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自分の定義を持ちましょう

さてさて、前号では、
自己表現としての言語化がとても重要だ。
というお話をいたしました。

そして、その自己表現をするためには、
どうしても「自分定義」が必要になるのです。

ではなぜ、自分の定義が必要なのでしょう?
そもそも、自分定義とはなんでしょうか?

「自分定義」というのは、
一つひとつの言葉に対して、自分なりの意味づけをしていく
ということですが、
それがどうして必要なのでしょう?

今日はその部分について書いていきたいと思います。


言葉の定義は環境の数だけある

まず第一には、言葉というものはそれを使う環境によって
意味づけが大きく変わるということです。

言葉単体で意味を切り取ることは辞書を引けば簡単にできます。
ところが、
普段の私たちの日常会話では、どうしても、
その解像度(理解度)に歪みが発生
してしまいます。

認知の歪みなどと表現されることが多いこのことは、
本当に日常生活のありとあらゆる場所へ潜んでいるわけです。
※参考
「認知の歪み」で検索していただくと、
診断テストや解説があるのであなたの癖として
どの辺りが歪んでいるのかは、無料で診断できます。

例えば、
親と子の会話
例えば、
男と女の異性間での会話
例えば、
仕事における上司と部下の会話

このようなありとあらゆる場面で、
言葉の意味、価値の取り違えで、
簡単に湯行き違いが起こっていって、
そうしてお互いの言葉に対する解像度(理解度)に
大きく影響し合っているんですね。

親のこころ子知らず
なんていう古い格言やことわざはよく言ったもので、
短い中に真理を表しているものがほとんどですよね。

類は友を呼ぶ(いわゆる類とも)
と言うのもその通りで、
同じような似ている定義に沿って生きている人同士が
仲良くなったり共生していたりする様ですよね。
良い意味でも悪い意味で用いられることがありますが
これもよくいい表しているものだと思います。

普段生活をしている中で、あなたを構成している当たり前。
当たり前に使っている言葉の意味、
当たり前すぎて通り過ぎてしまって、
その本当のところを考えない、
直そうとしたりすることがほとんどない。
当たり前すぎて通過してしまうくらい、
大事な言葉の意味づけが「自分定義」な訳です。

そしてこれらの自分定義は
育った家庭環境
趣味の環境
職場の環境
人間関係に関わるありとあらゆる環境に影響を受けて
作られていくのです。

なので、
上流階級の人たちはそのような人たちと集いますし
それ以外の人たちを自動的に区別しようとしたりします。
※人類の歴史を見れば、明らかですね^^
また、
言葉が乱暴な人たちといる人は、
当然そのような人たちに囲まれて育ち、
そのような環境に入っていきます。
※すべての人がそうであるとは言いませんが、一般的に。

そうして、
同じような言葉の定義を持つ人同士が集い、
うまくいくようになっているのですね。

感情を表す言葉の定義ができない日本人

では、
感情や価値観を表す言葉についてはどうでしょう?

他者との会話の中で、
同じ言葉を使っていたとしても、
全く違う意味合いで使われていることが多々あるのは、
やはり、
感情や価値感を表す言葉
についてではないかと思うのです。

言葉そのものの定義、意味合いは
誰もが辞書を引けばわかります。

ですが、
それを口にした人が、
どのような感情で、
どのような価値観でその言葉を口にしたか

辞書を引いてもわかりようがないのです。

そして、
それらの意味合いが変わってしまう言葉たちは
おおかた、
その人自身の置かれた状況を表現したいとき
に使われているものが多いです。例えば、

愛情表現
嫌悪感を表す
相手を承認する言葉かけ
価値観の相違を説明する時の言葉
などがそれらにあたるのですが、
わかりやすい例を一つ挙げてみましょう。

「バカ」と言う言葉。
この言葉は、他者を蔑む言葉の意味がとても強い
と捉える方が多いと思います。

江本勝さんの著書「水の結晶」でも、
その言葉が登場します。
言葉の持つ周波数が水に影響を与えて結晶の形が
大きく変化する。
と言うスピリチュアルが好きな方なら誰もがご存知の
有名著者のお話です。

もちろん言葉自体は、
そのような波動を持っているかもしれません。
一般的に「バカ」と言う言葉は、
よくない言葉、人を否定する言葉というニュアンスが
強く影響しているかだと思います。

ちょっと調べてみると、この「バカ(馬鹿)」という
言葉の語源は非常に曖昧です。
サンスクリット語(梵語)を語源とするような記載が多いですが、
明確で定かな解説ではないようです。

では、普段この「バカ」という言葉、
普段私たちは何気に使っていますが、
どのような意味合いで使うことがあるのでしょうか??

①相手を否定したい場合
「馬鹿野郎!」「大バカ!!」「バカだから仕方がない」
などの強目の語気で使われることがありますね。

②お笑いのツッコミとして
関西ではあまり「バカ」という言葉は使わないようですが、
関東ではツッコミに「・・・って、バカ!」などの言葉を
つけることがあるようですね^^
笑いの締めとして使われているわけですね。

③愛情表現や慰めの言葉として
悩んでいた恋人に対してだったり、
困っている友人に対してだったり、
こんなことを口にしたり、聞いたことはないでしょうか?
「本当にお前バカだなあ、もっと早く言えよ」
「どうしてもっと早く相談してくれなかったの、もう本当にバカねえ」
なんていうことを、いうことはないでしょうか?
これはもう優しさや、愛情表現ですね。

こんなふうに、
一見使ったらダメ!と子供時代に教わるような言葉でも、
大人になってみると、
使い方が色々あることがわかると思います。

そう、
同じ言葉でもどのような定義で、誰に対して使うのか
という点が見えてきます。

「自分定義」をしっかり持ちましょう

だからこそ、
冒頭でお話しした「自分定義」がいちいち必要になる。

なぜなら、
日本語は世界でも稀に見る複雑で緻密な言語だから
です。
環境や使う相手によって適切不適切な言葉があります。

相手の状況によって、何気なく使った言葉が、
癒しにも刃にもなるのは、
みなさんご存知だとは思いますが、
さらに、
この「自分定義」を伝えることができていないと、
どうしてもその人とやその場の空気がおかしくなってしまう。
そんな体験が当たり前になってしまうのですね。

「自分定義」が無い人の言葉は伝わらない

なぜこんなことを書くのかというと、
自分自身(魂)に沿って生きることのためには、
この「自分定義」が必要不可欠だからです。

「自分定義」がある言葉は、あなたの本質(自分自身=魂)に沿った言葉として相手に伝わるようになる
からなんですね。

逆に「自分定義」が無い人はどうなるのかというと、
言葉にその人の本質(自分自身=魂)が乗らないので、
一般的、綺麗事、誰かの言葉を借りたように聞こえる、
その人じゃなくてもいい言葉、言われたことを鸚鵡返ししている
他者の言葉の定義を言い換えているだけ
などの状態に見える、聞こえるわけです。

だからみなさんには「自分定義」をしっかり持った
奥深いコミュニケーションができるようになっていただけたらな
と感じるわけです^^

さあ、長くなってきました。
ここまでの「自分定義」の必要性は理解できましたか?
では、次号ではなぜこの「自分定義」があると伝わるのか
ということについてしっかり深めていきたいと思います^^

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