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おんどへんか

クリスマスも近いというのに、ひもじくてならなくて、コンビニのゴミ箱漁ろうと思うがきょうびゴミ箱はぜんぶ店内でそれもままならない。思い切って賞味期限切れの弁当あったらくださいとレジで店員に頼むと、ダメダメあれはあれで買取があるんだからと謎のことをいう。なんのためにとはこちらは聞きもしないのに、あれは家畜の肥料になるんだよ、とぶっきらぼうながら教えくれたところに情を感じて、我知らず両手を差し出していた。

入れものがない
両手で受ける


意識せずにしていた。ついに俺もこの境地まできたかと喜びが内奥に込み上げるのとは裏腹に、コンビニ店員は存外の剣幕で「とっとと失せろや」と凄んだものだから、こちとら尻尾を巻いて逃げ出すにしくはない。

しかし一旦差し出した両手はそうそう引っ込みつくものではない。駅前の繁華街をうろついていると、ショッピングセンター一階のショーウィンドウのなかに、女の臍から太腿中央あたりまでで切られたトルソーがあって、それがなんの飾りもない純白のパンティを履いているのが目に留まった。見るなり釘付けになった。それは劣情とは十万光年と離れた純粋なる懐かしさで、はてこの懐かしさはどこからくるのだろうと訝るうち、なんのことはない、トルソーの股間の膨らみ加減が三年前に家を出ていった妻の恥丘とクリソツであるのに思い当たったのである。

この目は誤魔化せてもからだは覚えているものだと、じっと手を見る。

はたらけど
はたらけど猶
わが生活
楽にならざり
ぢっと手を見る


この衝動、抑え難し、と必死に葛藤して両手を器にしたまま妄念を振り払ううち、あたかもこちらからお縄になりにいこうとするかのように錯覚されて、すると夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押し付けて心のゆくばかり懐かしい女の匂いを嗅いだ時分がまざまざと思い出されもして、気がつけば、店内に足を踏み入れるどころか、ショーウィンドウのなかに分け入ってトルソーの股間にじっと右手を押し当てていた。

それはたしかに妻の恥丘の形状と寸分たがわなかった。恥丘は地球、この原初の記憶にわたしの細胞は隅々まで潤いを取り戻す。いかにも地球は水の星。そしてわたしたちはみな水の子見ず子の水子でみなきょうだい。恥丘に祝福あれ。

かくてわたしは痴漢の嫌疑にて現在拘留中の身である。黙秘を続けた結果としての、今目の前でうっすら湯気を立ち昇らせる大盛りのカツ丼である。味噌汁までついている。やり遂げた感のなかで、わたしはあらゆるセンセイたちに感謝を捧げ、項垂れ、嗚咽していた。

ひもじさは必ずや報われる。これを教訓に明日からまた生きていこうとマルイに誓った。

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