見出し画像

私の日本帰国story:「みんなと同じ」よりも

連載記事の3回目。
前回の内容と少しかぶるんだけど、自分の体験談を少し。

自分は、10年間アメリカにいて、20代という血気盛んな時期を、全てアメリカで過ごしたものだから、

帰国する時、「日本」のシステムとか文化をなかなか理解できず、すごくナーバスになってた。

アメリカ社会とは随分、常識とか価値観が違うから、

「失礼なことになったらどうしよう」とか
「目立ってしまったらどうしよう」とか気にしてて、

過度に気を使ったり、人目を気にしちゃってた。

アメリカでは自分らしく、のびのびと暮らしていたのに、
日本に帰ってきてからは、小さな箱に自分を押し込めちゃって、

「自分らしくいること」よりも、
「周りと同じになる」ことを優先してた。

結果、

「あれ?私ってどんな生き方してたんだっけ?」
「私ってどんな人だっけ?」ってなってしまって、

「アイデンティティ•クライシス」ってやつだよね。。

肝心の音楽性にも影響が出てきてしまって、
「これではダメだ」と、

「周りと同じ」よりも、
まず「自分らしく」在ることを優先し始めた。

自分らしい心遣いや思いやりは大切にしたまま、
「どう思われるか」周りの目を気にした立ち振る舞いや言動を、
少しずつ辞めていった。

そしたら、自分のあちこちに、どこかの「誰か」を模倣したようなものが、ちょこちょこあることに気づいた。

自分が気づいたのは、めちゃ小さなことだけど、

人の話を聞いている時のうなずき方(かなり過剰にうなずく。。)
声のトーン(高くて優しめになる)
話す時の表情やジェスチャー(ちょっと緊張した感じで、これも過剰になる)
服装や髪型(日本の女性らしい無難なものを選んでた)

日本で「女性」に求められている「型」に、
自ら収まろうと頑張ってたみたいで、

そういうものが、自分を「リアル」から遠ざけていた。
(なので、帰国後数年の自分の髪型とか服装は、かなり大人しめで、「目立ちたくない」ってかなり気を使っていたことを、今でも覚えてる。。)

この社会で生き延びるためには、
みんなと同じにしておいた方がかなり楽ではあるんだけど、

でも「みんなと同じ」にするために、

自分の場合は、
自分らしくないものが、過度に自分を覆ってしまって、
本来の自分が埋もれていってしまった。

今思えば、もっと適当に合わせとけば良かったんだけど、

日本の大人社会を知らずに渡米したので、
その辺りの身のこなし(?)がうまく出来なかったんだよね。。
まぁ今もだけど。。

変に真面目に、「日本に溶け込みたい」なんて意気込んじゃったものだから、

「ジブン」を見失って、

「何をしたいか」「どう生きたいか」さえわからなくなってしまった。

まぁホント不器用だよね。。

それで、いろんなことを、

「~しとくべきでしょ」優位から、
「~したい」優位に変えて、

「自分らしく」いることをもっと大切にしていった。

自分の心と離れたものを、1つずつ手放して、
「自分らしさ」を解放していく内に、

自分の知らなかった自分との出会いがあったり、

嬉しいこと、興味のあること、楽しいことに、
どんどん時間も労力も費やすようになるから、

出会う人の層も変わって、

自分と同じような価値観を持った人たちにたくさん出会って、
人生がダンゼン面白くなっていった。

モノトーンだった景色に、色がつきはじめる感覚。

嫌なものは嫌。
好きなものは好き。

それは、自分勝手に振舞ったり、
人を傷つけるようなことを言うってことではなくて、

そう思う「ジブン」を知って、
「本音を許してあげる」ってことだと思う。

それを積み重ねていくと、自分の心がより明確にわかるようになるから、
生き方もはっきりとしてきて、

「みんなと同じ」ように振舞って、人生を持て余していた時期よりも、
周りにいる人たちにとっても、良いものが派生していく気もした。

「リアルな等身大」で在ることを選ぶときに、
それは、自分だけの話しじゃなくなってくる。

「リアルな等身大」で振舞っていると、
周りも「自分らしく」いられる様になって、場の雰囲気が良くなる。

お互いを探る感じとか、
本心が見えない距離感とか、

日本社会独特のギクシャクした感じがなくなるんだよね。

そうすると、

「あぁ。。この人ってこんな笑顔するんだ。」
「わ。この人ってこんなユニークなんだね。。」

って、周りの人の本来の魅力が素敵すぎて、
さらにワクワクする瞬間が増える。

自分が自分らしくあることで、
周りにも、そうある「余白」を許すことになるんだと思う。

日本社会で、周りと「違う」生き方をするって、簡単なことではないけど、

「みんなと同じ」って本当はあり得ないわけで、
「みんなと同じ」であるために犠牲にするものが、大きすぎると思う。

そんな不自然な生き方にも限界があるし。。

自分が「等身大」でいることによって、周りもそう生きることが出来たら、少し大げさかもしれないけど、

周りの人生からも、その人らしい、
その人だけの生き方が再発見されていって、

既存の型からは生まれなかった夢やビジョンが生まれて、

この社会に少しずつ変革が起きていくように思う。

FOUR LEAF SOUNDも、まだまだ「リアルな等身大」を実行していきたいと葛藤中。

新作 “39 REST”では、その葛藤も含めた「リアル」な姿を、今までよりも、もう少し深く掘り下げてみたけど、

それでも、まだまだ。
全然 “Be Real”感が未熟。

でも、そうやって自分らしく生きようってする葛藤が、
誰かの心に届いて、
その人だけでなく、その人の周りにいる人たちの人生にも
変革を起こせたら。。

「生きにくい」と思ってしまう日本の雰囲気が、
色とりどりの笑顔や情熱に溢れ出したら。。

日本は今、岐路に立ってる。
1人1人が何を選んで、どう生きるかを問われてる。

次世代に何を残したいかを考えると、
私は今の日本の雰囲気やライフスタイルは残したくないと思うから。。

FOUR LEAF SOUNDの活動を通して、

お互いが、お互いの「リアルな等身大」を楽しめるコミュニティや繋がりを築いていけたらと思う。

最新EP “TASTE TOGETHER”のタイトル曲、
Taste Together” まさに、そういうコミュニティを夢見て書いた曲です。
一緒に味っていけたら最高だね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?