葉山由佳フランシス

映画ファン。競馬ファン。乗馬愛好家。

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最近の記事

【素人短編小説】1985年、3月(再編集版)

1985年、3月(第1章) <クランクアップ> 「本番!」 キャメラのモーターが回る。 現場の空気がピンと張り詰める。 「よーい、はい」 カチンコの音。 俳優たちが演技をする。 「カット。OK」 肩で息をする。 3ヶ月に及んだ撮影は終わった。 プロデューサーのカワバタは監督である私の無理を聞いて、資金を調達したり奔走した。ぽっちゃり顔の好青年だったが、撮影期間中に8kg痩せた。 これから孤独な編集作業が始まる。 現像から戻ってきたフィルムを切って貼って1本

    • キーストン涙の物語

      この週末は府中の東京競馬場で東京優駿(G1)が行われる。 世間的には、日本ダービーとして知られているが、私は正式名称が好きだ。 第一回の日本ダービーは、昭和7年に目黒競馬場で「東京優駿大競走」として行われた。優勝馬はワカタカ。優勝賞金は1万円。 目黒競馬場では第二回まで行われ、その後は府中の東京競馬場に移って行われている。 今年の優勝賞金は2億円。国内では3番目の高額賞金だ。 皐月賞は最も速い馬が、ダービーでは最も運の強い馬が、そして菊花賞は最も強い馬が勝つとされている。

      • 経緯

        約40年患ったうつ病を寛解に導いたのは、自ら考案した20時間睡眠だった。 うつ病は心の風邪と言われていた時代があったが、今では脳の病気という考えが主流となっている。 たしかに私の脳は疲れている。過去の過ち、ボタンの掛け違いなどをあのときに戻ってやり直したいと思った。 20時間睡眠を半年くらい続けたら、急に頭の中に電気信号が高速で飛び回る感覚を覚えた。すると考えることも前向きになり、生きているのが楽しくなった。そして今年の初めを持ってカミングアウトをしてクローゼットから出るこ

        • 走れ、三輪トラック~広島復興の物語~

          1945年8月6日、8時15分。一発の原子爆弾の投下によって、広島の街は一瞬で死んだ。 70年間は草木も生えないと言われ、また人を含め、生き物がそこに住むこともできないと言われた広島。 生命も、幸せだった人生も、夢に見た未来も、すべては一瞬にして奪われた。残った者は絶望しかない。 私たちは気安く絶望という言葉を使うが、広島の人の絶望は筆舌に尽くしがたい究極の絶望だったことだろう。 しかし、広島の人たちは結束と勇気と努力でこの苦難を乗り切り、広島は復興した。そして現在は美しい国

        【素人短編小説】1985年、3月(再編集版)

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        • サンフランシスコ
          10本
        • ちょっといい競馬の話
          6本

        記事

          残念すぎる世の中

          街の至るところで工事が行われている。 とくに、年末、年度末は多い気がする。 しかし、これは気がするだけで、実際はこの時期の工事は抑制されている。 「予算が余ったから」 「土建屋を食わせるために」 「ただ毎日同じところを掘って埋るだけの仕事」 そう思われている。 誤解も甚だしい。 まず、道路で行われる工事で税金を投入して行われるのは、道路工事(路面の補修やメンテナンス)、水道工事、下水道工事だ。電気工事や電話工事、ガス工事は民間の私企業が目的を達成知るために自己資金で行わ

          残念すぎる世の中

          損切り

          この記事を書いた時点ではもう一度がんばろうと思った。 だが、新しい結論が出た。損切りをすることにした。 詳しく書くと私は若い頃、映画監督を目指していたが挫折した。 数年前、再び映像制作を始めた。しかし、これも才能がないことに気づき、諦めた。 ところが、人生もう一度挑戦したくなり、映像制作を学べる高価な専門書を買い、必要なPCを作ることにした。でも、そのパソコンは正常に動かなかった。 考えた道は部品を買い直して再挑戦すること、もう一つはこれは神が手を出すなというメッセージを

          落とし穴

          もう一度がんばろうと思った。 そして高価な専門書を買い設備投資をした。 本来ならこの投稿は「再スタート始めます」という報告をするはずだった。だが落とし穴があった。 私の人生はいつもそうだ。 何かをやろうとがんばると足元を掬われる。 今回もそうだ。1日かけて準備して、大失敗した。 落ち込んだ。そりゃそうだろう。がんばらないと自責の念に苦しみ、がんばれば転ぶ。結局神は何を求めているんだ? 久しぶりに怒った。 これから先どうするか?  リカバリーのために動くか。上手くいけば投

