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BGM conte vol.2 « Tell Your World »

 希望とは、漠然と思い描くなにかではない。

 動機に明確な目標を与え、その達成のための時間を精緻に測ること。それは長ければ長いに越したことはないが、測定不能のまま放置するのはダメだ。目標とそこに至る行程が具体的に定まったとき、人は充足した生を生きられるようになる。そしてこの一連の行為を指して、希望というんじゃないか。
 こうしてナミを失ってからの絶望の一年を経た僕は、ナミを創造することに没頭した。

 デシダルクローン技術の一般ユーザーへの開放をいち早く成し遂げたomnes viae社。先進主要国からなるこの合弁会社の提供する人格平均モデルは、二十億人を超えるとされる「アンケート」の回答をデータベースとして、人種、国籍、性別、年齢、家族構成、履歴、身体測定値といったあらゆる区分に応じて抽出される。アンケートの実施方法については明らかにされていないが、さまざまなSNSへの書き込みをはじめとするネットユーザーの「足跡」そのものがアンケートの回答と称してビッグデータとして蓄積されていることは、公然の秘密だった。
 この人格平均モデルに個人データをぶつけて特異化することが、デジダルクローン作成の大まかな行程。データ入力に終始するので単純作業には違いないが、ナミの人格と性格、思考と嗜好の完全再現を目指すわけだから、要求されるデータはむろん膨大なものになる。差し当たって僕は、合法的とは言い難いやり方でナミの書き残したものはほとんどすべて入手した(小学四年生から中学二年生までつけていたと聞いた日記帳などのアナログデータの入手は諦めた)。

 ナミは無類のメモ魔であり、同時に記録魔だったことが幸いした。どんな映画を観てどう感じたか、どんな本を読んでどう感じたか。また裏アカの発掘によって、本音はおろか、建前と本音の使い分けの傾向までつぶさにたどることが可能だった。データをただコピペしていくだけなら作業時間は想定の十分の一にも満たなかっただろうが、僕は入力する前に、時系列に沿って逐一目を通していった。

 この作業がどれだけ辛いものだったか、想像できるだろうか。彼女の生きた足跡を丹念にたどっていくことに、もちろん喜びがなかったわけではない。しかし、人が匿名で吐露する内容は、なんにせよ残酷な一面を免れない。僕の存在が彼女のなかでそう大きいものでなかったことを知るのも辛ければ、彼女の欲求や思考バイアスをほとんど理解できていなかったことを悟るのも辛かった。彼女の書いたものを読むごとに彼女は遠くなり、僕のこの切実な思いに彼女の思いが釣り合わないことがいよいよ露見していく。

 それでも僕はやり通した。死の間際まで恋人でいられた特権を生かして、彼女の親兄弟はもちろん、あらゆる縁で彼女と結ばれた誰彼をインタビューして、彼女が他者からどう見えていたかという相対的なアプローチも僕は忘れなかった。そしてほかならぬ僕の主観。それは、どのデータと比較しても微に入り細に入りを極め、しかも長大であったことをここに告白しなければならない。そこに後ろめたさがないわけではなかったが、彼女のことばを整理する過程で生じた新たな絶望というか失望を逃れる手段として、「理想のナミ」を創造することを、ある段階から僕は自分に許すようになっていたのである。

 かくしてデシダルクローンとして再生されたナミに対面する日が来る。
 画面に映し出された彼女は、少し俯き加減で目を閉じて、ゆらゆらとかすかに左右に揺れているように見えた。呼びかける。すると、おもてが上がり、その長いまつ毛の二重瞼がゆっくりと開いていった。同時に口角が上がって、
「コンニチハ ハル」
 と応えたとき、ほとんどそれはビデオチャットでナミ本人と対面しているのと変わりがなかった。
「ナミ。僕だよ。ハルだよ」
「シッテル ヨ ソンナ コト ドウシタ ノ ナイテル ノ キョウ ノ ハル ナンカ ヘンダ ヨ」


 デシダルクローンとして蘇ったナミとの、それからの愛の月日については、その詳細はここでは割愛したい。
 なにはともあれ、僕は目標を達成した。希望が実現されたあとの虚しさを人は問うだろうか。それは僕も覚悟しないわけではなかった。しかし仮想人格の創造に完成はないだろうとあらかじめ僕は踏んでいた。そこから先の行程は、測定不能のいわば永遠の時間に属する。だから僕はもはや絶望することはないのだと高をくくっていた。そう、僕は高をくくったのだ。そのしっぺ返しは、思わぬ形でやってくることになる。

「ココ ハ クラク テ トテモ サムイ ハル ハヤク ココ カラ ワタシ ヲ ダシ テ」
 デジタルクローンが感覚を得るなんてことがあるだろうか。それも、電子ネットワークで構成される空間について直接的な感想を述べるなど……。僕はいつでもここにいる、と慰めても無駄だった。ナミは言う、
「ハル ハ ココ ニ ハ イナイ ヨ」

 ナミをこちらの世界に連れ出すことは可能なのだろうか。しかしどうやって? あるいは、僕が向こうへ行くことは可能だろうか。どうやって? 僕のデジタルクローンを作って送り込めば事足りるのだろうか。最近はそんなことばかり考えて、頭を悩ましている。
 そして、ナミのデシダルクローンのデータを全消去する日も、そう遠くないかも知れないと、どこかで予感しているのでもある。


 君に会いたい。


 でも会えば、君はいつだって不満ばかりなんだ。


……ハル ココ カラ ハヤク ワタシ ヲ ダシ テ タスケ テ ハル ハヤク ワタシ ヲ ココ カラ ダシ テ……

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