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予想外の自分に出会う読書

この読書の記録を書こうと思ったきっかけ
というのを今日は書きたいと思います。

こんにちは。
あさこです。

経営者、起業家、起業スターター、営業マン
老舗の工芸店などを世界中で扱ってきましたが
世界中どこにいても
どんな人でも

本の話は共通にできた
わかりやすく相手に伝わっていった
ヒントとして相手が受け入れやすかった

というのがありました。

今思えば、
読書好きの私は

その人が真剣に読んでいる本に
その人自身を見つけていた

んだとやっとわかるようになりました。

座右の書については別のところで
しっかりと書きたいと思いますが

その人となりが
本の選び方、
その本の意味づけの仕方
で見えてくる

ようになったのは
いつの頃だったかな・・・・。

私から見るとそういう分類が作れるのですが、
話をしている相手の中には

『あさこに話すことによって
予想外の自分がその本と重なって見えてきた』

というよなことを
よく言われていました。

予想外の自分が見える

これは読書をするという行為の中で
とても重要な要素(意味付け)ではないかと思うのです。

どんな予想外の自分が出てくるかって、
それはその方それぞれなのですが、

・主人公に異様に共感している自分
・なんだかその作品に怒りを覚える自分
・面白がって手に取ったものの読んだら大号泣した自分に驚きを隠せいない
・子供の頃の忘れていた大事にしていたことや思い出が蘇った

などが多いかな。

特に共感、大号泣、怒り浸透、思い出の復活
というのは、
その人の感情がよほど揺れうごいた証なので
素晴らしい発想や、自己発見につながっていくのは
いうまでもなくて。

ああ、私こんなにお母さんに怒ってた!
ああ、その怒りはただ○○して欲しかっただけだった。
本当はそういう言い方がしたいんじゃなかった。
もっと自分が素直に伝えられる言葉を知らなかっただけだった。

とかね。

本当に一つの感情を自動的に掘り下げることが可能になる

それが読書による自分再覚醒の瞬間なのかな。
って思うんですよね。

ちなみに、私は、

異様にほっこりしたというか、
涙が止まらないとかそういう激しいのではなくて、
ただ、ただ、
ああ、これでも良いんだな、
自分にダメ出ししなくっていいんだな、
なんだー、そうだったのかー。

というような体験が多かったかと思います。

元来感情の起伏がはっきりしていて
人間らしいと褒められることもあれば
その激しさに嫌われたり恐れられたり
いろんなことがあるタイプなので、

自分を表現できることの素晴らしさを伝えたいだけだった

という私自身のコアを見つけるに至った
わけなんですけれど、

結局なあんだそうだったのか、
って、自分自身の意外性に気がついて
そしてそんな自分を丸ごと好きになることが
できる。

それが読書の醍醐味なのかな。

映画やアニメだとそこまではいかない。
作られた映像や音声の中に
自分の思考や声は反映されにくいから。

じわって感じられる読書って
やっぱりいいなあ。

って映画解説者かよってつっこみたくなる
自分自身をまた私は意外なことに発見
したりしています。

あなたの意外性はどんな本のどんな文章に
見つけられるんでしょうね??
楽しみです🩷

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