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私の軌跡ストーリー1 〜会社員がフランス留学を決断するまで〜

「フランスに留学して、その後どうするの?」

フランス留学を決断し
退職の挨拶回りをしていた際に、
元上司が私に言った一言。

今から約5年前、
新卒入社した大手企業で約8年間勤めた私は、
フランスに留学をするために退職した。

今はフランス留学エージェントとして生きている。

もちろん会社を辞めるときには、
そんな計画をしていたわけではないのだけど。

社会経験を積んだ大学生時代

私のキャリアは遡ると大学生のときから始まりました。

一言で言うと、丸4年間の超本格的インターンシップを経験したような、ちょっと変わった大学生生活でした。

思いがけず通信制大学に進学することになった私は、「普通の大学生ではできない経験をする」と決断し、某ベンチャー派遣会社で4年間経理業務をしていました。

金庫の鍵、キャッシュカードの暗証番号は、支店長と経理担当者のみが知っているという環境で、
アルバイトながらも評価をしていただき、後半2年は経理リーダーとして全国約20〜30支店の経理担当者の教育や監査補佐をしていました。

お金が大好きな私は、お金に関わる仕事ができてとても満足、普通の大学生活ではあり得ない業務や局面を経験することができました。

メンターとも呼べる仕事のできる大好きな先輩女性社員の元で、社会の仕組みを学び、社会人としての土台ができました。

大学3年生のときに、就職活動を通して
「これからどのような会社で働いていきたいか」
を真剣に考え始めました。

・自分の成長を実感できる仕事
・安定していて定年まで続けられる仕事
・結婚しても子供ができても続けられる仕事

今の私からは想像もつかないほどの「安定志向」です。
ベンチャー企業の内情を見てきたからこその方向転換でもありました。

そしてお金が大好きな私は、金融業界をメインに就職活動をしました。

充実した会社員時代

リーマンショック直前の売り手市場の中、
私は5社の内定から満足のいく選択をし、

大手損保会社グループのシステム会社に
システムエンジニアとして入社をしました。

システムエンジニア =「手に職」と思っていた当時の私にとって、まさに求めた条件に一致した会社&仕事でした。

大学時代の社会経験、物怖じしない性格のおかげか、たくさんの評価や期待をいただきました。

新人の頃から、社内の根幹システム、重要プロジェクトに関わり、プロジェクト管理や予算管理を任せていただける立場にもなりました。

今でも記憶に残るプロジェクトや業務がたくさんあり、これらひとつひとつが私を成長させてくれる貴重な機会でした。

しかし皆さんご存知の通り(?)
システムエンジニアの仕事は体力勝負です。

プロジェクトには必ず納期というものがあり、
(なぜか)いつも人手不足でキャパオーバー、
残業が当たり前のような文化。

「システム障害が起こると徹夜をしてでも復旧させる」
「新システムのリリースは利用者のいない深夜」

システムエンジニアあるある、ですよね。

自分の市場価値

「長く続けられると思って選んだこの仕事、本当に結婚して子供がいても続けられるのだろうか…」

しかしいざ転職を考えると、
「システムエンジニアとしての自分の価値は?」
という問題に直面します。

私が積み上げてきた経験は、一般的に通用するのだろうか?

給与や休暇、大手ならではの整った制度、
この人のために頑張ろうと思える上司や同僚、
何より常に私を成長させてくれる環境が、
私をこの会社に引き止めてくれました。

同じ業界・同じ仕事を続けるなら、
この会社が1番と心から思っていました。

人生の転機

2012年に初めてフランスに旅行したとき、
ボンジュールの爽やかさに心を奪われました。

「なんて居心地の良い国なんだろう!」

次に来るときは「1人で3ヶ月以上来る」
(現地の言葉を使って生活をする!)
と帰国する前に心にふと浮かんでいました。

しかし帰国後は日々の多忙な生活に戻り、
その大胆な発想は愚か、
フランス語の勉強を始めるきっかけにさえなりませんでした。

それから約3年後…
1週間の1人パリ旅行で、改めてフランス生活欲が蘇りました。

どうやってフランスに行こうかと調べているときに、私は初めてワーキングホリデーというものを知りました。

このビザは若者の文化交流のため、
申請料が無料で、語学学校に通う義務はなく、
見つかれば現地で仕事をすることが可能。

最も自由度の高いビザです。

辞めなくても行けるのなら、と社内規定を調べましたが、1ヶ月以上の自己都合の休職は認められていませんでした。

私はいよいよ「退職」という決断に向けて動き出します。

親からは「定年まで続けられる仕事を辞めてまでフランスに、今行くのか?」と言われました。

そう当時2015年、フランスでは1月にシャルリーエブド襲撃事件、11月には同時多発テロ事件と、世界的に注目された事件が続いていました。

それでも私の気持ちが変わることはありませんでした。

その当時担当していたプロジェクトをやり遂げ退職、そしてフランス留学を実現、という計画を立て、着々と準備を進めました。

上司への退職の相談に始まり、退職の通達が正式に出るタイミングに合わせ社内報告をして、引継ぎをして、たくさんの送別会をしていただきました。

最終出勤日には丸一日かけて社内を挨拶回り。

多くの方に励ましのお言葉をいただきました。
当時の私の直上司の応援の言葉は本当に嬉しかったです。

そんな中、こんな言葉をかけてきた元上司…
「フランスに留学して、その後どうするの?」

仕事が嫌で退職・転職をする人をたくさん見てきた中

「やりたいことのために退職するなんて最高!」

そう信じていた私は、自分の決断に満足していました。

そして颯爽とフランス留学へと飛び立つのでした。


〜私の軌跡ストーリー2へ続く〜
https://note.com/franceetmoi/n/n0ff0f9534749


公式ホームページ

フランス留学エージェント France et moi
https://franceetmoi.jp/

フランス語オンラインレッスン France et moi
https://epanouir-tokyo.square.site

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