ムジナ坂
朝のジョギングコースの中途に、「ムジナ坂」と呼ばれる坂がある。
「ハケ」と呼ばれる崖線沿いにある坂のひとつで、崖線のキワのかしこに水が湧いて池をなし、湧いた水の一部はあふれて低地に集まりひとすじの小川をなして北方の大川に注いで、それらを囲繞して広範な自然公園が形成された。園内をひと通り巡ってからぐるりの車道に出ると、片側が急峻な崖となって、道沿いに続く。聞けば、北方に横たわる大川の河岸段丘の名残という。
ところどころ、歩行者のための階段が切られていて、なかでも急勾配の最たるものがムジナ坂、ほかは手すり付きの金属製の階段がジグザグに配置されるところ、この坂ばかりは苔むした自然石を並べた直線のきざはしで、鬱蒼たる木々に隠されて、いかにも古道の趣があった。かたわらの、市の作った真新しい案内板にはこうあった。
「昔、この坂の上の農民が、田畑に通った道で、両側は山林の細い道であった。だれいうとなく、この道をムジナ坂といい、暗くなると化かされるといって、怖がられ遠回りをした」
独特の文体で、古い文献の引用かとも思われるが、引用元は記されていない。役所の人間がこんな文章を書くとも思われない。なんだか釈然としないが、ここを折り返し地点と定めてジョギングを続けるうち、案内の文句が気に入って、いつかそらんじてしまった。
ムジナとは、タヌキの別称と理解していたが、調べてみると、アナグマやハクビシンを指すこともあるという。狸穴と書いて「マミアナ」と読むが、あの「マミ」も、必ずしもタヌキのことではないというから、マミはムジナでムジナはマミで、タヌキみたようなもの全般をいうのだろう。
ちなみにタヌキはイヌ科でアナグマはイタチ科、ハクビシンはジャコウネコ科というから、ウマとサイくらいの違いはあるわけで、本来なら十把一絡げにするわけにはいかない獣たちではある。
タヌキやキツネが人を化かすについては、日本人であれば大方異存はないようなものの、なぜ化かすのかとあらためて自らに問えば、もっともらしい理由すら浮かばない。タヌキが人を化かす話なら、いまはどうでも、こちらは「分福茶釜」や「カチカチ山」を聞いて育った世代。汲めども汲めども茶の尽きぬ茶釜から頭と四肢と尻尾を生やして、綱を渡るからの曲芸披露し恩人の屑屋を儲けさすなんてのは華やかな絵としてまざまざと浮かんだし、媼を騙して打ち殺し、骸をバラして鍋にし自らは媼に化けて翁にこれを食わして「婆汁食った、婆汁食った」と正体明かして揶揄する場面は戦慄もので、タヌキとはときに健気でときに悪辣、というモノノケのイメージは形作られても、町育ちの子どもがその実物を目にするのは、物心ついてからだいぶ先になってのことだった。
義務教育の九年間でその山に何度登らされたかもはや覚えていないというくらい、学校の野外活動といえばT山に赴くことだった。同じ山に登っても、昆虫採集に植物観察、歴史調査に地質調査と、テーマの数だけそうする理由が量産される。採る登山ルートによってはつまらない山ともなれば、往時の剣呑な牙を剥く山ともなる。
森閑たる針葉樹の群落を仰ぎながらゆく足場のなんとも心許ない山道のかたわらに、檻に入れられた獣が置かれていて、それがタヌキを間近に見た初めての機会だった。これまでネコやらイヌやらに迂闊に手を出して引っ掻かれたり噛まれたりしてきたはずなのに、なぜかこのときもケージの隙間に指を差し入れて触れようとしてがぶりとやられ悶絶した。深い傷を負っていたなら狂犬病になっていたかもわからないと引率の先生にこっぴどく叱られて、爾来これがトラウマで獣全般敬して遠ざけるようになった。人を化かす獣に親近感を抱くのはいかにもこちらの勝手というもので、人を化かすとはまた人に馴れないと同義なのかもしれないとうっすら理解されたのでもあった。
