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Soli Deo Gloria−ただ神の栄光の為だけに


この曲は「クラヴィア練習曲集第3巻」は前奏曲とフーガの他にデュオとコラール全27曲からなる曲集で「ドイツオルガンミサ」と呼ばれています(ルター派の礼拝様式に沿った曲順なんですかね)。宗教曲であり、同時にクラヴィア練習曲でもあります。バッハの作品集には宗教的なものであると同時に、多分に弟子や自分の子どもの教育のための作品集でもあるので、この作品群も教養や楽理的にも、テクニック的にも多分に教育が背景にあります。

ちなみに他のクラヴィア練習曲には次のような作品が収録されています。

第1巻
パルティータ BWV825‐830
第1番 変ロ長調 · 第2番 ハ短調 · 第3番 イ短調 · 第4番 ニ長調 · 第5番 ト長調 · 第6番 ホ短調

第2巻
フランス風序曲 BWV831 · イタリア協奏曲 BWV971

第4巻
ゴルトベルク変奏曲 BWV988

この曲はその中の前半4曲目の手鍵盤だけのコラール。バッハは手鍵盤だけだろうが足入ろうがとにかく緻密。

この曲はルター派のキリエのメロディーに和声を施し、さらに各声部で伴奏の動機を展開していきます。メロディとバスに数字付き和音を付したものをコラール・アリオモードと言います。この小品はコラール・アリオモードでありながら、同時にテーマをもった変奏曲でもあります。非常に難しい。

冒頭バスの裏拍からの8分音符の音型をほぼ全小節で同型反復的に繰り返し展開し、最後はテノールで反転させて同型反復しています。音型の意味がわかると最後に反転させる意図もつかめます。

コラールですから、旋律の保持は当然大事です。きちんと和声の移り変わりを表現することも。この曲の場合は、この終始繰り返されるこの音型に気づくかどうかがすごく重要ではないでしょうか。

バッハは音型や音程、時には小節数にまで意味を込めます。違う作品になりますが、例えば超有名なコラール前奏曲「Nun komm, der Heiden Heiland BWV 659(ライプツィヒコラール集)」の22小節目では詩編22冒頭の「わが神、わが神」を結び合わせ、内声に「ため息の音型」を使って表現しています。究極のメタファーであり、直喩であり、今風に言えば記号化かもしれません。

それはさておき、冒頭バス「ソラシドシ」ソとド、シとシを線で結ぶと十字架の形になる、いわゆる十字架音型の一種です。これが冒頭から最後まで形を変えながら繰り返し反復しています。メロディと和声の中間や、メロディとメロディを繋ぐように十字架音型が繰り返されるのです。

3小節目にすぐ内声に3度で現れ、後半バスとテナーの6度で、さらにその後で同じくバスとテナーの3度で現れます。6度も3度も綺麗な和音ですが、キリスト教の象徴数としては6は不完全を意味します。3は言わずもがな三位一体ですから完全数です。キリエは十字架とは不可分ですね。そして6度と3度は転回です(ド-ラの6度のドをオクターブ上げるとラ-ドの3度になります。このような関係を音程の転回といいます)。不完全さと主である神へのあわれみの声は、キリストの十字架によって完全へと変えられていく様を表しているのかもしれません。

同じく上昇の十字架音型が最後には反転した下降の十字架音型が3度繰り返され最後は長和音で終止します。とても意味深いものがあります。バッハのオルガン作品(宗教)では下降にもたくさんの意味が込められますが、恩恵やキリストの仲介による平和という意味を見出すことができるかもしれません。

バッハは聖書や神学についてかなり勉強していますよね。ラテン語学校で教えるほどの教養と少年時代は超美声のボーイソプラノでもあったバッハは学問も歌心も信仰にも深く通じていたようです。

世俗作品がほとんどないオルガン曲においてはバッハの信仰理解や学びが強く反映されています。音楽で神の偉大さを示したいというバッハの信仰はすごい。常に音楽は神の栄光を表す手段であることをバッハは言い残しています。「ただ神の栄光の為に」それがバッハを突き動かした一番の動機なのかもしれませんね。そして、音楽理論や聖書や神学に詳しくなくても、聴く人に感動を与えるのがバッハのすごいところ。ただ、背景を知らないと勝手な解釈でロマンチックに弾いてしまう。偉大な作曲家は弾き手に要求が多い。バッハはその最たる人と言ってもいいかもしれません。

Aug.2024 自宅にて(Viscount Jubilate30)。

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