ファスト教養の趨勢に思うこと〜三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』〜

ファスト教養ブームについて

レジー著の『ファスト教養』は何年か前に読み、それ以降本屋のそれと似つかわしい本を見るたびにこう言うことを言うのであろうと感じるようになった。強烈なネーミングだと思う。
リッツァの『マクドナル化する社会』で論じられていたファストフードショップの魅力でもあり危険な雰囲気が、遂に読書文化までもを覆うようになったかと思うと、それは憂慮せずにはいられない。
しかし、これが最近の流行りなのかというとそうとも言い切れず、最近出版された『なぜ働いていると本が読めなくなるか』では、労働史を下敷きに、今日のファスト教養本に相当するものがどのような形でニーズとして求められ、読まれてきたかが検討されている。実学的な即効性は読書にも要求されてきたことが分かるも、尚も今日の書店に並ぶファスト教養本の異質さは際立つ。

明らかに、ファスト教養的なものはブームであり、Tik TokやShorts動画などの技術的な支えもあって、特にかなりの若年層の価値観に影響していると思う。理解するまでの時間の短縮化は何より重要な尺度であり、そうした手早さを提供するものが良いものであると、そう言う話になるのだ。教育業に携わる関係で高校生と話すことも多いが、大真面目に長々本を読むより、15秒でその内容を要約できるTik Tokerが優れた知識であるとか。
だが、これは私たちが仕向けたことであるとも思う。プレゼンをするときは結論から話しましょう、聴衆の誰もが理解できるような内容にと、そう言うことを言っていると、まあそういう結論になるのも無理がないかと言う気持ちもあるのだ。ともすれば、こういった分かりやすさが重宝されるような文化がビジネスの世界にあるとすると、なんだか倒錯的な気分だ。年をとるにつれ単純化が求められるとは。

書店への影響

当然、ファスト教養に該当される本は売れる傾向にあるので、書店でも多く見かけることになる。駅近場の大型書店となると、それだけで一区画も二区画も出来、威圧感の凄まじいことに。時間の緩慢さを求めに書店に立ち入ったところで、そうした急かすような空気にあてられてしまうと悲しくなる。だが、これも知性と実用性が結びつくようになった文化の結果なのだろうか。本を読むことは、勉強することで、そして手早く成果を出す手段と捉えられがちになってしまった。(もう一つには、ファストな享楽という方向性もあると思うが。縦読み漫画など。)
ニーズが物事の価値を規定するというのは、まさしく資本主義というかビジネスの論理であるが、本屋を生計を立てねばならないのでこの潮流を無視はできない。なんとも難しい話だ。ひっそりそれと見せかけて、ファストでない本を置いておくと変わるのだろうかとも考えつくが、いや目ききのファスト感性がそこに潜む複雑性に気付き敬遠されるだろうという不本意な信頼がある。
もちろん、ファストでない書店もたくさんあり、そこに通う分には何らファストなものと無縁でいられるのだが、いかんせん労働の場にはファストカルチャーが立ち込めており、それに曝されることを拒めないのだ。というところで、今回の三宅さんの新書は、一つの抵抗として有効な一手となる予感がある。かつて、『人新生の資本論』流行った時の期待に似たものを覚えるが、今回のカウンターはきっと直接的にファスト文化圏にも届く気がするのであった。

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