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ヴァンピールの娘たち Ⅰ-5

トレジャーハンターを名乗る両親に「英才教育」をほどこされた年子の姉妹のムゥとクゥ。一所不住の生活が一転して都下の古民家に定住することに。家の庭はときならぬ碧翠のエル・ドラードで、両親は菜園づくりに精を出し、姉妹はといえば庭の花々を採取して押し花づくりに余念がなかった。

『ヴァンピールの娘たちⅠ-4』あらすじ

Ⅰ-5.姉妹はメダカをもらい受け、庭の二つの大甕に放つ。そしてムゥはきたる自警団の襲来に備える

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 草花の一掃された庭に腐葉土と苦土石灰が大量に投入され、これを父が先の尖ったシャベルで耕して四本の畝を作り、そこへ女たちがエダマメ、ラッカセイ、キュウリ、トマト、そしてトウモロコシの種を植えた。ほかにもアサガオ、ヒマワリ、オシロイバナ、マリーゴールド、ゴーヤなどの種が五月の連休までに庭の方々に植えられた。
 母は通販で大甕を二つ手に入れた。いずれも丈は娘らの胸の高さにまで達し、胴まわりは両腕を回してなお余った。一つは焦茶の地に竹串のようなもので拙い龍が描かれ、その上に黄色い釉薬が塗られている。ふちと内壁には、ツヤなしの青緑色の顔料。対峙する龍の二頭は、龍というよりトカゲに似て、というのも四肢が妙に長く描かれているからで、首から上は失敗でもしたのか、二つとも塗りつぶされている。ムゥはこれをもって粗悪品と断じ、クゥは塗りつぶしたように見えるのは雲を表しているのであって、二頭とも雲中に頭を隠して奥ゆかしいというか謎めいているといって庇った。
 もう一つの甕は、外側の紺碧と内側の浅葱の対照が鮮やかで、外にも内にも贅沢に釉が塗られ、ツヤツヤした感じと塗りの渋さとのミスマッチが、クゥにはかえって廉価品であるような印象を与えた。絵柄のいっさいないのもクゥにはつまらなかった。「でもこっちのほうが値が張るんだよ」と母がいうと、感想らしいことをいうのを控えていたムゥがとたんに「ほらね!」と得意がって人の顔を見るのは、クゥにはなんとも口惜しく、遣る瀬なかった。
「これ、一応はトコナメだからね」
 トコナメと聞いたところでその価値のわかるはずもないのに、姉は「やっぱり!」と合いの手打ってあくまで勝ち誇る感じだ。
「こっちは」
 母はクゥの擁護した双龍の甕の胴に手をかけながら、
「台湾産」
 そういってクゥに目配せした。台湾産とは、つまりは舶来品! たちまち形勢逆転した感あって、見ればいかにもムゥは虚をつかれて二の句を継げないといった風情である。
「でも由緒あるものではないわ。これはピータンを寝かせるときに使う甕なの」
「ピータン⁈   なにそれ?」
 たちまち水を得た魚のようになるムゥ。
「アヒルの卵を殻ごと出涸らしの茶葉や石灰や土なんかと混ぜたもので包んで、それを甕のなかで何ヶ月と寝かしておくの。そうするとアルカリ化が進んで、卵のなかで発生する硫化水素によって黄身も白身も真っ黒になる。中国の珍味だけど、アンモニア臭いから、キミたちにはまだ無理かもね」
 ムゥのニヤニヤが止まらない。姉がなにを考えているか、妹には手に取るようにわかるのだった。じっさい、その後しばらくは、姉は妹を「ピータン」と呼ぶことになる。


