見出し画像

いつかやろうは馬鹿野郎

遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
詳しくはこちらのホームページから。

連続4回のセミナーの最終回を実施して、スタッフと反省会をしました。
内容は、各回ごとで終活、エンディングノート、おひとりさま、尊厳死宣言について。
以前に私も参加した「未来のジャム」を意識して、参加者同士の対話をできるだけ多めにした内容で、こちらからの情報伝達よりも互いの気づきを得て欲しい、と考えました。
やはり参加者自身が口を開いて話す機会が多かったからか、アンケート結果は大変好評で、こちらがオススメしたエンディングノートを購入いただいた方も多数いらっしゃいました。

セミナーの冒頭でも触れるのですが、テレビや週刊誌の終活特集を見ると、生前に何も対策しなかったためにトラブルが発生した、という内容が多く見られます。
人の不幸は蜜の味ではないですが、そういうトラブル込みの内容でなければ、視聴者や読者が目にしてくれない、ということもあって刺激の強い内容になっているのだと思います。
そのため、セミナーでお出会いする人の中には、配偶者や子どもから「ちゃんと終活してくれないと私が困る!」と言われて、面白くない気分になっておられる方がいます。

終活セミナーで必ずお話しするのは、終活は死ぬ準備では無い、ということです。
人間の致死率は100%ですから、人の生涯には必ず終わりがあります。終わった後のことに目を向ければ死ぬ準備でしょうが、必ずやってくる終わりまでの人生をどう充実させるかという死ぬまでのことも、とても大事になります。

これは高齢になった人についての話ばかりではなく、私たちにも言えることだと思います。

「いつかやろうは馬鹿野郎」という言葉もありますが、何かの条件が満たされたら実行しようと考える人は、何かの条件を満たした瞬間に次の条件を持ち出してきます。
私の実家の両親も「退職したら」「母の介護が終わったら」「涼しくなったら(暖かくなったら)」と色々と条件を持ち出しては願望を話していましたが、最近聞くと「もう体力がないから無理」と言っています。

私がもっと若い頃に、別のお寺の法話を依頼されて行くことを話すと父が「若いうちから行くと周りに妬まれるからやめておけ。退職した頃から行くと良い」などと言ってきました。
ちなみに父の話は全く無視して法話に行きました。

エンディングノートを書いた方とお話しすると、自分を客観的に見る機会を得たということをよく言われます。
頭の中で通り過ぎていた言葉を文字として記録することで、自分がどんな考えを持っているのか、ようやく気づけた、とのこと。
頭の中にあったのは、したいと思っていることや、しなければならないと思っていること、やらないとと思っているが気が進まないことなど様々です。
客観的に見ることができたので目標をすぐに手帳に書き込んだ、とおっしゃられた方もいました。

スタッフとはまた新たなセミナー企画を検討していますが、参加者が参加したその日から何かを始めたくなるような内容をお届けしたいと考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?