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入籍10ヶ月で適応障害になった話 〈2〉


なぜ今このような状態になってしまうかを話すにあたって
私という人間について少し語らせてください。

私は田舎にある開業医の長女として生まれました。
長女といっても上に3人の兄がいる4人兄妹の長女です。
皆さんのご想像通り、父からは
目に入れても痛くないほど可愛がられ
母からは厳しく育てられました。

小さな頃の父は静かで優しい印象で
母はよく私に怒鳴っていてげんこつや
ビンタは普通にあったし
母の機嫌が悪いと理不尽に怒られた経験もありました。
大人になってみてあの頃の母を思うと、
博識で好奇心旺盛な女性だったのに結婚をし、
子供を4人も育て、姑は厳しく父は家事もせず、
いっぱいいっぱいだったのだろう
と気づく事ができました。

ですがその頃の私はまだ小学生で一番身近にいる同性で
大好きな母に嫌われたくないと
どうにか母の表情を読んで
怒られないように怒鳴られないようにと
気にしながら母と接していました。

どんなに努力をしても人間は完璧に
変わることなんて出来ないし、
まして小学生なので私は母の神経を
坂撫でる事が多かったのでしょう。
特にマイペースでうっかり屋な私は怒られる事が多く
大きな音や怒っている人に対しての恐怖心が大人になった今でもあります。

このようなことから、
この頃から私は人の顔色をうかがい
事を荒立てないように生きていました。

そんな私がいい子ぶりっ子に見えたのか
それともいい子ぶりっ子だったのかは
今はもう思い出せないのですが、
私は小・中と学校に入るといじめられ
その事を母に相談してみました。

ですが、もともと母は自分の事を
「よく竹を割ったような性格と言われる」
と言っていたので
「Nana、来るもの拒まず去る者追わずよ。
いつまでもメソメソ泣かない!」と言われました。

もし今の私が言われたら、
「あなたとは性格が違うんだから
同じように思える訳ないがな。」
と思えるほどの余裕が出来ましたが
その頃の私は、「ママの娘なのに同じように思えない。
私ってダメなんだ。」と自分を責めていました。

そんな母が乳がんになったのは
私が中学1年生で母が50歳の年でした。
      
                            Nana.N




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