「謙虚」ってほんとうの自分に対しての行為なのかもしれない~偽物の独裁から救う~

ある本を読んでいて刺激を受けた

偉そうに「思考の催眠にかけられてしまっている個人の私(私と思っている私)」がこの体の王として暴政をふるってきた

「ほんとうの私」に敬意を払うこともなかったなー

この体を統制している絶対的な王は「ほんとうの私」にもかかわらず、それを「私と思ってる私」が邪魔をしてそのことを忘れていたから統制がとれず苦しかったんだあ

「私と思ってる私」は「ほんとうの私」に謙虚に従いながら、生かされていることに感謝することで秩序が生まれるのかもしれない

内側の世界も外側の世界も

特定の外側の人に謙虚になるのも必要だけど、まず自分の内側の偽物の独裁から見直し、救うことから

1回きりでなく、できるようになったらその都度何度でも

それを必要なとき選択できるように、何度でも練習しながら、意識を向け続けようと思った

みなさんのそれぞれの道を応援しています😊