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前澤さんの100万円キャンペーンが"フォロワー数多いのがすごい"という幻を消し去るか

みなさんはオリコンチャートというものがあったのを覚えていますでしょうか(今もあるんだっけ)
CDが売れた順にランキングがつけられるやつ。僕(現在28歳)が中学生のときはまだオリコンチャートをみて「人気とされるアーティスト」のCDを購入していた気がします。

しかし今では誰もオリコンチャートを見て新しい音楽を見つけてる人はいないですよね(いたらごめん)。昔は「オリコン1位!」みたいなのが強かったけど今ではあまりフックにならないですよね。

時代の変化による様々な原因がありますが、僕が印象的だったのはAKBグループが握手券をCDにつけたことで、この時代にしては珍しいくらいCDが売れオリコンチャートをほぼ独占したときに「時代が変わった」と感じます。というかAKBが終わらせたようなものでした。

その時より前から「オリコンで1位になること」だけに価値があったわけではないですがそう見せられていました。そこを握手券というルールすれすれの飛び道具を使ったAKBによってオリコンという価値がぶっこわれて、みんな気付いたんです。
「そもそもあの順位って本当に正しいのか?大人の事情とかあるんじゃないの?てかオリコンで1位だからって1番いい音楽ではないだろ!」と。

今回のZOZOの前澤さんが行った100万円リツーイトキャンペーンも結果的にそれに近いなと思いました。「フォロワー数」というこれまで嘘か本当かわからない曖昧な数字の大きさに左右されていた私達は前澤さんの最大で600万フォロワーという膨大な数字と、その600万のうちの一体何人が本質的に意味のあるフォロワーとしてカウントできるのか、そもそもそう考えるとフォロワー数の多さにいったいどんな価値があるんだろうと考えさせられます。

これまでのようにフォロワーを増やすために、それっぽい業者のそれらしい施策に何百万も払う必要はなく「ただフォロワー数を増やしたい」のであれば現金を配ったほうが手っ取り早かったのです。結局それだけにつれられてきたフォロワーに価値はないんですが。だからこそよりもっと本質的な"広告"に価値があります。

ただ前澤さんはこの実験(といったほうがいいでしょうか)を通して話題性と誰よりもフォロワーを獲得したことに大きな価値があります。ネット史に残る出来事だったんじゃないでしょうか。やることが本当にでかい。そしてノリがいい。

そしてこれから僕たちは改めて「フォロワー数」という意味を考える必要があります。てか「フォロワーを増やす」という言葉そのものがなんかおかしかったですよね。

前にも書きましたが「データ上は同じ"1"でもその1までの道のりの方が重要だ」ということです。
なぜフォローまでに至ったのか、なぜ購入までに至ったのか、ほとんどの場合そこの濃度にこそ価値があります。



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