見出し画像

井上ひさし『握手』を読んで

井上ひさし『握手』を読みました。

きっかけは学習支援。
教科書を朗読をしましょうという課題があり、子どもが朗読してくれる物語を聴きました。
大人になって読み聞かせをする機会はあっても、読み聞かせられる機会というのはめったにありません。
思わず聴き入ってしまい、終わったあとに電子書籍で本を購入しました(笑)。

自分はこの作品を学校で習っていません。
読んでみたので、考えたことを書こうと思います。
というのも、読み聞かせをされながら、どうしても引っかかった部分があったからです。

あらすじ。

主人公は西洋料理店で、かつての恩師・ルロイ修道士と再会します。
ルロイ修道士は児童養護施設の園長で、主人公もその園の出。ルロイ修道士は子どもたちを食べさせるためにいつも畑仕事をしていました。
彼はよく指で感情を表していました。右の親指を立てて「わかった」、そして両手の人さし指を交差させ打ちつけるのが「お前は悪い子だ」。
ふたりは主人公が高二のクリスマスに園を抜け出して東京に遊びに行ったときの話などをします。
主人公は再会したときのルロイ修道士の弱々しい握手などから、彼が病気なのではないかと察します。
主人公はルロイ修道士に強い握手をし、別れます。その後ルロイ修道士は亡くなりました。
葬式でその頃のルロイ修道士は身体中が腫瘍に侵されていたと聞かされ、主人公は両手の人さし指を交差させ、打ちつけました。

さて、何にひっかかったかというと、中盤のふたりの会話です。

「それよりも、わたしはあなたを打ったりはしませんでしたか。あなたにひどい仕打ちをしませんでしたか。もし、していたなら、あやまりたい」
「一度だけ、打たれました」

主人公は高二のとき、ルロイ修道士からもらったものや、食料源の鶏を売ったりしてお金を貯めて、クリスマスに園を抜け出し遊びに行ってしまいます。帰ってきてルロイ修道士に平手打ちをされているのです。主人公はそれを「打たれて当たり前の、ひどいことを仕出かした」と言っているのですが。

いやルロイさん、暴力振るうのはどうなの……。
と、思ってしまったのです。

戦争の話も出てくるので、時代が違うのかなとも思いました。
主人公は自分の行為を反省しています。
ルロイ修道士は徹底して、子どもたちのことを想っていたことも示されています。

でも暴力は……。
と、思ってしまったら頭から離れなくなってしまいました。

この単元、国語の授業では主にルロイ修道士の人柄を捉えることを中心に授業が進むようです。

自分が日本人にひどい仕打ちをされても、日本の子どもを憎まず慈しんだルロイ修道士。
うーん、「とてもいい人」として読めちゃいます。

でも、現代の価値観の自分は、平手打ちしてるんだよなあ……と思ってしまいます。

ルロイ修道士は主人公に対し、述懐めいたことをふたつ言います。
ひとつ目は、日本人の行いを謝った主人公に対し、「日本人を代表してものを云ったりするのは傲慢」「一人一人の人間がいる」ということ。
そしてもうひとつは、「『困難は分割せよ』。焦ってはなりません。問題を細かく割って一つ一つ地道に片付けて行くのです」。

そして、彼は食事に手もつけず「過去にあなたに暴力を振るったのなら、あやまりたい」と言います。

主人公が一度ぶたれた話をしたとき、こんな記述も。

「やはり打ちましたか」
 ルロイ修道士は悲しそうな表情になってナプキンを折り畳む。

もしかしてルロイ修道士は自分の死に際して、「一人の人間」として自分の「子どもに暴力を振るった」という罪を許されたくなったのではないか。
自分が園で関わってきた子どもたちは数多い。一人一人に会って、地道に謝っていくことにしたのではないか。 

 ルロイ修道士は、主人公の話を遮って「それより」と言って自分の暴力の有無について主人公に確認までしているのです(というかひとつひとつの暴力を覚えていないほど日常茶飯事だったとも言える)。

主人公はルロイ修道士の行為を「この世の暇乞いにかつての園児を訪ねて歩いているのではないか」と捉えているけれど、本当は「暇乞い」以上の意味があったのではないかなと思うのです。

そう考えると、ルロイ修道士の人間としての弱さも見えてくる気がします。

終盤の会話で、ルロイ修道士は天国を信じている、と言います。

「あると信じる方がたのしいでしょうが。死ねばなにもないただむやみに淋しい所に行くと思うよりも、にぎやかな天国へ行くと思う方がよほどたのしい。そのためにこの何十年間、神さまを信じてきたのです」

キリスト教では神を信じ罪と穢れのない魂だけが天国に行けます。
つまり罪があれば天国には行けない。
ルロイ修道士は、天国に行きたかったから、みんなのところに謝りにいったのではないか……。

そうなると、最後に主人公が「両手の人さし指を交差させ、せわしく打ちつけ」るという行為も、意味が変わってくるのではないでしょうか。

この行為は「お前は悪い子だ」という意味のルロイ修道士の指文字を、主人公がなぞった、ということになります。
主人公はルロイ修道士の何に対して「悪い子だ」と思ったのか?

最初は「病気だったことを言ってくれないなんて水くさいじゃないか」とかそういう感じの意味だったのかなあと思ってました。

でも、ルロイ修道士が死に直面して自分の罪を精算しに来たんだとしたら、「最後に許してもらおうなんてずるい、虫が良すぎる」という気持ちなんじゃないかな……というのは、ちょっと拡大解釈すぎるでしょうか。

主人公の語り口はさらにそれから一年後、一周忌になってからなので、少し気持ちの整理がついているからルロイ修道士が美化されているけれど、亡くなった直前にはそれくらいの恨みごと、思うんじゃないかなと思ってしまいました。

たぶん、私がひっかかったのは、ルロイ修道士がただの「とってもいい人」として認識されると、その暴力まで許容され得るものとして捉えられないだろうか、ということだったのでしょう。

ルロイ修道士の人間としての弱さにまで目を向けると、彼のやったことの捉え方も変わってくる気がするのです。

イラストは、3回目の握手のつもりで描きました。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,023件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?