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縁ある人を忘れて殺す

遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
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京都三条大橋の東側に大きな銅像があり、京都の大学生の待ち合わせスポットになっています。
銅像が土下座して拝礼しているので、通称「土下座」と呼ばれ、「土下座前で18時集合で」といった形で利用されています。
土下座しているのは江戸時代の寛政年間に活躍した「寛政の三奇人」と言われる「高山彦九郎」です。
彦九郎は太平記を読んで、天皇家を尊ぼうと考えた尊皇家なので、京都の入り口である三条大橋で皇居に向かって土下座して拝謁しているのです。

彦九郎の活動を最も支えたのが祖母のりんで、裕福だった祖先の遺産を使い経済的に援助していたようです。
りんが亡くなると、儒教の教えに則って、彦九郎は墓の横に小屋を建て三年間喪に服し、墓前で和歌を詠みりんの魂を慰めた、と言われています。
江戸時代なので、三年と言う時は数え三年なのでしょう。
だから亡くなった年が一年目であと二年喪に服したと考えられます。
つまり仏教の年忌法要で言えば三回忌までですね。

今の時代だと喪に服す期間としては七七日までの四十九日間がほとんどだと思います。
喪に服すことに宗教的な意味やその他の意味も色々とあると思いますが、一つは遺族の悲しみを癒やす期間であるということです。
身近な人が亡くなった悲しみを癒やす最も大きな要素は「時間」です。
時間が経つことによって、亡き人やその人にまつわる出来事を思い出さなくなり、気持ちが悲しみにひかれていく回数が減っていきます。

葬儀後、「中陰」と呼ばれる七七日までの七日ごとの法要はこの時間の経過を強制的に意識づける面があると感じます。
二七日や三七日の悲しみに暮れた顔が初月忌を超えたあたりから少しずつ平常の顔に戻っていく様子をよく見ました。
「亡くなった夫のことが意識にのぼらなくなる日が増えてきたと思ったら、もう一ヵ月経つんですね」というように言われます。
自分の意識の変化と日数の経過の自覚が、七日ごとの定期的に行われる行事によって上手くリンクするのだと思います。

近年増えてきた葬儀をせず、すぐに火葬してしまう「直葬」の場合、当然、中陰の法要もありません。
また、葬儀はするものの中陰の法要は不要で七七日だけして欲しい、と言われる家も増えました。

経済的な理由が一番大きく、忙しさが理由であるところも多いと思いますが、昔よりも長寿になり、八十歳や九十歳を超えて亡くなるので、周りの方々も亡くなられることへの心の準備や納得が得やすくなったのかな、とも思います。
ただこうした家では、意識の変化と時間の経過が自分の中で上手くリンクさせられず、グリーフケアが必要になるケースが多いと聞いたことがあります。

時間が経って「忘れる」ことによって悲しみが癒えるということは、遺族にとっては自分が生きていくための自己都合の面があると感じます。
出典は分かりませんが、「人は二度死ぬ」という言葉があります。
一度目は医学的に亡くなった時、二度目は縁ある人々の記憶から忘れられた時です。

亡き人を思い出さなくなって、亡き人は二度目の死を迎えますし、ある意味では生きている人々が亡き人をあらためて「殺している」と言えるかもしれません。
しかし、亡き人はそのことを責めるのでなく、自分の法要を通して集まってくれた人々に対して「自分の都合」を優先してしか生きていけない存在であることを、繰り返し伝えてくれていると感じます。

その自分の都合を優先してしまう後ろめたさ罪深く感じるところから、宗教心というものが生まれるのではないでしょうか。


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