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~Hopping2.0~ アフターコロナの多拠点居住に関する考察

どうも、星野源がアップしてくれるライブ動画のEleven Playに萌えている福太郎です。

アドレスホッピングという新しいライフスタイルがコロナの継続/収束に合わせて、より合理的ライフスタイルとして選択肢に入るだろうというお話。
ちょっと長めですがお付き合いくださいな。


**Beforeコロナ:イノベーター層によるアドレスホッピング

結構エクストリームな人たち**

アドレスホッパーとは、居住地を一箇所に固定せずに暮らす人々。
その生活様式をアドレスホッピングと呼びます。

2010年代のミニマリズム精神、2010年代後半のデジタル化/シェアリングエコノミーやゲストハウス/ホステルのムーブメントに伴い、増加してきました。
2019年はTVでも話題になったりして、社会に認知されるようになりました。
ただし、実際にやっているのは本当にごくわずか、限られた人たち。
最初の2.5%、いわゆる「イノベーター」でしょう。

実践してる人たちはPC一台でノマドワークをできる人や収入に余裕のある層など。
どちらかと言うと「強者」に許されたライフスタイルでしょう。
まぁごく一部、会社にも努めながらする人、または僕のように大学にも通いながら首都圏でアドレスホッピングを敢行する人もいましたが、マイナー中のマイナーですね。

社会の2周ぐらい先を行くゆえ、起きるハレーションなんかも。

こちらのAbemaTVの動画は、2019年1月に放送されたもの。
住所不定をカッコよう言っとるだけやん!とか寄生しとるやん!という見方
をする方も結構います。
学生なんかでするとどうしても難しい部分もありますね。

ただ実施している人たちは地域のコミュニティに溶け込んでいたり、
時にはそこで盛り上がって一緒にプロジェクトをする事も。
「住所不定有職」です。
ただの旅行者と違って、ちゃんとその地に少し根を張って役割をもったりできるところが「住」と「旅」の間をいくゆえ。

その他面白いのが、Beforeコロナのホッパーたちの特徴は

「計画的に無計画」なところ。

GoogleMapを使わずに移動できるかチャレンジしたり、
そこらへんのおじちゃん/おばちゃんにオススメを聞きに行ったり、
何かしらのトラブルさえ笑い話にしてしまうぐらいな人たち。

普通、現代だったら相当なストレスだよね??
けど、意図的に”余白”や"迷い"を作りにいき、理性より直感に頼ったりする。
僕も結構外国人観光客の人をひっかけたり、結果一緒に鎌倉行ったりして
ランダム性をエンジョイしてました。

日々うまいもん食って、カルチャーに触れて、思いがけない出来事に心動いて。
ある種、一番「人間」をエンジョイしているではないでしょうか。

Afterコロナ:Hopping2.0。合理化と情理化の進んだ社会。

さて、ビフォーコロナはiPhoneで言うところの初代。

アフターコロナはより多拠点やアドレスホッピング実践者が増えるだろう。
アーリアダプターのレベル5%ぐらいが選び、暮らしの選択肢として入ってくる。環境の便利さでいうならiPhone5ぐらいかな。全部感覚値ですが。

多分アフターコロナでやる人たちは、もう少し落ち着いた
「暮らし」をしたい人たちなんだろうな、と思う。
知らない土地で迷いたくはないし、不便は嫌だ。
そこは需要となってまた新たなサービスも生まれるだろう。

冒頭ツイートをベースにもう少し掘り下げます。当たったら 座布団ください。

ポイントは「合理と情理」
1テレワークからはもう戻れない。古い商習慣の粛清
2繋がり3.0の時代 3.11との違い
3多拠点生活の更なる浸透、暮らしのあり方の"再再"定義

