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おかんのこと

今日は母について語りたい。

母は昭和12年に広島県の山奥で生まれた。
少女時代に親を失い、親戚中をたらい回しにされた。
昭和20年8月6日、きのこ雲を遠くに見た。
その後、まだ放射能で汚染された広島市に入り、被爆した。

母は身体が弱かった。いつも病気で寝込んでいた。
だが、タバコと酒はやめなかった。

母は教養がなく、下品な女だった。そのため、学歴の壁に阻まれて人生をまともに生きることが出来なかった。

母は料理のうまい女だった。今でも舌が覚えているのは手作りのコロッケ、ライスカレー、ハンバーグ、餃子。何を作らせてもおいしかった。家政婦として近所の眼科医院で働いて料理の腕を奮っていた。

私が中学に入ると、父が博打で大きな借金を作り、それを返済するために上場企業を退職し、やっと手に入れた土地も手放した。
母はそんな父を支えること無く、他に男を作り家を出た。

一家は離散した。
父が住む家で寝て、母が愛人と暮らす家で食事をとった。
料理は愛情というが、それは本当だ。私への愛情が愛人に向けられると母の料理はおいしくなくなった。

私は母を憎んだ。
21歳の3月に会ったのを最後に、縁を切った。
今生きていれば83歳。おそらくは死んでいるだろう。

今でも母を許していない。
愛情不足で育った私は22歳から現在までうつ病で死を覚悟して生きる毎日。
そして被爆二世として病弱な日々を送っている。

私が女性に惹かれるはおそらくは母を求めているからだ。
しかし、相手にとっては大きな負担になり、2回も同性との同棲を解消した。

母も不幸だが、私も不幸な女だ。

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