よもやこんな町なかに、とタカを括っていたら、ここ最近は住宅地でのハクビシンの目撃情報が相次いでいて、そもそもハクビシンとは人家をすみかにするものらしく、それも「庭に狸穴」ではなく屋根裏を好むという。はて、子どもの時分にハクビシンの話など聞いたこともなかったがと首を傾げはするものの、ペットのそれが捨てられたか逃げたかして野生化したとも思われないし、遊具などが置かれて入場者数が右肩上がりの自然公園を追われた結果ではないかとも推測されたが、いや、むしろ昨今では計画整備が進んで、立入禁止区域や時間帯による入場制限を施しての保護観察区域がかしこに設置されていることを考えれば、やはりムジナの本拠地は自然公園で、夜な夜な町なかに現れるのは、栄養価のより高い手軽な食い物(=残飯)を求めてのことだろうと勝手に合点している今日この頃である。
ムジナ坂はいつでも静かである。午前であれ午後であれ未就学児や就学児の一群がどこかに必ずあるもので、公園は平日でもそれなりの賑やかさだが、ムジナ坂まで来れば戸外の喧騒からは隔絶している。風が渡れば遥か頭上の葉の擦れ合う音が時ならぬ細雨のごとく降り注ぎ、目白に尾長、鵯に四十雀、鶯に鶫とふいに驚かされたように鳴き交わし、鳴きやんだあとのしじまこそ深い。そんな得難いような聖域をほしいままにするようで、古い石段を一段飛ばしに駆け登ってはゆるゆると降りてきて、きざはしの下の案内板の横にある車止めの鉄棒に手をついて腕立て伏せを行うこと二十回。坂を往復すること三度が平均で、六十回の腕立て伏せが一日のノルマのようになったが、さすがに仕事が立て込めば日課とはいかず、週に三度も通えれば御の字だった。
ムジナ坂を誰も通らなかったと言えば、それは誇張である。ムジナ坂に休み、石段を往復するあいだにこれを往来するのは老人と決まっていて、男もあれば女もあって、日や時間帯を定めてお決まりの人が通るというわけでもないようで、いずれの時も知らぬ面々だったし、向こうからこちらに声をかけるということもついぞなかった。老人はいつでもひとりで現れて、坂を遅々として登るなり降るなりして、中途で途方に暮れるようにして立ち止まることも二度三度でないから、こちらは行手を阻まれることも度々だったが、鉄の手すりを真ん中に置いて石段は左右に切られていたから、彼らをやり過ごすのはわけないことだった。
ひと気が絶えればその一帯に降りるしじまは先述の通り格別なのであって、風や鳥の音に耳を澄まして安らいで、覚えず時を忘れることも一度や二度ではなかった。
時節は初夏にかかっていた。
あるとき妻がいぶかった。どこまで走るのだと問われ、いつものムジナ坂までと答えると、そこでなにをしていると畳み掛ける。いや、なにするもなにも坂を駆け上がって降るを繰り返し、往復の都度きざはしの入り口を遮るようにしてある車止めの鉄棒をつかんで腕立て伏せするを一セットとして、だいたいは三セットもすれば戻ってくる、とこれまでも話したはずのトレーニングの中身をつまびらかにする。それを聞いても妻の顔からいぶかりは晴れそうになく、それだけでこんなに長い時間、と独り言のように感想した。長いと言っても一時間かそこらでしょうよと笑うと、妻は真顔のまま目を剥いて、一時間だなんて、ご冗談を。
「なんだか女の気配があなたからするようで」
と、しばらくしてから妻は言った。これを聞いて一笑に付したのは言うまでもなく。
