雨降り王子は、触りたい 第二話
あんたが原因
驚きを隠せていない私に構うことなく、雨宮はメガネを外しゴシッと腕で乱雑に涙を拭っている。
メガネをかけ直した雨宮は再びこちらに視線を向けたかと思うと、いつもの如く冷たい声を発した。
「話しかけんなって言ったよな?」
「ご、ごめん」
反射的に謝った私は、思わず雨宮から目を逸らした。
これ以上、雨宮の涙を見たくなかったから。
なんで、なんで……
疑念に駆られる私に対して、雨宮はくるりと背を向けた。
そしてこの場を後にするつもりなのか、一歩を踏み出す。──このままでは、雨宮をここへ連れて来た意味がなくなってしまう。
「あ、雨宮っ」
「……何」
「雨宮、狙われてて。私のクラスの女子に」
「は?」
言葉を絞り出した私に、雨宮は。足を止めた。
「メガネ取って素顔を見てやる〜的なイタズラを計画してて……」
「……なにそれ」
呆れ笑いを零した雨宮の目に、涙はもうない。
「忠告どうも」
顔だけこちらに向ける雨宮の表情は冷え切ったものだ。怒りとも嫌悪とも違って、まるでこちらに対してなんの感情も抱いていないというようなその顔に、ずきっと心が痛む。
だけど、いくら冷たい表情だとしても、泣き顔を見るよりはずっといい。
……ねぇ雨宮、涙の理由は何?昨日も、今も。
泣かせるようなことをした覚えはないけれど、どうしても偶然に思えないんだ。なんとなく、雨宮の涙に自分が関係している気がして仕方ない。
「……待って」
私は、再び去ろうとする雨宮を呼び止めた。
面倒くさそうにポケットに手を突っ込んだ雨宮を、私は真っ直ぐに見つめる。
「私が何かしてしまった?」
時折昼休みの楽しそうな声が校舎から聞こえてくるけれど、まるで別の世界みたいにここの空気は重い。
「あんたに関係ない」
「昨日も今日も……」
「関係ないって」
突き放すような言い方。だけど私は引き下がるつもりはない。
「私が原因なら……謝りたい。私鈍感で、理由がわからなくて申し訳ないんだけど……」
目を逸らない私に、雨宮はじろりと横目を向けた。無言のままこちらを見据える雨宮。その試すような視線に、私はだんだんと押し潰されそうになる。
そもそも雨宮は女が嫌いだと噂されていて、そうじゃないとしてもきっと、私のことはよく思っていない。そんな奴に二度も涙を見られて、その話題をふっかけられて……。
冷静に考えてみれば、雨宮にとってはいい迷惑でしかない状況だ。だけどこのまま、何もなかったように過ごすなんて……私はしたくない。
「……そう」
雨宮が、沈黙を破った。
私はその声に弾かれたように、目線を上げた。
「えっ」
「あんたが原因」
「ご、ごめん」
「理由もわからないくせに謝んなよ」
「たしかに……ごめん」
やっぱり、私のせいだった……!
そうかもとは思っていたけれど、実際言われてしまうと痛い。心臓が痛い。私は一体、雨宮に何をしてしまったんだろう。
必死に記憶を遡っていると──なぜか、雨宮がこちらへ近付いてくる気配を感じた。
「──え、な、なに」
突然のことに、目を見開く。そうしている間にも、雨宮は無言で距離を縮めてくる。
「ちょ、え、」
私は逃げるように一歩、二歩と後退りする。
「なんなの、」
もしかして殴られる……?
私はいよいよ、校舎の外壁に追い込まれた。もう、逃げ場はない。
かつてないくらいの雨宮との距離に、私の顔は少しだけ熱を帯びる。
そんな私とは反対に、こちらを見下ろす雨宮は、顔色を変えず真面目な顔つきをしている。
「仕方ないから理由、教えてやる」
──カチャッ
雨宮は、細くて白い指でメガネを外した。そしてスーハーと、小さく深呼吸をする。
「……こういうこと」
雨宮はそう言うと、ぐいっと、メガネを持つのとは逆の手で私の手首を掴んだ。
や、殺られる……!?
私はギュッと目を瞑る。しかし、一向に殴られる気配もないまま──ただ無言の時間が過ぎていった。
……あれ、殴られない?
