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奇妙なアイデンティティ

 バイトをやめた。理由は、大学が忙しくなるからで、職場自体はとても良い環境だったと思う。忙しくなければ続けていた。

 とても悲しいことに、これで収入源が消えてしまった。今月は本爆買いや、ヘッドセットを買ったりと、支出が多すぎる。これはまずいと思いつつも、最後の挨拶を済ませたついでにショッピングモールをぶらぶらと散歩して、良いズボンがあったので購入。はい、これでまた支出が増えてしまった。本当にまずいぞと思い、昼食の分を減らして少しでも節約しようと思った。そしたら家に帰ってきた時には腹が減りすぎてぐったりしてしまった。

 現在夕食を食べようにも、途中で気持ち悪くなり、寝ながらこの日記を書いてる有様である。早くも収入が絶たれた悪影響が……。ちなみにこの腹減りすぎて……というのは自分にとってはよくあることで、これになるたびにどうしてこうなったのかと反省している。これのせいか知らないが、一回似たような感じで吐くところまでいってるので、トラウマ気味である。吐くことは僕は滅多になく、その日は覚えてる限り人生で2回目だった。今夜はしばらく眠れそうにない。

 我が人生の中で最大のトラウマが『吐く』という生理現象である。1回目はアナフィラキシーショックだった。僕は生まれつき卵アレルギーで、中学の頃に給食の中に含まれていた卵を思いっきり誤食した。僕はその時はそんな大ごとじゃないと思い、人前で救急車に乗ることを嫌がったが、養護教諭が絶対に呼ばなければならないと断言したから、渋々乗った。そしたら案の定容態は悪化。もし、養護教諭が救急車を呼んでいなかったら……と思うと、今でも背筋が凍る。

 その後、僕はこのトラウマに苛まれることになる。そして今も吐くのを恐れて一歩も動けない状態だ。これからもこのトラウマを背負って生きていくのだろう。

 しかし、奇妙なことがある。もし仮に、何かの拍子に卵アレルギーが治って、日々の食事に怯えることなく生活を過ごせるようになったとしたら、どこか僕の一部が消失するような気がするのだ。だって、今まで僕は、原材料はしっかり確認し、外食は怖がり、吐くことを怖がり……という、食事に関しては少なくとも人より苦労をしているはずである。そして、来る時には自分はアレルギーだという告白をしなければならない。それが僕にとっては恥ずかしくて苦痛だった。

 だが、これが僕の人生なのだ。

 辛い時もあったが、この辛いことが無くなった人生に、僕の何が残るのだろう。今この人生にあるのは、忌み嫌うものの、おそらく欠かすことはできない奇妙なアイデンティティである。多分、僕は奇しくも、この人生に愛着が湧いている。病院送りにされた頃にはまず考えなかったことだろう。

 愛着が湧いたのにはある程度理由がある。まず、今は、一部を除いて周りの人たちに恵まれているから。変な風に捉えずに受け止めてくれる人が多かった。そこには感謝しかない。そして、歳をとるに従って、なんの不自由もない、完全に健常な人間なんてこの地球上に一握りだということに気づいたから。そう思うと、僕の体は、ある意味健常なのである。普通、という言い方が正しいかもしれない。みんなどこか不具合がある。僕は花粉症ではない。ある人は花粉症である。こんな具合に。(それを言うなら不具合じゃなくて個性としてポジティブに捉えてもいいのではという意見もあるかもだが、どう考えてもポジティブなわけがないだろう)

 誰しもが苦労がない奴は……と妬むかもしれない。だが、苦労がない奴はこの世にはいない。もし現時点で苦労がない奴は、未来で苦労するはずである。そう考えたら、幾分かは生きるのが楽になる。僕はそう考えて生きていく。人生は楽して過ごしていきたい。余計なことは考えたくない。


 と、バイト辞めた話から、かなり脱線して自分の内に秘める思いを暴露する話になってしまった。結構大真面目に自分の秘密を書いてしまったので、もしかしたら後で消すかもしれない。

 そしてこれを書いていたら、いつのまにか体の調子が治ってきていた。苦労もあるが、これが人生なのだ。そう言い聞かせて、僕はそろそろ体を起こそうと思う。


 コロナかかってなんか知らんけどアレルギー治っちゃったりしないかな……。愛着はあるけど治った方が絶対いいんだわ(台無し)

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