Francis

以前書いていたブログの記事のコピペと、新しく思ったことなどを書いています。主にカトリッ…

Francis

以前書いていたブログの記事のコピペと、新しく思ったことなどを書いています。主にカトリック教会、カテキズム、LGBTQ、教会音楽などについてです。

マガジン

  • Musica

    ユーチューブにアップロードした音楽系配信です。主にオルガン演奏と一人宅録です。リメイクしたものも徐々にアップ予定です。

  • カトリックミニQ&A

    カトリックに関するちょっとした疑問や質問にお答えするページです。

  • Verbum caro factum est.

    札幌に戻ってきてからしばらく綴ったブログ記事の中から、気に入ったものをご紹介します。ほとんどがキリスト教をテーマにしたものです。

  • ツイキャス・カトリック談義

    ツイキャスライブ配信で話した主日の福音の分かち合いや、カトリック教会の出来事や祈りについて紹介しています。

  • YOUCAT10分解説動画

    YOUCAT10分解説動画です。

最近の記事

変えることができるものは受け容れる心の静けさ、変えることができるものを変えてゆく勇気を、そしてふたつを見分ける英智を。

ニーバーの祈りで知られる変えられるものと変えられないものの祈りには続きがあるのを知らなかった。 God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed, Courage to change the things which should be changed, and the Wisdom to distinguish the one from the other. Livi

    • 「祈りと黙想の集い➖テゼ共同体の歌とともに」の歌を集めてみまし

      9月1日にイクトゥス・コミュニティー主催「祈りと黙想の集い−テゼ共同体の歌と共に」を開きます(9月1日17時よりカトリック麹町製イグナチオ教会ザビエル聖堂にて・開始15分前から歌の練習)。 各地で開かれている「テゼ共同体の歌」を使った祈りの集いと変わらないのですが、第一回目なのでプログラムを紹介し、歌のリンクを貼ります。ぜひ参考にしてみてください。次回からは当日までのお楽しみになります。 わが心たたえよ主を いのちの主 聖なるみ名 聖なる霊よ愛の火をともすためおいでくださ

      • 日本の教会の文脈上での「LGBTQ」という呼称は適当だろうか?

        LGBTQを「性的少数者の総称」と定義するのを目にするが、単に性的少数者の呼称ではない。多様性の一致を前提とした政治的連帯を表明するものだ。性的少数者の人権の問題において何らかのアクティヴィティもしくはそれに対し賛意を表明する人々を政治的に括った呼称だ。 英語圏、諸外国においてLGBTQというのは文字通り性的少数者の総称として用いているが、用いる人々は押し並べて政治的に自覚的だということ。そして、政治的に悪意を押し付ける文脈でもLGBTQ**と用いられることから、実に政治的

        • みんなのミサ・8月の聖歌

          久しぶりにごミサに与るかたや、今勉強中の方は聖歌がわからないかと思い、さらっと伴奏を弾いて録画しました。ちょっと音外したりしていますがご勘弁を(取り直し嫌いな面倒くさがりです)。 【答唱】 われらは シオンで かみを たたえ      ゆたかな めぐみを よろこび うたう 【答唱】 いのちある すべての ものに    主は しょくもつを めぐまれる 答唱】 神は残された 不思議なわざの記念を 1 秘跡にこもりて われらのうちに   さかえのみ神は とどまります

        変えることができるものは受け容れる心の静けさ、変えることができるものを変えてゆく勇気を、そしてふたつを見分ける英智を。

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        記事

          ウィルトン・グレゴリー枢機卿からLGBTQカトリック信者へ: わたしたちは一致のために努力することが必要です

          オリジナルページ Outreach: Cardinal Wilton Gregory to LGBTQ Catholics: We must strive for unity 2024年8月3日、アウトリーチ会議中にジョージタウン大学ダルグレン・チャペルで説教するワシントン大司教ウィルトン・D・グレゴリー枢機卿。(写真提供:チャールズ・ショー) 以下は、2024年8月3日にジョージタウン大学で開催されたアウトリーチ会議において、ワシントンD.C.大司教ウィルトン・D・グレ

          ウィルトン・グレゴリー枢機卿からLGBTQカトリック信者へ: わたしたちは一致のために努力することが必要です

          訴える叫び−飽食と安閑–

          その人たちはそこを立って、ソドムを見下ろす所まで来た。アブラハムも、彼らを見送るために一緒に行った。 主は言われた。 「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。 アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。 わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」 主は言われた。 「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫

          訴える叫び−飽食と安閑–

          Soli Deo Gloria−ただ神の栄光の為だけに

          この曲は「クラヴィア練習曲集第3巻」は前奏曲とフーガの他にデュオとコラール全27曲からなる曲集で「ドイツオルガンミサ」と呼ばれています(ルター派の礼拝様式に沿った曲順なんですかね)。宗教曲であり、同時にクラヴィア練習曲でもあります。バッハの作品集には宗教的なものであると同時に、多分に弟子や自分の子どもの教育のための作品集でもあるので、この作品群も教養や楽理的にも、テクニック的にも多分に教育が背景にあります。 ちなみに他のクラヴィア練習曲には次のような作品が収録されています。

