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弔うは訪う、亡き人の人生を訪ねていくこと

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一昨日に引き続き、昨日も高島秋講に行ってきました。
一楽先生のお話から耳に残ったものをお伝えしたいと思います。

昨日は、開催地域の前回秋講開催から今回の秋講の開催までの間に亡くなられた御門徒の「追弔会」が行われました。
「弔う」という言葉の語源をたどると「とぶらう」になり、「訪う」が元々の字だそうです。
「訪う」という字のとおり、元は亡くなった方がどんな人生を送ったか訪ねていく、ことが主な意味となります。

法要で久々に親戚が集まったから食事でも、ではなく、亡くなった祖父や祖母がどんな人であったかをみんなで確認し合っていくわけです。
それは懐かしむために確認し合うわけではなく、娑婆に遺された私が今後の人生をどう生きるのか、それを考えるために先に亡くなった方の人生を頼りにしていくわけです。

年忌法要とは何かを御門徒の方に尋ねると、供養することだと返ってくることがしばしばあります。
供養の語源は、お釈迦様を大事に思う人が食べ物や場所を提供したことに由来します。
なぜ提供するかといえば、お釈迦様を褒め称えるお気持ちがあるからで、どれだけ提供できるかといった量を競うためではありません。

そのお釈迦様や仏様ですが、実際に私たちが目にした時に、褒め称える存在として見ることができるでしょうか。
例えばトークショーのゲストとしてお釈迦様を招いたとして、始まるまで会場をウロウロされていてお釈迦様だと紹介もされていなかったら、貧相な身なりの小汚い背の低いオッサンが歩いている、と見てしまうのではないでしょうか。
その表面的な姿でなく、内側にある迷いのない心を持った存在であるということが私たちは認識できないのではないか、と指摘されました。

仏教やお念仏ではお金持ちにもならないし、健康にもなりません。
それは、私たちがお金に困った時にどこからか融通しようとしたり、病気になった時に健康になろう、という条件を整えようとすることとは全く異なることだ、ということです。

仏説観無量寿経という経典の中では阿闍世という王子が父母の王と王妃を幽閉し、王は餓死してしまいます。
母である王妃は嘆き悲しみますが、息子が昔のように父母を慕ってくれるように戻る、という条件を整えることはもう不可能です。
そうした条件が整って救われるのでは間に合わない時に、救われるのが仏教やお念仏だといいます。

仏説観無量寿経の中ではお釈迦様とその教えに帰依して王妃は最後に救われた、と書かれていますが、幽閉が解かれたという表現はありません。
王妃の環境や現状は何も変わっていないのだけれども、その最悪とも言える環境の中で生きていける、という気持ちになるのです。

一楽先生の知人で会社勤めの方のお話で、会社でどうしても反りが合わない人がいたそうです。
その合わない人が転勤になり、これで素晴らしい環境になったかと言えばそうはならなかった。
二番目に反りが合わない人とぶつかるようになったというのです。
これまでは一番目に反りが合わない人がいたから気にならなかった存在が気になるようになってしまった。
その知人の方は一楽先生に「邪魔者がいたのではない、邪魔者を作る私がいた」とおっしゃったそうです。

間もなく夕方になり晩ご飯を食べます。
食卓のご飯を見た時に、まず何を考えるでしょうか。
今日は豪華だな、値段が高いな、とか安物だなとか、昨日の残り物か、と見たりするのではないでしょうか。
しかし口に入れていただくのはどれも全て命です。
命をいただくのに、そこに値段という価値を付け命を測ってしまっている私がいます。

一楽先生のいずれのお話も、お釈迦様は私に向けて救いを差し向けてくださっているのに、私の側がそれを受け取らない、拒否しようとする姿を見せています。
お釈迦様の伝記では、悟りを開いた直後に、その悟りの内容は私たちが受け取るには難しいから誰にも話さないでおこうかと悩まれたという話を思い出します。

私たちが賢いからとか理解力があるからではなくて、素直に話を聞くことが出来るか、というところに、仏教を聞くということが学問ではなく、生き方の問題だという所を感じました。

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