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歴史的な二日間

歴史的な二日間

 5月13日 多久市郷土史研究会 定例会に石丸先生のご紹介でちょっとだけお手伝いに行きました。

1 明治維新と多久 倉富治利氏の講義で幕末から明治後期以降までの日本全体の概史と佐賀藩の状況や人物を経年形式で、さらに多久市関連の人物や歴史の流れをお話いただきました。直正公の強力な学問・技術習得の奨励政策から、佐賀藩は多くの政府関係者や技術官僚を明治政府に出しているのは以前の会社でいろいろ知っていました。意外な人間関係、実はあまり仲良くなかった、実は学友だったなどのお話も興味深く聴講させていただきました。驚異的な天才工学博士志田林三郎(無線や電話・映像送信の予言他)や山口尚芳(岩倉使節団)などの説明が当時の状況も交えての説明で聞くことができました。

2 多久の肥前刀  石丸隆司氏の講義で肥前刀の説明と多久市に関係する刀工の方々のお話をされました。初代忠吉の異母兄弟の吉貞さんから始まる多久での家系のお話や、明治の刀工、吉忠刀匠のいろいろなエピソード、当時の世相をうかがえるものや神社にまつわるお話や多久の地域の人々が知るお話も興味深く聴講させていただきました。(詳しくは省かせていただきます)

 5月14日 佐賀戦国研究会 研究報告会を聴講させていただきました。

1 大村純忠と佐賀 深川直也氏
 実は勇猛でけっこう合戦がうまかった可能性や、キリシタンとしての民衆を引っ張る力や逆にそれが足を引っ張ったかも、、、などのお話からさらに想像をたくましくしながら、精緻な調査と検証のされたお話を聞くことができました。一武将を調べるのに、個人の事跡だけでなく広く周辺地域や日本や海外の当時の状況も調べる必要があるのを改めて教えていただきました。冒頭の千葉氏のと対立や、有馬氏との関係、武雄・嬉野・鹿島での勢力の変遷や大友氏や龍造寺氏との関係も詳しくお話を聞くことができました。(後半のお話でも感じましたが、侍も民衆もだれも落ち着いて生活できない状況が長く長く続いていたのだなとも思いました。また、ゲームの信長の野望をやっていた関係で、武将の能力値がみんなの知る歴史やイメージで設定されていて、実際の本人は違ってたかもという考えを30年前に持っていたのを思い出しました。)

2 北部九州における寺社勢力の戦国時代 田島光氏
 当時の寺社勢力の説明から始まり、大宰府天満宮、当時は「安楽寺天満宮」の歴史を中心に当時の状況やそれぞれの動向をお話しされました。大宰府の勢力は土地が散らばっていて(地域での武装勢力化が進まずに、むしろ周辺大名などの力関係をうまく利用してたのだなという印象を持ちました。
 ※ 私は以前の職場で福岡の宗像大社関連のことを少ししていて、全国のいろんなところに土地を持ってたり寄進されてるなあ、とか毛利の援軍で大友の側の誰それと合戦になったなどなど、ほぼ武将だなと感じていたのでした。(講義でもいろんな社寺が古くから土着勢力として存在していたとのお話・記述をされていました)

昨日は公民館近くのうどん屋さんでボリュームある定食

今日はトネリコカフェでした。

パソコンにやってきたクモですが、ポインタに反応します。


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