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注文の多い左翼おじさんがやるべき事


日本語の間違い、漢字の間違いを指摘して嘆いて笑っているおじさん達が多い。
言わんとする所は正論でありそれはそうだが、一言吐露するだけでは何も変わらない。
身内で共感が増幅されているだけなのである。

真に日本語力の低下なのだと考えて憂いているのであれば、おじさんたちがやるべきことは一つ。
ネット上での交流における空気を変化させ醸成していく事が最も効率的だと考える。(ネット社会に日常の半分以上を埋没させてる人に対しては効果があるのでは?)
それは、日本語の間違いを指摘すること、指摘されることを当たり前の状態として、その時に感情的対立を生まないマナーを確立してネットの隅々まで浸透・蔓延させる事だ。

  1. 日本語の間違いを指摘すること、指摘されることを当たり前の状態にする。

  2. 意見を出し合う時に感情的対立を生まないマナーを確立すること。

  3. ネット未経験者が初めて利用する時にマナーを覚えられるようにい入り口を設ける事。

散々言われている事だが主に感情面のケアが重要ではないかと考えている。
文字のやり取りでは対面と違って非言語情報が伝わらない。
相手が受け止めるタイミングもまちまち。
個人へちょっかいを出すよりもまずは「場」を形成する事に力を注ぐべきなのだ。

礼儀、マナーはプロトコルのようにも思えるね。ローカルでしか通用しないマナーは参入障壁があるので、グローバルに通用する「ユニバーサル・マナー」を考える時代かもしれない。これを今考えるようでは遅すぎるかもしれないな。

国際社会が形成され人の往来や意見交換が自由になった時点で考えられるべき事だった。しかし、その時点ではすでに欧米型のマナーが主導していたのであればそれに倣う事はできたかもしれない。
あとは日本全国人の往来が自由になった時、日本が民主化された時点では既に考えるべき事だったかも知れない。
一番の分かれ目はネットが一斉に普及していった時。
日本では2000年頃。ローカルマナーがやがて一般的マナーとして慣らされていく。
最初は自分固有のやり方で入って慣れて馴染んでいく。
それは、昔も今もクラスター化するのでユニバーサルではない無い。

(ユニバーサルって流行ったから既に存在している気配がする)

左翼のおじさんおばさんて結局おじさんおばさんだから頭が固くて相手の理解に合わせるって事をしないのが結局対立だけ作って分断するそれで若人の貴重なチャンネルを潰していく。それなら最初からちょっかい出さない方が相手にチャンネルを閉じさせない可能性が残る分マシ。

一方的な配信で大衆に向けて説教するのは問題ない、相手が見たいときに見て自分で考えたいときに考える程度の余裕があるから。
SNSで何の感情的フォローもせず直に説教するのはタダのゴミ。


左右は関係ない事なんですけどね。お互いに相手を笑いあうのはやめなさい。剣道の試合だったら負けてますよ。剣道やってるわけじゃないけど。


やっぱり既にあったユニバーサル・マナー
でも俺の考えてる事とはちょっと違うみたいだった。


ただし、国語力の低下が本当にあるのかどうかは別問題だ。言葉は変わっていくという事とは別に、人によっては変な覚え方をしてる事も珍しい事ではない。人間はインダストリアルな規格量産品ではなく、全て固有のDNAを持った個体で全ての個体が異なる経験を持つ。DNAにより成長の方向がある範囲内に定まってる。
そういう物だから、自分も相手もそういう物だと捉えて、ユニバーサル トゥギャザーしようぜ。

そして、その枠内では嫌な感情さえも使っていく事は大いにあります。

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