If I should lose you

 僕には、同志と呼べる人がいた。

 僕よりずっと年下でありながら、僕よりはるかに音楽に精通していた。一緒に音楽をすると僕の音に反応してくれて本当に楽しかった。誰からも愛される人柄で、そのせいもあって、あっという間に人気のプレイヤーになった。
 そして、それだけの技術と知識があるにも拘らず、僕の音を評価してくれた。

 僕はどちらかというとネガティヴな人間で、一緒にいて楽しいタイプではない。音楽の趣味も同じだ。生きていく上でどうしようもない苦悩が自ずと現れるような、そんな音楽が好きだ。あるいは、何かちょっとしたものが加わっただけで壊れてしまうような、そんな繊細な音楽が好きだ。
 そんな僕にとって、理想のトランペッターはチェット・ベイカーだ。特に晩年の演奏が大好き。この演奏など、彼がどうしてもそうとしか生きられなかったことによる苦悩が、切実に現れているような気がしてならない。
 もちろん、僕にこんな演奏はできないのだけれど。

 そして、僕はこういう人間だから、音楽をやっていてもうまくいかないことが多い。それがこんな音になって現れるのであれば苦労はないのだが、そんなわけはない。その程度の力量の人間が、こういう種類の音楽をやろうとしても、なかなか聴いてはもらえない。繊細で綺麗な音楽をやろうとしても同じだ。そりゃそうだろう。こういう音楽こそ奏者の力量が問われる。
 そんなわけで、どうしても内側に鬱屈したものを抱え込むことになる。いろんな形で、いろんなタイミングで。 

 だから、それでも僕の音を評価してれたその同志がいることは、僕が音楽を続ける上でのよすがだった。それこそ、音楽(愛好)家としての僕の存在を支える、同志であることを遥かに超える存在だった。


 その同志が、僕に送ってくれた言葉がこれだった。本人の承諾を得て、ここに掲載する。

多分いつか、辛いから楽しい幸せに変わるときはそう遠くなく来ると思います。
だから私たちは、それを信じて辛いに一つ足して幸せにするための積み重ねをするしかないんだと思ってます
前にチェットの話をしてたけど、私、彼は辛いだけじゃないんだと思うんですよ。辛い中の幸せを掴みかけて、もしかしたら本人にとっては掴んでいたのかもしれないと思うの

するしかない、と表現はしたけど
多分それが音楽にさらにハマる瞬間だと思う

そしたらまた、あぁ、音楽やっててよかったと思える日が来るから、きっと

少なくとも私は今後もそう思って続けるよ

 ああ、そうか。
 僕が尊敬してやまないその同志は、僕が苦悩しか見出せないチェットの演奏から、幸福の断片を見つけられる人だったのか。
 だから、その演奏も人柄も、魅力的になっていくのか。

 僕は、どこかで何かを間違ってしまったのだろうか。


 それでも、僕はこの人生の悲哀を感じさせてやまないこの音を愛するし、そこに悲哀を感じる自分自身を否定はしない。なぜなら、その同志は、そのように感じてこの演奏を好み、こうなりたいと願って演奏する、その僕の音をこそ評価してくれていただろうからだ。自分が世界で最も信頼しているその人の判断なのだから、僕はそういう自分を信じていいのだ。

 今は「遠く」にいるその同志に、少しでも成長した自分自身を見てもらえるように、僕はこれからも一歩ずつ積み重ねを続けたい。
 何か名声や栄誉を受けたいとかそういうことではなく、ただ自分と、そして自分が信頼し自分を信頼してくれたその同志のために、積み重ねを続けていきたい。
 いつの日か、敬愛してやまないその同志と、再び共演することを夢見て。


 その時まで、最後に見た顔は、決して忘れないだろう。


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