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職業ダンサーの誕生 〜ルイ14世の引退後〜

こんにちは。あゆみです🩰

今回の話も、前回の記事から続いてる内容なので、
まだ読んでいない方は、
そちらを読んでいただいてから今日のnoteを読んでいただくと
わかりやすいかと思います!!

今日は、バレエの体系化を進めたルイ14世のおかげで誕生した
”職業”ダンサーの誕生
について書いてみたいと思います。

それではスタート!!


ルイ14世が舞台をおりた後


1670年、
歳をとり、太ってしまったルイ14世はこの歳を最後に、舞台を引退しました。

王が踊らなくなる
 II
周りの貴族も踊らされる義務がなくなる

ということ。
踊ることがあまり得意でない当時のフランス貴族もたくさんいたでしょうから、
そういう人たちにはラッキーすぎる出来事だったでしょう。笑

その代わり、”職業”としてのダンサーが少しずつ増えていきました。
バレエが上演される場所は、宮廷→劇場へと移り変わり、
ダンサーの踊りのレベルも必然的に上がっていきました。

ここからは、初期の”職業”ダンサーとして歴史に名を残している人たちを
紹介していきます。

”職業”ダンサーの誕生

史上初の女性ダンサー

職業としてのダンサーが生まれたことにより、
女性のダンサーも現れるようになった。

それまでは舞台に上がるのは男性のみで、女性が上がることはなかったみたいです。
女性の役は、男性が仮面をつけ演じていたとも言われています。

史上初の女性ダンサーと言われているのが
ラ・フォンテーヌ

〈写真出てこなかった…〉

前回のnoteに出てきたジャン=バティスト・リュリ作曲し、ピエール・ボーシャンが振り付けした作品
『愛の勝利』(1861年初演)にて舞台デビューを飾ります。

『愛の勝利』〈https://www.habsburger.net/en/media/johann-georg-weikert-scene-pastoral-ballet-le-triomphe-de-lamour-1765-oil-canvas より引用〉

彼女が特に他のダンサーと違ったのは、舞台への意識。
プロの舞台人としての意識がすごく高く
「舞台の女王」という呼び名もあったそうな。

舞台への意識とか
プロの舞台人
などの言葉が出てくるようになったあたり、
ダンサーが職業として定着してきたんだろうなぁという実感が湧きますね。


ちなみに『愛の勝利』という作品は、
20ものアントレ(入場という意味)があり、
フィナーレでは神と人間を支配する「愛」を讃えた豪華絢爛な宮廷バレエ。

そして当時のバレエは「オペラ=バレエ」と呼ばれることも多く、
・豪華絢爛な舞台装置、
・歌飛ぶ嘔吐が台頭に演じられる歌謡劇
などを特徴としていたみたいです。
リュリが作ったものはオペラ=バレエが多かったみたいです。

なのでどちらかというと、まだまだ現代のような言葉を発さない踊り
というよりも、
より演劇要素や、歌、他の要素がたくさん含まれている
エンテーテインメントとして楽しまれていたのだと考えています。


男性ダンサーの活躍

職業として女性ダンサーが登場し始めたことから、女性ダンサーばかりが注目されがちですが、
もちろん男性ダンサーもたくさん活躍していました。

その中でも今回は2人のダンサーをあげて紹介していきます


  1. ミッシェル・ブロンディ 1676(または1677)〜1739

ルイ14世のダンス教師であったピエール・ボーシャンの甥で弟子。
フランスのダンサー/振付家/教師。

1690年だいにパリ・オペラ座に入団し、
1729年王立バレエアカデミーのバレエ作者=パリ・オペラ座の監督になった人物。

「史上最高の美男ダンサー」だったらしいです。

教師としても非常に優秀な人物で、
後に登場するマリー・サレ、マリー・カマルゴを育てた功績もあります。

こんなに優秀だったのに、あまり情報が出てこないので、
いつかもっと詳しく調べられたら、
またシェアしたいと思います!
(顔写真/絵すら出てこない…)



2.  クロード・バロン   Cloude Balon 1671~1744

バロン
バレエを習ったことがある方はなんとなく聞いたことがある名前かも??

実はこのかた
バロネ
というステップの元になった方でもあります。

パリ生まれ。フランスのダンサー/教師/振付家。

1690年にパリ・オペラ座入団
先述したミッシェル・ブロンディと人気を二分したらしいです。

バロン〈https://danceinhistory.com/tag/claude-ballon/ より引用〉

この上なく趣味がよく、比べようもないほど表現力に富むダンサー
だったみたいです。

1715年にはルイ15世のバレエ教師になり、
19年には王のバレエ作曲家に任命される。
同じく1719年いはピエール・ボーシャンの後任として、
王立舞踊アカデミーの総裁に任命された人物。

まとめ

今回は職業のダンサーの登場について書いてみました。
この先みなさんが聞いたことあるような歴史上有名なダンサーがたくさん出てきます!

各ダンサーと時代のつながりなど、なるべくわかりやすく書いていこうと思ってます☺️

次回は、衣裳に改革を起こした二人のダンサーについて書いてみようかなぁと考えております!


最後まで読んでいただきありがとうございます!
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それではまた〜




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