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『ザリガニの鳴くところ』を観た時の衝撃


Where the Crawdads Sing ザリガニの鳴くところ 
を観て、ここ近年すっかり忘れていた『映画を観た後の衝撃』という感情を思い出した。

たくさんの映画を観ているが、こんな感情を持ったのはシックスセンス(1999年)以来かもしれない。しかも大人になってからは、「こんなことあるわけない」などといった感想をフィクションに対して抱くようになり、素直に感動することが難しくなってしまった。

けれどさすが、米ベストセラー原作の映画化。

『ザリガニの鳴くところ』(ザリガニのなくところ、Where the Crawdads Sing)は2022年のアメリカ合衆国のドラマ映画。監督はオリヴィア・ニューマン、主演はデイジー・エドガー=ジョーンズが務めた。本作はディーリア・オーウェンズが2018年に発表した同名の小説を原作としている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

ネタバレなしで感想を書いていきたいと思う。

生物としての本能を知ること

この映画を観て強く印象に残っていることがある。今まで私が思っていた色々なことに対するモヤモヤ、問題、そういったもの全てに、なぜか答えを出してもらったような気がしたのだ。

主人公のカイアは湿地で一人で暮らしている。だから湿地の生物に詳しい。この事実はラストでとても重要な事項となる。


私がこの映画を観て思い出したのは、虫がけっこう好きだった自分の子供時代。

カマキリのメスが交尾の後オスを食べてしまったり、アリの巣では働いているふりをしながら怠けているアリが一定数いたりと、虫の世界には色々と興味深いことがあった。それを学ぶのはとても楽しかったことを覚えている。

虫もそうだが生物や動物としての本能というのは、理由などなく、ただ事実として存在している。

そこに私たち人間の倫理や常識など関係ない。だからびっくりさせられてとても面白い。

ただ面白い、というだけではない。この映画のラストには、それにともなう驚愕の事実が待っている。

不幸な子供時代で密かに育まれたもの

カイアの子供時代がいかに不運なものであったか、というところから物語は始まる。

私は、カイアのような子供の生活がどのようなものか想像するしかできないけれど、生きるために一生懸命なその姿にひどく心を打たれた。

生きるために何ができるか。それを小さな少女が考え、必死で起こした行動。

「近所の人に親切にしてもらえなかったら、この子は一体どうなっていたのだろう」とか色々思いを巡らせていた。

実はこれらのシーンひとつひとつ、カイアの経験の全てが、ラストに繋がる彼女の人格や常識、価値観が形成されていくパズルのピースになっている。

ラストで衝撃があっただけではなく、まるでカードを一枚ひっくり返したら全てのカードをひっくり返さなければならないような、ガラガラと何かが壊れていくような感覚がある。

だから見終わった後、すぐにもう一度観なければいけないような気分に駆られた。
答え合わせをしなければ気がすまない、というような。

シックスセンスを観終わった時も、同じ感覚があった。

幸せな人生って何?と考えさせてくれる

この映画の概要を知ったら、「なんだか重い気分になりそう」と思うかもしれないが、私は観終わった後、驚きと感動の中に、ある種の爽快さを感じた。

それは「幸せな人生って何?幸せの定義って誰が決めるの?」というクエスチョン、そして「それは自分だ」という答え。

そんなのは言葉では、頭では分かっていたはず。

けれどその本当の意味、あるいはちょっと極端な意味では、全く分かっていなかったのだと考えさせられた。

私達人間だって、動物の一種ではないか。

そしてそれが、この世で最も怖いことの一つなのかもしれない。

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