⑦「けど、知ってた?結局僕の命は僕のものなのにね。」
前回の続きです。
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一ヶ月が過ぎた。
那留守(なるかみ)様の容態が良くない。
「今出ていっても恨まないぞ?」
「逃げるならあの一角からだ。あそこなら見張りの視覚になる。」
何故知ってるのだろう。
どこから得た情報なのか。
那留守(なるかみ)様も色々不安になってくるのか、様々な方法で覚悟を試してくる。
一人になりたがるくせに、寂しがり屋だと知った。
「はいはい、そうですね。」
そう言いながら井戸の冷たい水に温もったタオルを冷す。
熱も出ている。
朝顔の花が咲き始めた頃。
私は那留守様の言うように忌厄祓い以外の神事をしている。
他には屋敷の掃除や運ばれてくる那留守様の食事、身の回りの事。
ここには自分しかいないので意外とやる事は多い。
しかし、不思議と忌厄(いき)祓いをしなくなってから私自身の体調はいい。あまり深くは考えていなかったが、ほんの少し感じていた頭痛や吐き気などがしなくなっている。
那留守様の言う『忌厄(いき)祓いは命を削る。』は本当なのかもしれない。
後になってからそう思う。
自分のしている事が正しい事なのか、正しくない事なのか。
いや、きっと正しくはないだろう。
しかし、那留守様は食事もしっかりと取り、いつもどこか楽しそうで、機嫌も良かった。
相変わらず呪の気配は分からないが、せめて呪詛返しや浄めの儀式だけは普段より集中して行うようにしている。
“死を迎える”その心境になった事がないので心から寄り添う事はできない。
どうしても軽い言葉になってしまう。何も出来ない。だからこそせめて望みは叶えてあげたい。
そんな心境になっていた。
いつの間にか気心も知れ、蝋燭の明かりのもと沢山の話をした。
「病気にならなかったらこれだけ自然を見つめる事ができなかった。
こんなに景色が変わるなんて知らなかった。
こんなに自然に音があるなんて知らなかった。
寂しいという感情も知らなかった。
私はいまになって寂しいを知った。
あれだけの人間に囲まれてきたのに、呪いを受けていると分かった瞬間から手のひらを返したように誰もいなくなり今は私を避ける日々だ。
…しかし、今の方がいい。
思ってもいないようなうわべだけの言葉を重ねてかけられ続けるよりも、誰もいない方がいい。
今の方が不自由な生活かもしれないが、心は自由だ。
しかし逆に、今はお前がいなくなると怖い。
“有難い”なんて言葉を知ることはなかった。
私が死んだら、何もしなくていい。
葬儀もいらない。
ただ…仁依雅(にいまさ)、お前が好きな祝詞の一節だけ私の為にあげてくれ。
それだけでいい。
それだけで十分だ。」
そんな事を言うようになった。
「弱気な事を仰って、万が一その通りになったら貴方様の嫌いな忌厄(いき)祓いの祝詞をあげますよ?」
那留守様は嫌な事には返事もしない。
しかし、私も気にせず冗談を言える所まできている。
トンボが飛び、ツクツクボウシが鳴き始める頃、那留守様の容態は少し落ち着き、この生活を始めて2ヶ月半が過ぎた。
2ヶ月という占いは違えた。
これだけでも驚きの結果である。
御上からの書状ではお褒めの言葉も綴られていた。
3ヶ月が過ぎた頃、那留守様は床に伏せる日が増えてきた。
少し痩せたようにも思う。
本を読むのも億劫なようで、私が代読している。
4ヶ月。
眠っている日が増えてきた。
息がある。
それだけで有り難いと思うようになった。
そして、那留守様は何度も確認してくる。
「私が死んだらこの鈴を鳴らせ。
私の信用できる者がお前の生きる場所へ連れて行く。
そしてお前はそこで新たに暮らすんだ。
あいつらに報告する事は許さないぞ。」
「結局僕の命は僕のものだ。
お前の命もお前のものだ。
命には誰も介入できない。
してはいけない。」
私は那留守様の話を聞くのが好きだった。
紅葉、そして木々の葉も落ち、
最近寒くなってきた。
朝食に口をつけず、私に側にいるよう指示した朝。
「僕の命は僕のものだ。」
そう笑って、那留守様は息を引き取った。
死期を察して側に置いてくれたのだろう。
枕元には「死んだら鳴らせ」と言われていた鈴も置いてくれてある。
人が亡くなるのは何度も見てきている。
幼児から年配者まで。
悲しみにくれる遺族も見てきた。
…那留守様は、
突然亡くなったのではない。
私も、那留守様も、覚悟をして日々生きてきた。
後悔しない為に。
今…ただ、強く感じたのは悲しみではなく、絶望感。
守ってやれなかった。
結局、私は何も出来ないんだ。
そう、何か影が自分を包む気がした。
この後の事はあまり覚えてない。
私は那留守様の言いつけを破った。
