見出し画像

イヤな思い出ほど、忘れられないのは、なぜか?

フォレスト出版編集部の寺崎です。

「あのとき、あんなこと言わなければよかった……」
「あのときこうすれば、こんなことにはならなかった……」

こうした「過去への後悔」は誰しもあるのではないでしょうか。私自身、飲みの席でうっかり失言してしまい、しばらく後悔と自責の念に駆られたことがたびたびあります。

あるいは・・・

◎信用していた部下の裏切りがいまでも許せない
◎夫に言われたひと言を思い出すと腸が煮えくり返る
◎上司からされた理不尽な扱いがいまでも忘れられない

こんな「忘れられないネガティブ」を抱えている人もいるかもしれません。この程度であれば社会生活に支障はありませんが、もっと壮絶で悲惨な体験がトラウマとなった場合には社会生活にも支障をきたすことでしょう。

こうしたネガティブな想念、記憶は私たちに一生つきまとうのでしょうか。

答えは「NO」です。

なぜならば、ある種の認知科学的な手法によって過去の記憶は書きかえることが可能だからです。

そもそも、人間の脳は「イヤな記憶」ほど絶対に忘れないように出来ています。まずはこの事実を知ることが、私たち自身をネガティブな囚われから解放するための第一歩です。

新刊『「イヤな気持ち」を消す技術 ポケット版』(苫米地英人・著)は、記憶の正体を暴き、認知科学とクライシスサイコロジーを駆使して記憶そのものを書き変えます。ある意味「トンデモ本」といえるかもしれません。

以下、本書の一部を抜粋してご紹介します。

「失敗の記憶」はなぜ脳に深く刻まれるのか?

 脳は「失敗の経験」を大切にします。
 なぜなら、成功の経験よりも失敗の経験のほうが、人が生きていくためには重要だからです。
 ヒトは類人猿時代、食料を得るために植物を採取し、動物を狩っていました。その際、一番大事なことは、「この草は食べられるか、食べられないか」だったはずです。「この動物に攻撃しても大丈夫か、危険なのか」あるいは「毒を持っているか、いないか」だったでしょう。食べては絶対にダメな植物、手を出してはいけない動物は絶対に記憶しなければいけませんでした。
 では、その記憶はどうやって身につけるのかといえば、一度失敗することです。少し食べて体調を崩したらその草は毒草であり、その色や形を覚えて二度と手を出さないことが生き抜くことに直結しました。これは動物をハントする時も同様です。
 つまり、失敗の記憶は私たちにとってはとても大切なものだったのです。ですから、私たちはいまでも失敗の記憶をなかなか消去しないのです。これが人間の脳にデフォルトで備わっている機能です。
「なぜ、理不尽な仕打ちが忘れらないんだろう」と落ち込む必要はもうありません。「なぜ、いつまでもクヨクヨ悩んでしまうんだろう」と嘆く必要もありません。もともと人間の脳はそういうふうにできているのです。
 読者のみなさんにはまず、この事実をお伝えしたいと思います。

同じ失敗をしないために「記憶」はある

 かつての辛い出来事や悲しい出来事の記憶を持たない人は、よほど稀有な存在といわなくてはなりません。
 そもそも人間は、イヤな出来事をよく記憶するようにつくられています。
 とくに強烈な怒りや悲しみなどの情動をともなう体験をした場合、人間の脳はことさら強くそれを記憶にとどめようとします。
 
 その理由は、次に同じようなことが起こりそうなときに、それを避けなければならないからです。
 なぜ避けなければいけないのか。
 そこに生命のリスクがあると感じるからです。
 イヤな出来事を記憶することがなければ、私たちはせっかくそれを体験しておきながら次もその次も同じ轍(てつ)を踏むことになり、生命のリスクにさらされつづけてしまいます。文字通り「死んでしまう」ことはないにしても、厳しい生存競争に勝ち残ることはできなくなるでしょう。だから、私たちの脳は、イヤな出来事をよく記憶するわけです。
 脳のそうした記憶のメカニズムは、生物が種を保存し生きながらえていくために獲得した、非常に大切な能力のひとつです。
 ところが、自ら獲得したその能力によって、人間はかえって大きな苦悩を抱え込むケースが少なくありません。
 辛い記憶や悲しい記憶は人を過去の出来事に縛りつけます。そして、抱える苦悩があまりにも重くなれば、それは人が未来へと前進する力を奪っていくでしょう。
 辛い記憶、悲しい記憶に強烈に囚われてしまうと、過去ばかりをふり返り、過去の出来事と闘おうとする人が生まれます。
 本来、私たちが目を向けるべきは未来のことのみのはずです。
 また、もはや存在しない過去と戦って、それに打ち克つこともできません。
 にもかかわらず、過去に拘泥(こうでい)するあまり、活力を奪われ、トラウマを抱え、精神的に病んでしまうということが、人間には起こります。
 とりわけ現代人は、過剰な欲望を抱くように仕掛けられていますから、イヤな出来事の記憶に囚われる傾向はますます強まっているように思います。

