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私の軌跡ストーリー2〜フランス留学で価値観が一転〜

2016年夏。

ボンジュールとメルシーに毛が生えただけの
私の拙いフランス語力…ながらも単身渡仏。
しかも8年勤めた会社を辞めて。

今思うと我ながら大した度胸です。

ついにフランスへ!

シャルルドゴール空港に到着し、
なんとか自力でTGVの駅まで移動。

自分の予約した席が見つけられず、
周りのフランス人に助けてもらいました。

しかも私の重たそうなスーツケースを見て、
優しいムシューが電車に乗せてくれました。

みんな優しい!!

結局、席はよくわからないままで(笑)、
違う車両で席を探しながらそのまま発車。
車内移動ができない車両だったため、
ドアの前で次の駅に着くのを待ちました。

ドアの前にいたすぐ降りるらしき他の乗客たちは「どこから来たの?」「どのくらい滞在するの?」などと私に話しかけてくれました。

そして「頑張ってね!」「素敵な滞在を!」「良い1日を!」と爽やかに見送ってくださるのです。

なんて心地よいのだろう!!

空港からサンピエールデコール駅まで約2時間で、私の留学先、ロワール川沿いの街トゥールに到着です。

ロワール渓谷は世界遺産にも登録され、古城巡りで有名です。
トゥールはかつて首都であった時代もあり、このトゥーレーヌ地方には代々のフランス国王が暮らしたお城があり歴史的にも見所のある街です。
そういった歴史的背景からも、訛りのない美しいフランス語を話すことで有名なエリアです。

パリには後々、語学学校を終えて仕事を探すときに引っ越すことになるだろうと思い、あえて違う街を選びました。

駅ではホストファミリーが私の名前を書いた紙でも持っているのかと思いきや、アジア人が少ないこの駅ではそんな必要はなく、マダムがすぐに私を見つけ出してくれました。

家に向かう車中で、マダムは私に色々と話しかけてくれました。

私がほぼ理解できず困っていると、マダムは慣れっこのようで笑いながら「大丈夫よ!」と言いました。

週20時間の語学学校

月曜日からいよいよ語学学校の授業が始まりました。

私の拙いフランス語「初級クラスから着実に!」と思っていたら、初日のクラス分けテストの結果…なぜか初中級クラスに!!!

そのときの初級クラスは「私にとっては簡単過ぎる」と先生から言われ、まさかの初中級クラスに入ることになったのです。

「難しかったら言ってね〜」と言われていましたが、まずは1週間と思い、必死の必死で毎日勉強しました。

金曜日の授業が終わったときに「どうだった〜?」と先生に聞かれ、心の中では半分泣きながら「難しかった…」というと、午後のクラスだけ初級クラスに変えてもらうことができました。

「自分から意見や希望を言わないと始まらないのだ」と、実感した瞬間でした。

そうフランスでは、日本のように何でも至れり尽くせりではありません。必要なときには、こちらがアピール・主張をしないと物事は動かないのです。

語学の上達

初中級のクラスについて行くために、私は毎日必死に必死に勉強しました。最初の1ヶ月は予習に復習にとフル回転。

「私には何が足りないのか」「まずは何を押さえるべきなのか」など、かなり戦略的に学習に取り組みました。

結果的には、自分よりも少し上のクラスに入れたことで、通常よりも早く上達することができました。

2ヶ月も経つと、細かいミスがあるにしても、生活の中で言いたいことは大体言える、そんなレベルになりました。

この頃は学校が終わって帰宅して、ホストマザーと一緒にお茶を飲みながらおしゃべりするのが毎日の楽しみでした。

「日本人が多いとフランス語が上達しない」と言う人がいますが、それは本人しだいです。

学校に日本人がいるから、同じ街に住んでいる日本人がいるから、と事あるごとに日本人で集まっていては、日本語しか話さないに決まっています。

私は同じ家にホームステイをしていた台湾人の男の子、クラスメイトの韓国人の男の子と特に仲良くしていました。
夏休みに短期で来ていた日本人の大学生の女の子と、4人で小旅行をしたのも良い思い出です。
全員の共通語であるフランス語で話すのが当たり前。全員アジア人なのにフランス語で会話している様子は、フランス人の気を引くようで、旅行中に何度か声をかけられました。笑

自分が身を置く環境は、自分で選べるのです。

こうして学校での授業、ホストマザーや友人と話すことでぐんぐんとフランス語が上達しました。

もちろん日本人のお友達もいましたし、集まりもありました。長期留学では特に、日本語で話せる環境も時には大切です。

語学学校を終えて

半年を終えようとする頃、私はCV(履歴書)作りに取り組んでいました。

ワーキングホリデービザでは、労働が可能です。日本人が挑戦しやすい求人募集が最も多いのはパリ。

元々、語学学校は3ヶ月の予定でしたが、仕事を探すには当然、語学力が必要です。
フランス語がようやく理解できるようになり、勉強が最も楽しかったこの頃、3ヶ月の延長を決めました。

すると半年経った頃、私のワーホリビザの残りは約5ヶ月でした。
私がチャレンジしてみたかった事務系の仕事は愚か(そもそも当時は語学力がまだまだ足りなかった)、興味のあったブティックの販売員などは「5ヶ月だけのためには雇えない」と返事がありました。(返事がもらえるだけマシ)

おそらく最もチャレンジしやすい飲食店でのホールスタッフ。
私は大学生の頃に一瞬だけレストランのホールスタッフをしていたのですが、本当に鈍臭くて向いていないのです。笑

実は、約半年をトゥールで過ごした私にとって、パリは観光地であり住みたいとはあまり思えなかったのです。

横浜生まれ、東京育ち、会社員時代は家を買うなら都内のマンション!と思っていた私。
フランス留学で初めて都会を離れた一軒家で暮らし、すっかり価値観が変わりました。
トゥールは田舎と言うと怒られてしまいますが、東京やパリと比べたら都会ではありません。

心からやりたいと思えない仕事のために、あまり住みたいとも思えない街に引っ越すのか???と疑問が湧いてきました。

私はパリに引っ越す計画を取りやめ、トゥールに拠点を残したまま、フランス国内を旅行しながら約8ヶ月を過ごしました。

※ワーホリビザで11ヶ月(退職のタイミングで1ヶ月遅れて出発)
+シェンゲン出国して再入国で3ヶ月。当時はフランス大使館のHPに記載されていた方法ですが、今は情報が削除されています。

帰国後に思いを馳せる

帰国の日が近づくに連れ、今度は帰国後の仕事について考え始めました。

会社員時代、転職したいと思った時に登録したいくつかの転職サイトを使って求人を見始めました。

スカウトが届くのは、前職の経験を活かせるシステムエンジニアの仕事がメイン。
保険会社など金融機関の企画職というものもあり、会社員時代の私だったら興味を持ったと思います。

しかし14ヶ月ものフランス留学&生活を経験して、同じ業界や職種に戻ることは私の選択肢にありませんでした。

フランス語を活かした仕事の求人は非常に少なく、日本語でできる貿易関係などのフランスに関わるものに範囲を広げても、限られた仕事ばかりでした。

帰国する前には再就職の目処を立てたいと思っていたのですが、あっという間に時は経ち…
帰国日を迎えました。

さようなら、フランス!
また会う日まで!!!


〜私の軌跡ストーリー3に続く〜

1をまだ読んでいない方は、ぜひ読んでください!

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