 二つの甕は、紅梅の根方にトコナメが、白梅の根方にピータン甕がそれぞれ配置され、満々と水を湛えられた。これにメダカを飼う、でも市販のヒメダカは弱いからダメだと母はこだわって、それで週末になると、徒歩で三十分圏内にある都営の公園に出向いて、そこを縫う小川に腕まくり脚まくりで侵水しての、一家総出のメダカ狩りが始まった。
 メダカらしき小魚の群れは至るところピンピン跳ねるように泳いでいるのに、いっかな姉妹の網にはかからない。一ヶ月の収穫といえば、マコモの根元を下から上へこそぐように網を這わせばそれだけで大量に獲れるヌマエビと、きれいな水を保てる秘密はコレ、と父の自慢した川床の土。それと水中に繁茂するアナカリスやカモンバといった外来の水草ばかりで、二つの大甕は、さしずめ有能なメイドもあまたいるし、家のなかはもちろん、庭の手入れもすべて完遂しているのに、主人不在のまま放擲され続ける豪邸を思わせた。
 あるとき、メダカを狙って奮闘する姉妹らの横を、タモを持った五、六人の男子児童らがじゃぶじゃぶと水音を立てながら横切っていった。すれ違いざまこちらへ顔を向けたしんがりの子に、ムゥは見覚えがあった。クラスの男の子だ。しかし名前は知らない。その子に限らず、男子でも女子でも、ムゥはクラスメイトの名前など元より覚える気はなかった。誰に対しても距離を置き続けるムゥについて、そろそろクラスの自警団が裁定を下して暗躍し始める頃だとは思ったが、振り向いた男の子の目顔に悪意は感じられなかった。
 小川はところどころ段差になっていて、落差十センチほどの滝になっている。滝を跨いで一つ上の段へ進むと、先頭のリーダー格があれこれ指示を飛ばし、男の子たちは岸の草叢にタモを置くと、キビキビと動いてほうぼうから自分らの頭大の石を両手で抱えてきては、滝の落ち際にそっと下ろした。一列を並べ終えると、今度は二列、三列……と堰が頑強になるに及んで滝の波頭は次第に小さくなり、姉妹のくるぶしを洗う流れも澱んでいった。
 川上のほうでも同様の堰が作られた模様で、そうして作られた即席の生簀にあって、男の子たちは、川下から岸に沿ってタモを水へ掻い潜らせては煽りして進む連中と、川上で待ち構える連中とに分かれた。
「来た!」
 リーダー格が叫ぶ。ひときわ大きいタモを振り上げて、水飛沫が弧を描いて舞い上がった。水飛沫の上がる刹那、姉妹は虹の立つのを見た。タモのなかで暴れ狂うもの、それをムゥもクゥも図鑑に見るニシキヘビとまず疑わなかった。南国には子どもを丸呑みする大蛇がいるとは姉妹は知識として知っている。自分らはあの大蛇に狙われているとも知らず、無邪気にメダカ獲りに夢中になっていたかと思うと、ムゥは全身総毛立った。おそらくはクゥも。なんといっても姉妹は母親譲りの蛇嫌いだった! 見るまいとしながら、ついつい目を凝らしている。凝視するうち、蛇にしてはどうにも寸詰まりだと二人の頭のなかで疑問符が立つ。
「こんなところにあんな立派なライギョがいるんだねぇ。ウシガエルでも食ってるのかな」
 いつのまにか背後にきていた父がいった。男の子たちは釣果を高らかに掲げ、来た道を引き返してきた。銘々交わす勝鬨の声のその上ずり方は、明らかに姉妹たちを意識してのことだった。彼女たちの前を行きかけて、しんがりの例の知った顔が、ふいに立ち止まる。姉妹のところへざぶざぶと音を立ててやってきて、
「やる」
 といい、手にした網を差し出して顎でムゥをうながした。ムゥが首から提げた水入りのプラケースの蓋を開き、両手に持って差し出すと、男の子はそれ目掛けて網を返し、活きのいいちんまいのがぽちょんぽちょんと移し替えられる。礼をいう間もなく背を向けた男の子は、水に足を取られながら集団を追っていった。
「すごいじゃん。クロメダカだよ」
 プラケースを覗き込んだ母は、そういって感嘆した。
 三尾のクロメダカは、さっそく庭のピータン甕へ放たれた。彼らはまもなく産卵し、稚魚は孵り、ひと月もすると、ピータン甕にもトコナメ甕にも無数のメダカたちが泳ぎ回るようになる。


 月曜日の朝、登校したムゥはそれとなく探す気になっていて、教室で屯する男の子連中のなかに、昨日クロメダカをくれた少年の後ろ姿を認めた。着座したまま彼を視線で追うムゥは、ほどなくして、不自然なほどに彼と視線が合わない、つまり、意図的に彼がこちらの視線を避けていると勘付いた。刹那、背後で女の子たちの忍び笑いが立った。ような気がした。振り返れば向こうの思う壺だから、そんなことはしない。ムゥは観念したかのように俯くと、机上のノートの最終ページを開いて、その余白に描きたくもない落書きを描いて、この滞留しかかった時間をなんとかやり過ごそうとする。なるほど、クラスの自警団の、わたしに対する裁定はとうに下っているわけだ。
 さて、いつ向こうが行動に移すかだ。そう思うと、いつになくムゥのなかで熱くたぎるものがあった。

つづく

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