          人生はやり直せない

          最近良く考えることがある。 というか、もう何十年も考えている。 人生はやり直せるか? 答えはNOだろう。 もし私が今の記憶を持ったまま昔に戻れれば最善の意思決定が出来るだろう。だが、それは空想映画や小説だけの話。 やり直しは出来なくても、今後の人生を少しでも良くすることは出来るかもしれない。 そう思って、私がやるべき分野の専門書を買った。それを行うためにはもっとパワーのあるPCが必要なので自作するためのパーツも買った。 再び才能が無いことに打ちのめされるかもしれないが、

          人生はやり直せない

          ボタンのかけ違い

          済んだことを後悔しても仕方がないが、私の人生はボタンのかけ違いばかりだった。 映画界を目指していたが家庭の事情で映画学科には進学できず就職した。そこで高卒の学歴ではいくらがんばっても上にいけないという現実を知る。 21歳の時に映画学校に行く決心をして今村昌平が作った横浜放送映画専門学院(今の日本映画大学)に願書を書いた。そのまま提出していればもしかすると人生を踏み外さずに済んだかもしれないが、気が変わって金子正次、川島透、TARAKOの出身校である東京映像芸術学院(現在は

          ボタンのかけ違い

          罪と罰

          私はこの人生において何人もの人を傷つけた。 人生そのものを破壊したこともある。 今の私はその報いを受けているのだと思う。 人間の心は簡単に壊れ修復できない。 私から被害を受けた人も苦しんでいるだろう。もしかすると生命を断ったかもしれない。 だから私が心を壊して苦しんで生きるのは罰として受け入れないといけない。 私の罪は死を持って償わなければならないだろう。そして死んだあとも罪を背負うことになる。 生きていてごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。

          病状悪化に付きしばらく休載します

          たまに不定期で更新します。 また、Twitter(@yuka_hayama)は続けます。 目標は2月10日に一時的に復活します。 その後、再び冬眠の予定です。 戻ってきたときはこれまで以上のご贔屓をお願いします。

          病状悪化に付きしばらく休載します

          ライカ、失踪

          体調が悪いので11時ころ床につく。 いつものように1時間くらいで完全覚醒。 ライカ(明け4歳)を探すもいない。家中の全ての場所を探した。 まるで私の人生に最初からライカがいなかったかのように消えている。 結局、押し入れの奥にいたが、心の底から心配した。 ネコは生涯を終える時に姿を隠すと聞いたことがあるからだ。 無事救出してちゅ〜るを与える。彼とはまだ同じ時をこれからも刻みたい。

          学生食堂

          私の道楽のひとつに学生食堂や自治体などの食堂に行くというのがある。 一部は部外者立ち入り禁止だが、多くは外部者大歓迎となっている。 でも、このご時世。大学そのものに入れない。そのため区役所などの食堂で我慢している。 早く疫病を克服して学食巡りができるといいな。

          アトピー治療

          月に一度の皮膚科通院日。 いい具合に朝起きることができた。 もう一度寝たいという誘惑を抑え、着替えて家を出る。 天候、曇り。暖かい朝だった。 歩いて新橋を目指す。この街に通って40年近く経つが、いまだに道に迷う恐ろしい所。 歩みを進めるが、身体が起きていないのか、それとも気持ちが起きていないのか、足が前に出ない。こんなことならタクシーに乗ればよかったと後悔するが後の祭り。 牛歩でようやく到着して治療を受ける。 さあ、帰ろう。帰って寝よう。 近所のスーパーで焼きそばを2

          不眠症と過眠症

          夜は強い睡眠薬を飲んで寝ても2時間で目が覚める。 横になってネット閲覧などをして、深夜スーパーに行って朝方再び眠気がやってくる。 ゴミ出しの時間に起きて朝食を食べると今度は過眠の時間が襲ってくる。とにかく眠くて何も手につかない。気がつきつ寝落ちしている。 これを何度も繰り返し、また夜がやってきて同じことの繰り返し。 夜は8時間連続で熟睡できて、昼間は元気に制作活動ができるようになればどんなに幸せなことだろう。 でも今は寝るのが仕事。精神疾患を患った者の宿命。

          カステラ

          カステラが苦手だった。 ケーキのようでケーキでなし、パンのようでパンでなし、パサパサして美味しいとは思わなかった。 その考えを変えたのは長崎旅行に行った時だ。ランチで入った大食堂。おなじみの皿うどんなど長崎名物がずらりと並ぶが、魚介類が食べられない私は皿うどんの麺を少し食べるだけしかできなかった。 デザートにはカステラが出てきた。どうせこれも美味しくないのだろうと口に入れたが、驚いた。本場の高級カステラは美味しい。これまでは安物のカステラしか食べたことがないため美味しく感じ