フランスワインを巡る旅 ボルドーでサイクリング① シャトー・カルボニュー
昨年9月のフランスワインを巡る旅。
ボルドー滞在2日目。
約半日かけて、ボルドー市の南にあるグラーヴ地区を目指してサイクリング!
自転車移動が前提なので、訪問先はいずれも比較的ボルドーの市街地に近いところを選んだ。
今回の1件目の目的地は、レオニャン村にあるシャトー・カルボニュー。
訪問先を下調べするにあたり、ワイン好きの友人たちや、逆にワインを飲まないボルドー在住の友人に話を聞いたほか、自分でも調べて行きいシャトーをリストアップし、5件ほどコンタクトを取った。
しかしいずれも人気のシャトーだったようで、どこも予約が取れなかった。実は、カルボニューは消去法で、というか、リストアップにも入っていなかったところ。ワインエキスパート試験で名前を覚えてはいたかな、程度の認識しかなかったのだ。
でも、このシャトーはグラーヴ地区の発展に欠かせない役割を果たしてきたことを訪問を通して実感できた。
以下はちょっと長めになってしまった(特筆すべきこと多し)シャトーのご紹介と、訪問記録。
ボルドーの中でも古い歴史を持つシャトー
ぶどう畑の記録は13世紀に遡る
「カルボニュー」の名前の歴史は古く、遡ること8世紀。Carbonnieuという人物がこの地で開拓をはじめ、13世紀中頃にはその後末裔のRamon Carbonnieuという人物が一帯の土地を所有し、その中にぶどう畑があったことが記憶に残っている。
13世紀後半、今もボルドー市内に現存するサント=クロワ教会の修道士の手に渡る。この教会はブルゴーニュでロマネ・コンティなどを手がける修道院と同じベネディクト派に属しているらしい。
12世紀頃からボルドー地方を支配していたアキテーヌ公の娘がイギリス王と結婚したことで、ボルドーは一時イギリス領となる。
これがきっかけでボルドーのワインがイギリス人に好まれるようになり、ボルドーではワインの取引が一層活発になるが、百年戦争(1337-1453)が勃発し、英仏両国の関係は悪化。この時、カルボニューでのワインづくりも一時衰退。
百年戦争収束後、このシャトーは修道院からフェロン家というボルドー出身の新興貴族の手に渡ることに。もともと要塞だった建築物は、徐々に現在のような中庭があり南西地方特有の美しい形に建て替わっていく。ワイン自体も、フェロン一族の富と努力によって品質や知名度が向上していく。
カルボニュー、またの名を「白いミネラルウォーター」
フェロン家はその後負債を抱え、カルボニューは再びサント=クロワの修道士の手に渡る。この頃のベネディクトの僧侶たちは金儲けがうまかったらしく、彼らの知恵と行動によってシャトーは著しい進展を遂げていく。
また、この頃には現在のラベルにも載っているホタテ貝がボトルに描かれていたようで(後述)、この貝印はイギリスのみならず、海を越えてアメリカまで広がった。
このシャトーの最初の頂点に達するのが、18世紀のルイ14世治世の時代。当時、ボルドーの赤ワインと言えばポンタック(現在のオー・ブリオン)、白ワインといえばカルボニューと言われるほど評判が高かったようだ。
18世紀、ボルドーの港は交易で繁栄する中、サント=クロワの修道士たちはシャトーで初めてワインの瓶詰めを開始。カルボニューの白ワインを「カルボニューのミネラルウォーター」として、つまりお酒であることを隠してオスマン帝国の宮中に紹介することに成功。言い伝えによると、オスマンの王子は「フランス人はおいしいミネラルウォーターを持っているのに、なぜワインを作るのか?」という質問を投げかけたという。
革命や戦争に振り回される
1789年のフランス革命で封建的階級とされていた聖職者の地位が廃止され、修道院が所有していたぶどう畑など財産は政府に回収された。カルボニューの土地も1791年に国の財産として競売にかけられ、最初の設定額の倍の値段で富裕層のブーシュロー家に売却された。
世界のぶどう畑を壊滅的な状況に追い込んだ害虫・フィロキセラがアメリカから海を越え、1871年にボルドーに到達する以前、畑の面積は137ヘクタールに及んだ。ここではボルドー品種にとどまらず、フランスやヨーロッパを中心とした外国の様々なぶどう品種の研究が行われた。1828年から1871年まで、ブーシュロー家当主のアンリ=グザヴィエは世界で随一のフランスとヨーロッパのぶどう品種のコレクションを築き上げ、最大で1242ものぶどう品種の標本が作られた。
しかしフィロキセラの「病気の危機」の時期には周辺のシャトーと同様に、ブーシュロー家は1878年に畑をを手放さなければならない事態に陥り、その後は1956年まで所有者の交代が相次いだ。
現在のオーナー・ペラン一族
害虫フィロキセラでぶどうの木が壊滅状態になり、その上2度の世界大戦の影響でボルドーのワイン産業はしばらく低迷した。
戦後を迎え、霜の被害にも見舞われた1956年、ぺラン家が土地を購入。初代当主となるマルク・ぺランがカルボニューのシャトー(建物)と戦争やフィロキセラで荒れたぶどう畑の復旧に取り組み、ぶどうの栽培面積は面積は徐々に拡大。
