は腹を立ててる場合じゃない。
 雨宮に女子のイタズラのことを伝えに来たんだから。
 それに、いい機会だ。昨日のこと聞いてみて、もしあの涙が私のせいなら……謝ろう。

 友達二人と共に私の前を通り過ぎようとする雨宮に向かって、手を伸ばす。
 そして、その細い腕を思い切り掴んだ。

「雨宮、ちょっとごめん」
「は、えっ」

 メガネの奥で目が丸くなっている。そんな雨宮の腕を引き、私は再び走り出した。
 その様子を雨宮の友達は驚きの表情で、一方はニヤニヤとした表情で、見送っていた。

「なにが起きた!?」
「へぇ…」

 校舎裏に着くと、私は雨宮の腕を開放した。

「……ここまで来たら、きっと大丈夫」

 予想通り、人気がない。
 ここならクラスメイトに気付かれることもないだろうし、ゆっくり雨宮と話しができる。
 私は安堵の溜息を漏らすと、振り返った。
 そこにいた雨宮は俯いていて、先ほどまで私に掴まれていた腕を、反対の手でぎゅっと守るように握っている。表情は、髪で隠れて見えていない。
 なんだか暗い様子の雨宮を、気にかけた時だった。

「……なにがだよ。今が一番、大丈夫じゃない」

 ぼそっと、小さな声が聞こえてくる。
 その刹那、顔を上げた雨宮の目は刃物のように鋭く、まるで私を切りつけるかのような勢いでこちらを睨みつけた。

「大丈夫じゃないって……」

 どういうこと?
 雨宮の言葉の意味を理解することができず、眉を寄せると。

「!?」

 稲妻が直撃したかのような衝撃が走った。

 ──ぽろぽろぽろ……

 私の目に写ったのは、涙。
 雨宮の瞳から涙が、次々と溢れていく。

 ドクッ──心臓が大きく反応した。

 な、なんで……

 私は衝撃のあまり、その場で硬直した。

 なんでまた泣いてるの……?


▼第二話はこちら
雨降り王子は、触りたい 第二話|ふらぺち伊乃 (note.com)

▼第三話はこちら
雨降り王子は、触りたい 第三話|ふらぺち伊乃 (note.com)


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