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お金の仕事をするために、時間をお金で買うということ

 時間をお金で買うのは悪いことなのか?私が買った時間で、誰かの時間が奪われることを、どう考えればいいのか?お金に関わる仕事をしていながら、そんな迷いに苛まれることがあります。

 そのきっかけになった、あるエピソードを紹介します。


フィリピンから来たジャッキーさん

 いくら片付けてもすぐに家が散らかってしまう。朝ごはんを出したら家族に「昼ごはんなに?」、昼ご飯を出したら「晩ごはんなに?」と聞かれる。3年前のある日、私は終わりのない家事と仕事の両立に疲れ切っていました。

 コロナ禍で在宅勤務メインになり、仕事とプライベートの切り替えがほとんどできなくなっていました。特に学校の一斉休校期間は、家にいる子どものお世話もしなければなりません。職場にいれば当たり前のように日中にできていた1日8時間の仕事を夜中に持ち越すしかなく、日中は家事と育児と教育に明け暮れ、一人の人間としてはほとんど休めない。

 何とかならないか、悩みに悩んだ末に藁をもすがる思いでたどりついたのが、ある家事代行サービスでした。

 その会社はフィリピンから来日したスタッフを派遣していて、わが家にはジャッキーさん(仮名)という担当者がやってきました。彼女は、中学生のひとり息子をマニラ郊外に住む母親に託して単身で来日していました。

 部屋の片付けからお風呂掃除まで、毎回ピカピカになるほど黙々と掃除をしてくれて、帰り際にはニコニコと日本語で雑談までしてくれる彼女のおかげで、疲労困憊していた私の心身はしだいに癒されていきました。

 そんなあるとき、ジャッキーさんがスマートフォンの動画を見せてくれました。画面をみると、そこにはフィリピンに残してきたジャッキーさんの息子と、実家の母親や親族が集まっていました。

 家族たちが楽しそうに「ハッピーバースデー、トゥー、マミー!」と歌っています。

「今日はお母さんの誕生日なんです。」

ジャッキーさんが私に説明してくれます。

 画面のお母さんのもとには、巨大なバースデーケーキがおいてあります。ジャッキーさんがインターネットで日本から注文したといいます。

 母親がふうっとろうそくを吹き消すと、画面が真っ暗になりました。

 しばらくして真っ暗な画面が再び明るくなると、今度は真っ赤なリボンが結ばれた箱が出てきました。箱は両手で抱えるほど巨大です。

 「開けてみて」と家族たちに促されて、母親は不思議そうに包みを開きました。

故郷のお母さんに、彼女が贈ったプレゼントの中身

 すると中から、するするとお札がひものようにつながって出ててきたのです。

 母親が引っ張っても引っ張ってもまだまだ出てくる数十枚のお札は、5メートル以上はあったでしょうか。

 家族は母親に言いました。

「これは、ジャッキーが日本で働いて送ってくれたお金なのよ」

 母親は喜びのあまり両手で顔を覆って泣き出しました。画面の中でお祝いしている家族も、その動画を私に見せてくれているジャッキーさんの目にも涙が浮かんでいました。

「ありがとう、ありがとう。これで壊れた壁を直せるわ。」

 カメラの向こうで、母親はジャッキーさんに向かって繰り返していました。

半年前に起きた悲劇

 その半年前、フィリピンは巨大な台風に襲われたばかりでした。ジャッキーさんの実家も半壊し、床上まで浸水してしまいました。台風が直撃した当日は電気やインターネットが通じず、家族の安否すら確認できない状態でした。

 その日、彼女はわが家に家事代行の仕事に来てくれていました。

 休んだ方がいいのでは?と言っても、彼女はいつも通り淡々と仕事を始めました。日本にいては何もできない、コロナ禍で自由に出国できないから、家族の連絡を待つしかないのだと。

 不安に押しつぶされそうだったに違いありません。でも、ひたすら目の前の仕事に没頭することで不安をかき消そうとするかのように、その日はいつも以上に黙々と仕事をしていました。

 それはあまりに痛々しい姿でした。いたたまれなさのあまり、お代はいつも通り払うからといって、約束の時間よりも早めに切り上げて帰ってもらうくらいしか、私にできることはありませんでした。

 のちに、ジャッキーさんの家族の無事が確認されました。安心した彼女はまたいつものように笑顔でわが家にやってきて、てきぱきと働いてくれました。彼女が帰った後は、お風呂も台所もトイレもリビングも、まるでチェックインしたてのホテルのようにピカピカになるのです。

 毎月休むことなく懸命に働いてわが家をピカピカにしてくれるのは、海の向こうで被災した彼女の家を復旧するためだったのです。

家族を残して働く彼女、彼女の時間を買って働く私

 外国人の家事代行サービスは、女性の活躍促進や家事支援ニーズへの対応、中長期的な経済成長の観点から、東京や神奈川、千葉、大阪などの国家戦略特別区域内において展開されています。現在は在留資格5年間に限られていますが、国は在留資格の延長を検討するなど、外国人材の活用拡大が期待されています。

 厚生労働省の「令和3年賃金構造基本調査」によると、日本のサービス業で働く外国人労働者の平均給与は21.8万円。この水準は同年の大学新卒者の初任給を下回っています。それでも、故郷の家族にいくらか送金できれば、いくぶんかは家族の支えとなるようです。

 しかし、世界的に人件費が高騰している情勢下で、賃金が上がらない日本の労働環境の魅力は薄くなってきているとききますし、最近では円安の影響で日本から海外へ送金するお金の価値も目減りしてきてしまっています。

 日本の新入社員が「年収が上がればリッチになれる」と期待に胸を膨らませて就職しながらも、やがて年数を経ても思うように上がらない賃金と経済成長が見込めない日本の現実に静かな絶望を抱くのと同じように、「日本に行けばお金を稼げる」と夢を抱いて海を渡ってくる外国人労働者の期待も、思うようには叶わないのではないかと、心配せずにはいられません。

 なにより、家事代行サービスを利用することで家事の負担が軽減され、仕事に集中したり家族とゆっくり過ごしたりできる時間をいくぶんか増やせた自分と引き換えに、生活のために家族と離れて働くジャッキーさんの存在があるという現実。それを、うまく説明できない自分がいます。

 ジャッキーさんが対面でお母さんの誕生日をお祝いできるのは、きっと数年後でしょう。それまで彼女の時間をお金で買う私は、ぜいたくが過ぎるのでしょうか。せめて、わが家で働いたお金が少しでも海の向こうの家族の笑顔につながればと願っています。


加藤梨里(ファイナンシャルプランナー)

#日経COMEMO #NIKKEI

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