鉄棒に腰をかけ、そよぐ風の香に鼻腔を喜ばせ、降り注ぐ葉擦れの音に鼓膜を憩わせながら、乱れた呼吸と拍とを整える。鳥の声は聞かれず、いかにも得難きはこのしじまかな、などと怖いような静寂に耳を澄まして舌鼓ならぬ耳鼓と乙に澄ましていると、おや、知らずほんとうの鼓の音がポン、ポン、と聞こえて、笙の音や篳篥の音もかすかに聞こえていた。鈴や鉦を打つ音もする。近くにお囃子の練習をする家があるのだろうとしみじみこそすれ特段不思議とは思わず、夏の祭りが懐かしまれて胸のときめくくらいのものだった。
この妙なる楽の音のことを妻に話すと、これが思いがけず色を失った。どうしたの、と問いかけると、
「いえ、なんでも」
と平気を装う口吻だが、怖がるのは明らか。
はっきりそれと気づいたのは今日だけど、だいぶ前から聞こえたような気もする、と答えると、妻はいよいよ顔を青くした。
「それ、きっと狸囃子です」
ムジナ坂を折り返すと聞いて嫌な予感はしてました。わたしの田舎では、狐狸の類が人を化かすそのことを軽々に扱うことはしません。伝承があれば必ずなにかしらのいわれがある。わたしの叔父は、裏山の祠の前で、山と盛られた泥団子を旺盛に頬張るところを保護された。マミに化かされたのだと土地の老人らは言ったが、うちはもともと男系に狂いの相が出やすいと母から聞かされた。それを年寄りは、憑き物に憑かれやすい、モノノケが付きやすいと表現する。
「あなたもそんな体質なのかもしれない。どうしてもムジナ坂に行くというなら、弘法様のお寺にまわって、ムクロジを三つ四つ拾ってから行ってください。昔からの魔除けで、こと獣の邪気には効くと言われるから」
迷信とか占いとかそうした理屈に合わないことはハナから取り合わないタチで、妻がそんなことを言うとはいかにも幻滅だったが、無下にするのもなんだかで、忠告どおり開闢千年とも伝えられる古刹へ赴いてムクロジなる実を探すも、それらしきものは見当たらない。さりとてこのまま帰るのも気が引けて、本殿に手を合わせていると、背後から呼びかけられて、振り向けばこの寺の住職と名乗る。ムクロジがほしいと言うと、去年までやったら仰山落ちてたんやけど、最近山門前の土産屋がムクロジの実でアクセサリーなんぞこさえて売り始めたものやから、最近は滅多に落ちとらひんなぁ、と西の方言で言いながら、金堂裏手の雑木林まで案内して、あれに見える大樹が、と指差した。
「あすこにあるんは、動物の魂ぃ慰めるんちゅうて江戸時代に作られた碑文やな。ここらはそないな昔、なんもない草原で、徳川の鷹場やったからな、冬になるとハケの池にも鶴が来るよって、天子様に献上された言いますからな。殺生された動物らを慰霊するため綱吉公が直々に建設を命じたとも言われる、由緒ある碑文ですわ。その右後ろに聳えるんが、お目当てのムクロジやて」
ところでなにゆえムクロジを、と問われ、言い澱みながらもことの次第を告げると、
「そないな話、最近はよう聞かひんかったんやけど。そりゃ、えらい話やな。じつはあんたさんの手ぇ合わす後ろ姿見てて、なんか憑いとる人やな思うて見ておりましたんのや。憑いとる言うて、ラッキーなんちゃいますよ、モノノケが憑きよる。憑きよるっちゅうか、触れられとるっちゅうか」
坂の入り口にある車止めに腰をかける。そよぐ風の香。降り注ぐ葉擦れの音。鳥の声は聞かれず、いかにも得難きはこのしじま、怖いくらいの静寂に耳を澄ましていると、やがて鼓の音がポン、ポン、と遠くに聞こえ、笙に篳篥、鈴やら鉦やらの楽の音が次第に濃くなるよう。どこぞでお囃子の練習……と顔を上げると、坂の最上に人影がある。
黒の紋付に挟まれて、真中は白無垢の角隠し。手招きするでもなく、じっとこちらを見下ろすよう。