このまま置いてなんかいけない。
那留守様が亡くなられた事を上に告げ、送り出す準備をする。
今の現状として、2ヶ月を超えているので
『那留守様は呪いによって殺された。
それが神事をもってしても太刀打ちできなかった。
今日まで私が呪いを抑え込んでした。
それだけ恐ろしい呪いがかかっている。
そしてその呪いは今私についている。』
となっている。
私は何もしていない。
事実と真実は違う。
すぐに外部から手順が書かれた手紙を受け取る。
心にぽっかりと穴が空いてしまったようで、何の感情もわかず、ただ淡々と準備をした。
準備された衣服に那留守様を着替えさせ、送り出す際の神事を行い、門に置かれた神輿に乗せる。
すべて手順通り行う。
最後の別れの時、約束していた私の好きな祝詞を奏上した。
『神々が、貴方に微笑みかけますように…。』
そして私は、準備されていた清めの酒(のようなもの)を飲む。
ここまでが私の使命であった。
雪が降ってきた。
今頃那留守様もあちらか見えているだろうか。
貴方をここに置いて、自分だけ出るなんて出来るわけがない。
大切な貴方だからこそ、ちゃんと送り出してあげたかった。
そして、私の意識は途絶えた。
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青い空…。
広い広いお屋敷の中庭で…、
紺や青、紫色の着物を着た子供達が、まり蹴りしてる。
「けど、知ってた?結局僕の命は僕のものなのにね。」
私は…、
幼い頃の夢を見ていた。
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私は眠っていたのか。
朦朧としながら目が覚めた。
目の焦点が合うまで時間がかかった。
覚めたが体は動かない。
全身が痺れている。
飲んだ酒に何か入っていたのだろう。
そして、噛まされている猿ぐつわにも薬品が塗り込まれているようで口の周りは特に強く痺れていた。
思考も動かない。
暴れられないようにだろう。
体も身動きが取れないように縛られている。
そして更に太い縄で両端から繋がれ、膝をついたまま座る体制で倒れられなような姿勢になっていた。
雪が降っている。
体にも少し積もっていた。
どれだけ時間が過ぎているのだろう。
目の前には普段見る儀式とは比べられない程の大きな薪が組まれ炎が出ていた。
その中に神輿が見える。
那留守様の神輿が。
(那留守様を火葬しているのだろう。)
思考は回らない。
感情が出てこない。
足元には砂利の上に護符の陣が書かれ、十数人の神官たちに囲まれ祝詞を挙げられていた。
どの神官も怖い顔をしている。
そうか…そんなに呪いが怖いか…。
何時間たったであろうか。
祝詞が詠み終わると共に、矢を向けられた。
矢を向けられる意味も分からない。
しかし、ただ分かった。
死ぬんだ。
矢が放たれ身に刺さる。
一体何本刺さっているだろうか。
薬のせいか全く痛みはない。感情もわかない。
矢を放った自分を囲う十数人の神官たちと流れ出る血だけが目に映っていた。
息が少しずつ出来なくなる。
息を吐く時口からも血が共に出る。
目の前が暗くなってきた、血が流れ身体が冷たく震える。
崩れ落ちそうになる体。
次の瞬間、体を結ぶ太い紐に率いられ身体が浮いたと思った瞬間大きな炎の中に投げ入れられていた。
息はまだあった。
息のあるまま、投げ入れられた。
炎の中へ。
神輿の上に乗り上げた形になった。
自分の重みで神輿が崩れる。
“ここに那留守様がいる…”
今、“痛い”も“熱い”も“悲しい”も“怒り”も、何も無かった。
きっと薬のせいだろう。
ただ、無音の映像を見ている感覚。
炎に投げ入れられてから、この人生が終わるまで数秒も無かったと思う。
肉体から魂が抜けて、感じたのは…。
『抗えば良かった。』
その後悔しか無かった。
「いいか仁依雅、私が死んでも生きろよ。」
「抗った方が面白いじゃないか。」
「どうなるかやってみよう。」
そうですね、那留守様。
結局私は諦めてしまった。
諦めた結果、貴方の一番嫌がる事態になってしまいました。
幽閉どころの話では無かった。
怒られるな…。
顔向けできない。
驚く事に仁依雅には、恨みも、悲しみも、未練も殆ど無かった。
いつかの世には、抗い、楽しめる人生にしたい。
そして、その時は貴方ともう一度逢えるといいな。
今会うと
きっと怒られると思った。
『抗えば良かった。』
これがこの仁依雅からの命を懸けたメッセージ。
しかし、仁依雅には気付かなかった思い込みが別の問題を引き起こしたままこの人生は終わっていた。
それが、今世への影響である。
『想いは永遠である。』
改めてそれを知ることになる。
それは、また次回…。