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己が己の椎名林檎たれ

 え、私、なんか心理学に全然向いてなさそうなんですけど。

 教育学から心理学に異世界転生したM1としては、前期を終えた現時点でそんな気持ち。さあ唱えよう、己が己の椎名林檎たれ。



 僕が訊きたいこととみんなが訊きたいこと、反対を超えて別次元の域だな。

 講義を通してそう察したのが「心理学に向いてなさそう」と感じ始めたきっかけだ。

 僕はやたらと自己効力感の低い人間で、ひとつでも自信を持ってやれないことがあると「およよ? 適性ゼロじゃね?」と思ってしまう節がある。だからたかが4ヶ月の前期を終えただけでそう思うのはずいぶん時期尚早というか、素人が分かったようなこと言うなよ、と自覚してはいる。でもちょっとご想像いただきたい。研究交流をする講義で、同期の発表後「その理論についてもっと詳しく」「なぜその仮説を?」「研究の社会的意義は?」なんて議論が飛び交う中、それと同じ熱量で「そのテーマに惹かれた原体験は何?」を知りたがる僕、浮きすぎじゃないですか。

 それぞれの研究内容は面白いし勉強になる。でも、僕は「研究」よりも「研究者」に興味が湧いてしまう。何を思って研究をしているのか、得られた知見はあなたにとってどう魅力的なのか、そんな話の方が圧倒的に面白そうだし聴きたいと思ってしまう。

 これまでやってきた特別支援教育は、普遍的な人間全般よりも目の前の個を丁寧に大切に扱うものだ。全てを自分の学問的背景に結びつけてはいけないかもしれないけれど、やっぱり思考の基盤はそこにあるし、そういう枠組みや見方が好きなのだと思う。あくまでも科学である心理学はまるっきり別物で、どうも僕はその科学らしさに適応できずにいるらしい。

 どうしたものかと悩むような悩まないような、教育学徒に戻りたいような戻りたくないような、ふわふわ考えている折にふと思い出したのが椎名林檎さんの「幸福論」だった。



 彼女のこと、特に音楽的な側面については、実はあまり存じ上げない。「Mステの歌詞テロップが縦書きで、歴史的仮名遣いと独特なフォントを使う人」くらいの認知だ。あとはW杯のテーマ曲良かったなぁとか、指導教員が隠れファンだったっぽいなぁとか、そんな感じ。

 ただ唯一、デビュー曲「幸福論」だけは明確に好きだと言える。学部の講義で観た高度医療センターのドキュメンタリーで、ある高校生が大好きな曲として紹介していて知ったものだ。なんて優しく素敵な歌詞だろうと、その日の夜に覚えるほど聴いた。惚れたフレーズがこちら。

あたしは君のメロディーやその哲学や言葉 全てを
守る為なら少し位する苦労もいとわないのです

 僕はこれをずっと「自分が誰かに向ける最大の敬意」として捉えていて、今も大切な人たちに対して歌詞通りの気持ちを抱いている。そしてつい数日前、これは僕が僕に向けたっていい敬意だと初めて気づいた。僕は僕を守るために心理学の世界へ飛び込んだはずだ。学び尽くせない専門知識、適応しきれない学問的性質、苦労はいろいろある。でもここは前にいた世界よりも安全で、自分を守れる場所だとこの4ヶ月間でよく分かった。自分で自分にこれを歌い続けてやりたい。大丈夫、僕はあなたのやりたいことを十二分に知っているし、それをいつまでも貫いてほしいし、そのためならどんな苦労も喜んで引き受けるよ。



 「幸福論」の新たな解釈を得て、自分の研究に対する心構えもアップデートされた。研究を「自分のメロディーや哲学や言葉全てを守るための行為」と定義したら、論文に羅列されたアルファベットも少しは味方のように見えた。言語は違えど同志の書いた文章なら読もうかな、と思えた。そして僕もあなたの同志だと伝えるために頑張りたい、とも。

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