1.テレワーク化は古い商習慣の粛清と合理化を意味する

働き方改革と言われて久しいが、日本は大した変化を生み出せないで手を
こまねいていた。
原因はもう時代にそぐわなくなりつつある商習慣が一つの原因ではないか。
ハンコとヒラメ筋営業と企業戦士、終身雇用、生産性の逆を行く残業美徳主義....
人間は変化を恐る生き物。
そりゃ過去の成功体験があればそこを捨て去るのは辛い。
わかる。人間は変化を恐る生き物だから。
みんないっせーので高さのわからない崖からジャンプできるか?
という問いに近い。

かつて現代のような通信網がない時代に"分散していること"はコストだった。
狼煙をあげたり、飛脚や伝書鳩を遣わしたり。すごく時間がかかる。
正確に、安全に伝わるかもわからない。

時が経ち、携帯電話が登場し、メールが登場し、チャットツールが登場し、SaaSが登場し......
これらによって、正確に、安全に、何より地球の裏側だろうが瞬時に情報伝達できる時代がやってきた。
ゆえに集約/集積する必然性が薄れてきたが、あくまで「加速させるツール」としか見られていなかった。

今回のクライシスで「集約」のリスク面が浮き彫りになり、分散化が進んだ。ツールは「加速させる」存在から必須な「インフラ」となった。
そしてそのインフラを頼りに、日本の労働生産性における
「重要だが緊急ではないこと」だったテーマが「重要かつ緊急なこと」になった。

テレワークをすることで最初は変化に戸惑うものの、慣れてしまったら
満員電車に乗らなくていい事や成果主義に変わることの心地よさに、
戻れない。

首都圏に住んで会社に通勤する常識に問いが投げられた。
地代の高い場所に大きなオフィスを構え、それのために収益を稼がねばならない。この常識の意義が見直される。

好きな場所で、自分の最大限のパフォーマンスを上げられる環境を
整えること、また雇用元(ここではあえて会社と書かない)が提供する
トレンドが来るだろう。

2繋がり3.0の時代

【繋がり1.0】
昔は村落共同体、むら社会などと言われる、場所に結びついた強固なコミュニティがあった。

【繋がり1.5】
21世紀に突入にするにあたり、インターネットの普及や携帯、メールの力により、社会はどんどん中央集権的ではない分散型の弱い繋がりにとって変わられた。主戦場がオンライン化する。
繋がり1.0的な現実世界の繋がりを補完する性質と、2ちゃんねるなど、
SNSの走りがあった。

【繋がり2.0】
スマートフォンの普及とSNSによって、現実世界のコミュニティを超えて人々は繋がり始めた。
特にメールとの違いは、1対1コミュニケーションではなく、1対Nである事。
掲示板との違いは、「アカウント」という概念。
キャラクターがついた事で、リアルとリンクさせる事もできれば、自分の
作りたいキャラクターにする事もできる。
目の前の繋がりより、オンラインでのつながりがどんどん強くなっていく。
上記の画像でも書いた「弱いつながり」の優勢な時代。

【日本での3.11】
日本には特殊な出来事があり、一度強いつながりへの揺り戻しがあった。
それが東日本大震災。改めて、自分の地域に住んでいる人たち、家族などについて考える機会だったと思う。
ただ、それでも現在と違うのは、社会が前進するという前提の元。
もう成長曲線で言えば先進国はかなり成熟しきった。
見て見ぬ振りをしていた「綻び」をテーマに、SDGs「持続可能な成長」
が世界のテーマになったのも、前進を仕切ってしまった故ではないか。
iPhoneでまたまた例えるが、昔のような革新的アップデートがない状態。

そして、あくまで3.11は日本国内の事であり、世界はどんどん弱い分散的
な繋がりが優位になっていった。

【繋がり3.0の時代】
今回のクライシスで、再び強い繋がりへの揺り戻しが来る。
そこを完全には言語化できていないのが悔しいが、
テクノロジーの持つ合理性と、それでもなお「人間らしさ」を追求する情理の部分を共存させる、「強くて弱い」繋がりを求めるのではないか
一つのキーは「選択肢」だろう。人間という複雑で多面体な生き物が、これまた複雑で多面体を持つ社会のどんな部分を接しておくか、という事だろう。