マルクの死後は、息子で2代目当主のアントニーが家業を引き継ぎ、1990年には新しい醸造所を建設し、醸造方法を刷新した。彼はシャトーの改修や荒れたぶどう畑の修復を続け、カルボニューの畑の面積は45ヘクタールから現在の95ヘクタールまで回復するとともに、世界的な認知度の向上に尽力した。
アントニーはボルドーの格付組織やグラーヴ地区の地元のワイン組織などの役職に就き、1987年に誕生したAOCペサック・レオニャンの創設に貢献した。
アントニーのワイン作りのノウハウは3代目のエリックと兄弟たちに引き継がれた。彼らは現在、このシャトーを再び絶頂に導びこうとしている。エリックは父の足跡をたどり、2012年から2015年までグラーヴ地区の会長を務め、また弟のフィリベールも2017年からペサック・レオニャン地区の会長として地域を引率している。
2019年にはエリックの子どもたちも参画し、一族でワイン作りを続けている。息子のマルクは営業の一部を、アンドレアはトップエノログ(醸造長)を務め、今に至る。
訪問記
今回はまず、メールにて空き状況を問い合わせ、公式ウェブサイトから予約した。
見学(通常コース)とテイスティング(赤・白2グラス)で15€。
見学コースのメニューは複数あり。
ガイドは英語、フランス語、スペイン語対応。
テイスティング
まずはブティックの試飲室に案内され、2種類のワインをテイスティング。
カルボニューのロゴには十字架があしらわれているが、これは上述の通り、サント=クロワの修道士たちの尽力の歴史由来する。
さて、まずは白ワイン。
ここのシャトーの「レジェンド」な1本。
ソーヴィニョン・ブラン65%、セミヨン35%
フレンチオーク(25%は新樽)使用
凝縮感があり、華やかなのは、間違いない。
しかし、10キロほどアシストのつかない自転車を漕いできたばかりだったので、残念ながら落ち着いて味わえなかった。
声も震えていて、この国ではすすることが許されない鼻水が垂れ(汚くてすみません)、スタッフのマダムに驚かれて恥ずかしかったのを覚えている(どんだけ)。
マダム曰く、若いうちは新鮮さが引き立ち、果実と花のアロマが強めだけれど、熟成するとドライフルーツやコンフィのような香りが増すようだ。
続いて、赤ワイン。
カベルネ ・ソーヴィニョン50%、メルロー40%、カベルネ ・フラン5%、プチ・ヴェルド5%
フレンチオーク(うち35%は新樽)使用
こちらも黒系果実の凝縮感が印象的だった。
タンニンが溶け込んでいるとはこういうことか。
公式ウェブサイトでは少なくとも6年は寝かせた方が良いらしい。まだまだ発展の可能性のあるワインだった。
ラベルに載っている「ホタテ貝」
今回いただいたのは、白ワインは2021年、赤ワインは2019年のヴィンテージ。
このシャトーのエチケットは2021年に刷新され、白ワインのエチケットはホタテの貝殻がシャトーを囲うように描かれているいるのがわかるだろうか。
ホタテ貝は聖書に登場する12使徒のひとり、聖ヤコブの象徴で、彼のお墓があるサンチャゴ・デ・コンポステーラへ続く道がフランス国内にいくつかあり、今でも多くの人がホタテの貝殻を身につけてその道を辿って歩いている。ボルドーもその道の通過点であること、またベネディクト派の修道士がワイン造りをしたことなどから、このシャトーのラベルにはホタテ貝があしらわれているようだ。
ラベルといえば、このシャトーのすごい話をもうひとつ。
歴史のところで触れたが、修道士によってワイン造りが行われていた18世紀、このシャトーではボルドーで瓶詰ワインの取引が一般化するよりもずっと前からワインの瓶詰を行っていたようだ。
見どころ
フラ車のコレクション
ワインの試飲がてら、試飲室横の車の展示室を見学。
1922年製のシトロエンに1927年製のプジョーをはじめ、今はなきWacheux (1904年製)、Doriot Frandrin Parant (1909年製)、Gardahaut (1923年製)、Donnet Zedel (1926年製) 、De Dion Bouton (1929年製) など、100年以上前に作られた馴染みのないフランス車が展示されていた。ちなみに、今も動くらしい。
トマス・ジェファーソンの「フランスワインを巡る旅」
第3代アメリカ大統領トマス・ジェファーソンはフランス大使館に勤務していた1787年の初夏にかけて、私より先にフランスワインを巡る旅をしていたようだ(並べるのおかしい)。しかも、3カ月かけて。
その際ボルドーには4日間滞在し、白ワインを目当てにこのシャトーにも訪れたようだ。彼はこの敷地内にナッツでおなじみ、アメリカ原産のピーカンの木を植樹した。現在は30mまで伸びたこの木は文化財に指定され、今でも実をつけているそう。
訪問を終えて
ボルドーのワインは、というか基本的にどのワインもおいしく感じてしまうが、実際に足を運んだり、シャトーのあれこれを入念に調べる(ネタになるうんちくを知るともいう?)とそれだけで愛着が湧いてしまう。
そんなわけで私はきっと、これからもこのシャトーのワインを楽しみ続けるのだろうな。そのためには…働かないと!
その②に続く。
参考
シャトー・カルボニュー公式ウェブサイト
グラーヴ地区のおさらい
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