海馬と扁桃体がイヤな記憶を増幅させる

 実は、イヤな記憶から自分を解放するために、過去のイヤな出来事の記憶に働きかける方法は、脳の仕組みから見て、決して効果が高いとはいえません。
 人間が過去のイヤな出来事に囚われるのは、記憶そのものに原因があるのではありません。それは、記憶がどのように入れられ、どのように出されるのかという点に問題があるといえます。
 とりわけ記憶の出し方は重要で、その点についてまったく間違った考えを持ったまま、する必要のない苦しみを抱えている人が多いように思います。
 
 実際、たとえその記憶がどんなにイヤな記憶であったとしても、それそのものに人間を過去の出来事に拘泥させる力はありません。トラウマを取り除いたり、脱洗脳のために記憶を書き換えたりする処置をプロが施す場合にも、側頭葉に収められた記憶に直接働きかけることはまず行いません。
 記憶を出し入れする仕組みは、側頭葉ではなく、海馬扁桃体と呼ばれる部分の働きによって生み出されています。どちらも大脳辺縁系というどちらかといえば古い脳に属している部分です。
 一般に海馬は、しばらくの間だけ覚えておけばいい情報を一時的にためておく場所として知られています。
 つまり、短期記憶の貯蔵庫です。
 それは重要に違いありませんが、海馬にはもうひとつより重要な機能があります。
 側頭葉に出来事を投げ込んで長期記憶させたり、側頭葉から長期記憶を引っぱり出したりするゲートの役割をしている点です。
 
 一方、扁桃体は、海馬に働きかけ、それが出し入れする記憶を増幅させたり弱めたりする機能を持っています。扁桃体が海馬に「強く思い出せ!」と命じると、人間は過去の出来事を強烈に思い出すわけです。
 海馬と扁桃体の関係は、いわばダムの放水ゲートの現場操作担当者と、コントロールセンターの放水量管理者のようなものです。管理者が「思いっきり放水しろ!」と命じれば、現場担当者は「わかりました!」とバルブを全開にするし、「ふだんより少なくしろ」と命じれば、現場担当者はほとんどバルブを開きません。
 もちろん、扁桃体に命じられて海馬が記憶を思いっきり増幅して引っぱり出すだけなら、おそらく特別に大きな問題は起こらないでしょう。イヤな記憶が思いっきり増幅して引っぱり出されたとしても、単に記憶が甦って一時的にヒヤリとするだけのことです。
 
 私たちがイヤな記憶に囚われるのは、海馬と扁桃体が増幅の連係プレーをくり返す結果、そのイヤな記憶が前頭前野に認識のパターンをつくるからです。また、イヤな記憶というのは我々が「エピソード記憶」と呼ぶ一連の出来事の記憶であり、前帯状皮質、尾状核といった部位も連係プレーに参加します。
 前頭前野は、人間の脳の中で最も新しく進化した脳で、知性を司つかさどっています。
 辛い記憶、悲しい記憶の認識のパターンが前頭前野につくられることで、「どうしても許せない」とか「思い出すだけで身ぶるいする」など、嫌な出来事に囚われる心の状態が生み出されるわけです。
 くり返し自らを襲うイヤな記憶、それがもたらす自縄自縛、捨て鉢で邪悪な考え。
 それは、側頭葉に収められたイヤな記憶ではなく、海馬と扁桃体、そして前頭前野につくられた認識のパターンによって生み出されているということです。

画像1

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いかがでしょうか。

イヤな記憶というものは、古い原始的な脳である「海馬」「扁桃体」のやりとりを、もっとも新しく進化した高度な脳である「前頭前野」がパターンとして認識する。

こんなメカニズムで構築されているのです。

どうやら「海馬」は記憶の問題を解き明かす重要なプレーヤーであることがわかります。

次回は「海馬の謎」について解説をしていこうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?