こんなイメージ。
自分がどこにいたくて、どんな人と付き合いたくて、どう生きたいのか、
社会のなかの自分ありきでなく、より多面体にな個人としてどの面を社会に役立てたいのか。
個人の社会に接してない面は、趣味だったり生きがいだったり、別のコミュニティだったりと接している。

3暮らしのあり方の再定義**

都市に集約していくことのメリットは薄れ、リスクさえある。(合理)
多面体化し、複雑化し、正解のモデルを社会があたえなくなり、
個人の理想を正解とし、追い求める必要が生まれた。(情理)

「さて、僕は/私はどうしよう?このままでいいのか?」
こうなったとき、暮らしのあり方を人々は考え、自分の行き先を決める。

それでもなお資本主義的な世界で勝ちたい人は、マネーゲームの中で強者を演じ続ければいい。
それに半ば強制的に巻き込まれて消耗しているなら、違う形を探りはじめても良い。
完全にオフグリットに生きたいやつは、そういう環境を探せばいいし、そこまででもなければ、間ぐらいをとってもいい。
今実際に、自分が両極端の間のどこに身をおきたいのかに関しては、選択肢が増えているので必要以上に不安にならなくてもいいと思う。

いち早く自分に大きな「問い」をもち、模索しながら実践している先駆者が既にいるので、彼らを頼ろう。
たいていの不安はそのロールモデルを見れば答えが見えてくるし、彼らと一緒に答えのない未知の課題や問いに関して模索するのも案外楽しい。

アドレスホッパー や多拠点を送る上での課題は、それを解決するどんどんサービスが生まれ、浸透しているので障壁が下がっている。
特にどうやって生活を維持するのか、という課題は、Hopping1.0世代の人たちが、先駆者ならではの社会性を持って模索している。

その一つの結晶が、HoppingMagazineという物だ。
例えば教育と移動生活という一見相反するテーマについてを調べ、
事例をコレクトしたりインタビューした上で、テーマに対する現時点での
出しうる答えを記している。
ぜひAmazonでも買えるので、手にとってみて欲しい。

仕事はリモート化し、場所問題は解決されるビジョンが薄ら見えてきた。
今回のクライシスは、僕らが本当に必要としている物だけ残る、いい意味での新陳代謝でもある。
今、たくさんの問いが降ってきている。
あなたにとって本当に大事なものは何か?
どんな場所で、誰と一緒に、どういう暮らしをすれば、
一番自分らしいと思うか?
その上でどのように社会と接点を持ちたいか?

今日が最後の日なら、後悔なく死ねるか?

この問いに答えがでた人が多拠点生活をするか、はたまた答えが出ないからこそ、ベストフィットする社会(という名の環境)を探し求めて遊動するのかはわからない。

ただ確実に言えることは都市一極集中への人の動きは収まり二拠点や多拠点、アドレスホッピング、バンライフなど、暮らしのあり方のメインストリームに食い込んできて、分散型のライフスタイル実践者が増えるであろうということ。

**最後に:社会は振り子のように変化する。

その変化を生むのは一人一人の意思あるエネルギー**

社会は振り子のような、波のような変化をしている。

けど、同じように後戻りをするのではなく、新たな要素を従えて、進化していく。
もうコロナ以前の社会の価値観に戻って収まることはないだろう。

前の時代への郷愁のようなものは捨てて、変化を受け入れ、前進するしかない。
その変化を生むのは一人一人の行動だし、その結果として社会は前進する。
勝手に変わるわけではない。

今後、コロナ収束後により一人一人が自分らしい生き方をできる世の中になり、アドレスホッピング/多拠点生活を通じてより精神的豊かを持って生きる人が増えることを願って、筆を置く。

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