楽の音はいよいよ濃くなりまさり、見下ろす人影のすぐ背後に楽隊がひかえるかのように音がきざはしを伝って降りてくるよう。引き返そうとはゆめ思わず、気がつけばいつものように一段飛ばしで坂を駆け上がっていた。
花嫁衣装の両隣は年嵩の男女で、二親とも後見人とも見える。彼らより二、三段下に来て歩を止めると、間近に見上げる形を取った。花嫁はややうつむいて、角隠しに隠れて目鼻は見えないが、おとがいの線からやや丸顔のふくよかさは知れ、白粉の上から引いた小灰蝶のような紅がかすかに笑みを溜めている。紋付のほうは顔もあらわで、口を一文字に引いていかめしいような心ここにあらずのようななんとも言われぬ表情で、それもそのはず、虹彩が黄色というより金色に近く、瞳孔ばかりが黒くて、黒目が点のように見えるのだ。やおら花嫁が顔を上げ、これも同じく金の瞳に黒の点。
あいかわらず手招きするでもなく声を発するでもなく、それぞれに口角を上げ、口の開け方がなんともいやらしく、気がつけば狂気のような笑い顔を貼りつけて、覗く口腔は赤よりも赤い。
一段、また一段と近づいて、白粉と樟脳の匂いが鼻先をなぶり、ああこれは尋常の人でない、といよいよ思われて、あともうひと足踏み出せば自分もまた、と脳裏をよぎったそのときに、西の方言のよく喋る住職のことばが耳元によみがえって、それでスウェットパンツのポケットに手を忍ばせると、奥に三つ、四つあるものを鷲づかみしてそれをモノノケどもに向けて差し出した。
手のひらを開く。
と、羽子板の羽根にも使われる黒くて硬い種子をうちに宿した琥珀色の皮が命あるもののごとく激しく打ち震え、こちらもモノノケもかまえる暇もなくそれらが破裂して、同時に黒い種子が飛散して、角隠しと紋付らの額の真中をしたたかに撃った。
瞬時、三つのモノノケはその身を飴のように縦に伸ばして巨躯になり、こちらを見下ろして挑みかかる顔は鼻梁が突き出してまさしくイヌやキツネやタヌキの類、ところがふたたび痛みがぶり返したものか、おのおの額をおさえてのけぞって、赤い口開けながらもんどり打って藪のなかへと逃げ込んだ。
いい歳をした男が馬の糞を丸めたのをかたわらに盛ってこれはおはぎと言って聞かずうまそうに次から次へ平らげる。はたまた平生と変わらぬ様子だったのが、ちょっとそこまで、と出かけたきり二度と帰らない。自分の年齢ならそういうこともあるかもしれない、とふと思わないでもない。女はどうでも、不惑を越えた男には、危うい瞬間が絶えずついてまわる。人はそれをこそ、逢う魔が時というのかも知れず。
あれからもうムジナ坂へは行っていない、と言えばお話の最後として似つかわしいようなものの、そこはもともと酔狂なタチだから、あんなことがあった翌日から早速ムジナ坂まで走っている。
時節ははや秋の声を聞いた。秋雨のやわらかに降り続いて、やがて野分が立て続けに二つおとなって、嵐のあとには抜けるような青空が広がった。昼日中でも、草陰からケラやコオロギが鳴いた。
鉄棒に腰をかけ、そよぐ風の香に鼻腔を喜ばせ、一枚、また一枚と舞い落ちては重なる落葉の音に鼓膜を憩わせながら、乱れた呼吸と拍とを整える。鳥の声は聞かれず、いかにも得難きはこのしじまかな、などと怖いような静寂に耳を澄ましている。
ひと気の絶えたムジナ坂だが、時折年寄りが迷い込んで坂を上がるのに難儀している。坂を降りてくる者もある。
この頃では向こうから話しかけてくることもあるが、決まって彼らが片手で額を覆い隠すようにするのは、いかにも獣の浅はかさと見え、微笑ましいとさえ思う我ながらこの不遜。
(了)