恐る恐る目を開くと。
「……えっ」
目に飛び込んできたのは……涙を浮かべた雨宮だった。
「俺は女に触ると、涙が出る」
雨宮の声が、空気を揺らす。その瞬間、周りの雑音が一気にシャットアウトされた。
おんなにさわると、なみだ……
心の中でゆっくりと、雨宮の言葉をなぞる。だけど上手く理解できない。
理解はできないけれど、今私は雨宮に触れていて、彼は涙を流している。言葉通りのことが起きている。
「俺、"女嫌い"とか言われてるみたいだけど。触れたら涙が出るんだから普通に避けるでしょ」
パッと、私の手首は放された。掴まれていたところがジンジンと、熱い。
昨日はぶつかったから涙が出て、今は腕を掴んだから涙が出た……そういうこと?たしかに全部、女の私が雨宮に触れてしまったタイミングで涙を流しているけど──。
「ほんとに……?」
「うん。女に触れたら、不可抗力で涙が出る」
メガネを掛け直しながら口を開いた雨宮の瞳には、まだ涙が残っていて。だけどそのせいか余計に瞳が綺麗に見える。
レンズ越しでもわかる。この目に嘘はない。
「そっか……」
うまく言葉が出てこない。やり場のない手でぎゅっと、スカートの裾を握った。
「別にこの体質がなくても女は苦手。うるさいし、噂好きだし、変なあだ名付けるし……すぐ泣くし」
黙ったままの私とは裏腹に、雨宮の口はいつも以上によく動いている。
沈黙を埋めようとしてくれているのかな。もしかすると、混乱している私を気遣ってくれているのかもしれない。
ぱちりと目が合うと、雨宮は下手くそに笑った。
初めて見た、雨宮の笑顔。ぎこちないその顔に、私の胸はきゅっと締め付けられた。
この人、きっと不器用な人だ。そう思うと──なんだか目の奥が、熱くなる。
「ごめん……」
さっき雨宮は、すぐ泣くから女は苦手だって言っていた。だけどもう、手遅れだ。
なんでかわからないけれど、私の目にはうっすら涙が溢れている。それは粒になって、スーッと頬を滑り落ちた。
「……は?」
雨宮の、焦ったような声が聞こえて、私は何もなかったかのように涙を手で拭った。泣いたって雨宮を困らせるだけだ。
しかしそれは一足遅かったらしく、雨宮は困ったように眉を下げた。
「……泣くなよ。別に、あんたが悪いわけじゃない」
そう言った雨宮の声色が、先程よりも優しくて。拭った涙がまた顔を出しそうになる。
「昨日泣いてたのは……ちょうどここで、告白されて」
「……うん」
「無理矢理手、握られた。あんたに会ったのはその帰り。だから昨日のは、本当にあんたのせいじゃない」
雨宮が優しいと、調子が狂う。胸が苦しくなる。
今はいつも通りきつい言葉を投げつけられた方が、気持ちが楽になる気がする。
「そういう問題じゃないよ」
私の情けない声は生ぬるい空気に溶けていく。耐えきれずに滲んだ涙が、視界を歪ませる。
「……頼むから、泣くな」
雨宮はぽんっと優しく、私の肩に触れた。
──って、触れたらダメじゃん!
私は咄嗟にその手を避ける。霞む景色の中で、雨宮のぎこちない笑顔だけがはっきりと目に映った。
「………引くでしょ?」
メガネの奥の瞳には、やっぱり涙が浮かんでいる。
「、引くわけない」
私はブンブンと首を横に振った。
「……うそ」
「うそじゃない。だって同じ人間なんていないし」
「いやそんなレベルじゃないだろ、明らかに異常だろ」
「そんなことない。雨宮はきっと──、」
"人一倍純粋なんだと思う"
そう思ったけれど。俺の何を知ってるんだ、とかって怒られそうな気がして、私は言葉を飲み込んだ。
「……誤解しててごめん。一番ムカつく男とか思ってて……ごめん」
「……一番かよ光栄だわ」
"美しい心は瞳に表れる"って、どこかで聞いたことがある。
……私はこんなに綺麗な瞳を見たことがない。
やっぱり雨宮は誰よりも純粋で、繊細で。だからこそ涙が出てきやすいんだ、きっと。
「……雨宮、この前私に話しかけてくんなって言ったよね」
「うん。もう明日からは話しかけてくんな」
「無理」
「なんで」
「もう触んないから」
「理由になってねぇ」
本当の理由は──雨宮が嫌な奴じゃないってわかったからだ。
今までは雨宮にキツい態度を取られて、とんでもなく嫌な奴なんだって決めつけていた。だけどちゃんと考えたらわかることだった。全部が全部嫌なところしかない人なんて、いない。見えている部分だけが、その人の全てじゃない。
「話しかけられたくない理由は、触られたら困るから?それとも女子が苦手だから?」
「……どっちも」
この人は冷たいオーラを放っているけれど、暗い空気にならないように口数を増やしたり、泣いてしまった私の気を紛らわすために自ら涙を流すような、優しい人だったんだ。ただ少し、不器用なだけで。
……もっと本当の雨宮のことが、知りたい。
「……私、もう人を上面だけ見て決めつけない。だから雨宮も私のこと、女だから苦手だって決めつけないで」
私が真剣な顔で言うと、雨宮は呆れたように溜息を吐く。
「なにそれ」
そして雨宮はくるりと、こちらに背中を向けた。その耳はなぜかほんの少し、赤くなっている。
「……約束して」
「え?」
「俺の体質のこと、誰にも言わないで」
そう言って顔をこちらに向けた雨宮は、目がくらみそうなくらい眩しかった。
きっと、強い日差しが金色の髪に反射しているからだ。……きっと、そうだ。
「うん、約束する」
私は、歯を見せて笑った。
「……まぁ、女は口軽いか」
「だから決めつけないでって」
「はいはい」
雨宮が歩き出すと、私は一歩後ろを同じように歩いて行く。
「……俺も嫌な態度とって悪かった」
「ん?なんか言った?」
「……なんも」
王子と呼ばれて、女嫌い。
そんな人と秘密の共有なんて、まるで少女漫画の世界みたいな出来事だ。
っていうか、そうだとしたらヒロインは私?
…………ないないない。
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