          Soli Deo Gloria−ただ神の栄光の為だけに

          聖母マリアの祝日のミサ(Cum Jubilo)練習用

          キリエ グロリア サンクトゥス アニュス・デイ

          聖母マリアの祝日のミサ(Cum Jubilo)練習用

          聖体(感謝の祭儀)は単なる礼拝でありません。行動することです。

          「アウトリーチ」へのジョン・F・バルドビン神父(イエズス会)の寄稿「The Eucharist is not just about adoration. It’s about action.(聖体(感謝の祭儀)は単なる礼拝でありません。行動することです。)」の日本私訳です。 バルドヴィン神父はボストン大学クラフ神学司牧神学校で典礼と秘跡について教えています。 アウトリーチはLGBTQカトリックのための情報提供サイトです。 写真提供:iStock/Sidney de Almei

          聖体(感謝の祭儀)は単なる礼拝でありません。行動することです。

          イクトゥス・ミニストリーの具体的活動(ミニストリー)の紹介(2)

          イクトゥス・ミニストリーについて紹介する記事第三弾です。ミニストリーの根底にあるものは「イクトゥス・ミニストリーについて」をミサについては「イクトゥス・ミニストリーの具体的活動の紹介(1)「みんなのミサ」について」をご覧ください。  今回は僕が(僕でなくてもいいのですが)5月13日にインスピレーションを得たものを、後日箇条書き風に書き留めたメモのうち、ミサ以外のものを同じく箇条書きと約束事の一部を紹介いたします。インスピレーションといっても特別な体験ではなく、日常の中で得る

          イクトゥス・ミニストリーの具体的活動(ミニストリー)の紹介(2)

          カトリック🟰同性愛は🆖か?

          SNSで繋がっているかたからメッセージをいただいた。「カトリック🟰同性愛は🆖なんですか」と。 はじめは、何を書いて送ればいいか迷った。 というのも、同じキリスト教徒でも罪概念は違う。カトリック同士でもかなり違うように思う。カトリック教会の教える罪とは何なのかを共有しなければ、いくら罪について語っても、理解している罪の意味するところのものが違うならまったく話は噛み合わない。 また、カトリック教会が同性愛・同性愛者をどのような文脈に位置付けているのか、どのような意味をあたえて

          カトリック🟰同性愛は🆖か?

          イクトゥス・ミニストリーの具体的活動の紹介(1)「みんなのミサ」について

          「イクトゥス・ミニストリーについて」では立ち上げの背景や根拠となるカトリック教会のシノドスや聖人の霊性など簡単に紹介しました。この記事では、イクトゥス・ミニストリーの具体的ミニストリー(奉仕・務め)を順次ご紹介したいと思います。今回は「みんなのミサ」について。少し詳しく紹介させてください。ぜひ、興味を持っていただけたらと存じます。 「みんなのミサ」プロジェクト ミサはカトリック教会の最高の祈りです。 教皇フランシスコは一般謁見演説(2017年11月15日)から「ミサに関する

          イクトゥス・ミニストリーの具体的活動の紹介(1)「みんなのミサ」について

          「イクトゥス・ミニストリー」について

           最近各SNSに「イクトゥス・ミニストリーというのを始めた」と投稿しています。この「イクトゥス・ミニストリー」とはなんなのか、どういう活動なのかきちんと投稿していなかったので、立ち上げた動機から紹介させてください。  このミニストリーなにか新しいことを始めるわけでも、従来の小教区に対する対立活動でもありません。LGBTQカトリック信徒を主体としたSOGIに開かれたミサ共同体であり、同時に「周辺」という言葉に包摂される人々や状況への「関わり」に生きようとする信徒のミニストリー

          「イクトゥス・ミニストリー」について

          きょうをささげる

          きょうをささげる祈り 主イエスよ きょう一日の祈りと働き 喜びと苦しみのすべてを 教皇と日本の教会の意向に合わせて おささげします 母なるマリアよ このささげものが イエスのみ心にかなうものとなるよう とりなしてください 「祈祷の使徒」の「きょうをささげる」という祈り。19世紀にフランスで「ささげ」運動が起こりました。それは 「一日の始まりの時に、神とそして出会う人々に きょうのあなたをささげる」というものです。 元気でバリバリ動ける時、才能に溢れ活力に満たされる時、

          きょうをささげる

          Foot Prints

          ある夜、わたしは夢を見た。 わたしは、 主とともに、なぎさを歩いていた。 暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。どの光景にも、砂の 上にふたりのあしあとが残されていた。 ひとつはわたしのあしあと 、 も う 一 つは主のあしあとであった。 これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた 。 そこには一つのあしあとしかなかった。 わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。 このことがいつもわたしの心を乱していたので、

          教皇、結婚と同じようにしなければ同性カップルの祝福を認める Pope approves blessings for same-sex couples if they don't resemble marriage.

          ニコール ・ウインフィールド、デビッド・クラリー記 2023年12月19日を翻訳しました。  ローマ(AP)-ローマ法王フランシスコは、司祭が同性カップルを祝福することを正式に承認した。新しい文書は、神の愛と慈悲を求める人々がそれを受けるために「徹底的な道徳的分析」を受けるべきでないと主張し、バチカンの方針の根本的な変化を説明している。  月曜日に発表されたバチカンの教理局からの文書は、10月に発表されたフランシスコが2人の保守的な枢機卿に送った書簡を詳しく説明したものだ

          教皇、結婚と同じようにしなければ同性カップルの祝福を認める Pope approves blessings for same-sex couples if they don't resemble marriage.